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分類 | 性能 |
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メーカー | トヨタ | 総排気量 | 1,988cc | PP | 373 | 国籍 | 日本 | 最高出力 | 150PS/6,600rpm | 全長 | 4,175mm | カテゴリ | ノーマルカー/スーパーカー | 最大トルク | 18.0kgfm/5,000rpm | 全幅 | 1,600mm | モデル | 高品質 | 駆動形式 | FR | 全高 | 1,160mm | ギャラリー | 対応 | 吸気形式 | NA | 車両重量 | 1,120kg/54:46 | 内装 | 再現 | PWR | 7.17kg/PS | TM | 5速 | 入手方法 | カスタム/チューン制限 |
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ディーラー | Cr.16,000,000 | カスタム | ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可 | プレゼント | --- | チューン | --- |
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カラーバリエーション |
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☆Pegasus White | Thunder Silver | Solar Red | --- | --- |
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- 事実上、国産初のスーパーカーと言えるクルマである。
名称・メカニズム的な継承点は一切ないが、LFAの始祖と呼べるクルマでもある。
- ヤマハの技術供与によってトヨタから発売(車両の製造はヤマハが担当)された2000GTであるが、トヨタ側の開発担当は4人に過ぎず「共同開発」と呼ぶには諸説ある。
しかし、ヤマハ側は2000GTの開発についての公式な言及で「ヤマハの技術供与」という表現を用いていることから本項のような表現とした。
なぜトヨタがヤマハに製造を委託したかというと、当時のトヨタには少数生産のためのラインを作るスペースが工場に無かったためである。決してトヨタが単独で2000GTを開発する技術が無かったわけでは無い。
- 1964年に両社による開発が始まり、翌年8月には試作車が完成するという現代の眼で見ても非常に速い開発ペースは驚嘆に値する。
すでに著名なオートバイメーカーであり世界的な楽器メーカーでもあるヤマハの技術力はメカニズム的にも内装の仕上げに関しても大きく貢献することとなった。
- 直列6気筒DOHCエンジン、鋳造マグネシウムホイール、4輪独立懸架、5速トランスミッション、4輪ディスクブレーキ、ラック・ピニオン式ステアリング、リトラクタブル・ヘッドライトといった装備を持ち、当時としては異例の贅沢な装備であった。
デザインに関しては完全な5ナンバー規格に収まっているにもかかわらず、その制約を感じさせない流麗なスタイリングを持ち、高級ピアノにも使用される高品質な木材を用いた内装(ウッドステアリングやインストルメントパネル等)は今なお評価が高く、現在でも熱烈なファンが存在する。
- 2000GTの新車価格は238万円であった。
この価格を現在の通貨価値に換算すれば1500〜2000万円程度と言われ、一般の人々にとっては想像を絶する超高額車であったが、開発・製造コストを考慮に入れれば赤字だったと言われている。
- 収録モデルである前期型と1969年にマイナーチェンジされた後期型の双方を併せても総生産台数は337台(うち国内向けに約200台)程度と生産台数は極めて少ない。
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| | 余談
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- 前作まではスタンダードカーだったが、本作では晴れてプレミアムカーとして収録された。
- 当時のカタログ搭載車など、極初期モデルにはワイパーブレードをネジ留めではなく樹脂パーツでかしめて固定するトリコのワイパーが付いていた。
- エンジンヘッドカバーには「TOYOTA」「2000」の文字が入るが、初期プロトタイプのみ「2000」の部分が「GT」になっていた。
- 前期型の中でも初期型限定で純正オプションとして時計の隣にクロノグラフが装着できた。
フォトトラベルで内装を見ると、収録車にも装着されている。
- 前期型生産途中でフロントのウインカーレンズがクリアからアンバーに変更されている為、収録モデルは前期型の中でも初期に生産された車だと思われる。
- 前期型のボディカラーはペガサスホワイト、ソーラーレッド、サンダーシルバーメタリックの三色だったが、後期型では前期型で特注色だったベラトリックスイエロー、アトランティスグリーン、トワイライトターコイズメタリックが正式採用され、計6色となった。
- カタログに正式ラインナップされてはいなかったが、特別にゴールドに塗装された車両が3台存在する。
- 2300cc*1OHCエンジン搭載の試作車もごく少数存在する。
マニアなどには『2300GT』と呼ばれているが正式名称ではない。北米輸出仕様のクラウンなどに搭載されていたエンジンを改装したものを搭載した、所謂廉価版的な立ち位置であったと思われる。試作車両全てが左ハンドルだったことなどから北米市場向けに準備されていた物らしいが、諸事情で市販には至っていない。
- 実はヤマハはトヨタと組む前に日産と共同開発を行っていた経緯があり、時と場合によっては本車がZになっていたかもしれない、というのは結構有名な逸話である(現に試作車現存)。
詳細はこちらのページを参照。
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