エディット作成用情報
- このページは作成用の情報に関する事を記述。ステータスはエディット武将を参照。
- エディット武将は最大850名(50人×17グループ)まで作成可能。
テスト戦闘
- 体験版に収録されていたテスト戦闘がSELECTボタンで選択可能。これで作成したエディット武将を試してみると良いだろう。
- ステージは天水(「真・三国無双7」DLCステージの「真・三国無双4猛将伝」祁山)。
制限時間:5分 100人撃破ごとに敵の汎用武将が出現しプレイヤーへと向かってくる。
500人撃破で出現する荀彧を撃破すればクリア。
- 勝利条件には「敵部隊の全滅」とあるが、実際は荀彧を撃破すればクリアできるので途中の武将を倒さなくてもOK。
- 体験版に収録されていたテスト戦闘がSELECTボタンで選択可能。武将エディットで作成したエディット武将を試してみよう。
- ステージは天水(「真・三國無双7」DLCステージの「真・三國無双4猛将伝」祁山)。
制限時間:5分 100人撃破ごとに敵武将がプレイヤーへと向かっていき、300人以降は武将が追加されていく。
順に朱霊→程昱→路昭→荀攸→荀彧が襲来するので、最後の荀彧を開始から5分以内に倒せばクリア。
- 勝利条件は「敵部隊の全滅」とあるが、実際は途中の武将を無視しても問題は無い。
- エディット武将はLv.50の状態で使用武器は「天」の得意武器&「地」の刀(得意武器が刀の場合は槍 いずれも武器ランク3)。
- 真・三国無双6Empiresと違い最初から秘計はセットされていないが、
- 真・三國無双6Empiresと違い秘計は使用できないが、
その代わりに本作の争覇モードよりも各種アイテムの出現率や無双・覚醒ゲージの充填率が大幅上昇している。
- Ver.1.03のアップデートからは戦闘開始時に無双ゲージと覚醒ゲージがMAXになっている。
武将エディット
武将作成項目
顔 | プリセット | あらかじめ設定されている顔を選択可能。男女共に全60タイプ |
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顔 | プリセット | あらかじめ設定されている顔を選択可能。 男女共に全60タイプ |
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髪 | 髪色のタイプ | 男女共に全68タイプ(DLCで男女共に36タイプ追加) |
髪の色 | 全256色 |
装飾1 | 装飾1のタイプ | 男性は全45タイプ、女性は全47タイプ(DLCで男性は11タイプ、女性は13タイプ追加) |
装飾2 | 装飾2のタイプ | 男性は全15タイプ、女性は全27タイプ(DLCで男女共に13タイプ追加) |
装飾2 | 装飾2のタイプ | 男性は全15タイプ、女性は全27タイプ(DLCで男性は23タイプ、女性は28タイプ追加) |
輪郭 | 輪郭のタイプ | 男女共に全3タイプ |
肌の色 | 全15色 |
調整 | 年齢 | -5(低・-5~高・+5) |
顔の幅 | 0(細・-5~太・+5) |
顎の幅 | 0(細・-5~太・+5) |
顎の長さ | 0(短・-5~長・+5) |
顎の前後位置 | 0(後・-5~前・+5) |
えらの幅 | -2(内・-5~外・+5) |
えらの上下位置 | 0(下・-3~上・+3) |
えらの前後位置 | 0(後・-3~前・+3) |
眉 | 眉のタイプ | 男女共に全16タイプ(DLCで男女共に5タイプ追加) |
眉の色 | 全256色(□ボタンで髪と同じ色に設定可能) |
調整 | 内側の上下位置 | -2(下・-5~上・+5) |
外側の上下位置 | -2(下・-5~上・+5) |
目 | 目のタイプ | 男女共に全54タイプ(男性はタイプ28から女性の目パーツ、女性はタイプ28から男性の目パーツの模様) |
瞳の色 | 全14色(瞳切替(□ボタン)でオッドアイが可能) |
調整 | 目の大きさ | +1(小・-4~大・+4) |
目の幅 | +3(小・-3~大・+3) |
目の上下位置 | 0(下・-5~上・+5) |
目の間隔 | +1(狭・-9~広・+9) |
目の角度 | 0(下・-6~上・+6) |
目の開き | +1(狭・-4~広・+4) |
瞳の大きさ | 大(大・小) |
瞳の左右位置 | 0(内・-2~外・+2) |
瞳の上下位置 | 0(下・-2~上・+2) |
化粧のタイプ (女性のみ) | 全4タイプ |
化粧の色 (女性のみ) | 全10色 |
鼻 | 鼻のタイプ | 男女共に全27タイプ(DLCで男女共に27タイプ追加) |
調整 | 大きさ | +1(小・-4~大・+4) |
上下位置 | 0(下・-5~上・+5) |
幅 | 0(細・-5~太・+5) |
高さ | 0(低・-5~高・+5) |
角度 | 0(下・-5~上・+5) |
口 | 口のタイプ | 男女共に全27タイプ(DLCで男女共に27タイプ追加) |
唇の色 | 全18色 |
調整 | 口の大きさ | 0(小・-5~大・+5) |
唇の厚み | 0(薄・-5~厚・+5) |
口の上下位置 | 0(下・-5~上・+5) |
口角の上下位置 | 0(下・-5~上・+5) |
口髭 (男性のみ) | 口髭のタイプ | 全7タイプ(DLCで8タイプ追加) |
口髭の色 | 全256色 |
顎髭 (男性のみ) | 顎髭のタイプ | 全7タイプ(DLCで8タイプ追加) |
顎髭の色 | 全256色 |
体型 | 体型 | 男性 | 標準・筋肉質・マッチョ・太め・細め・モデルの全6種類 |
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女性 | 標準・筋肉質・グラマー・太め・細め・モデルの全6種類 |
調整 | 頭の大きさ | -1(小・-2~大・+2) |
身長 | 0(低・-10~高・+10) |
太さ | 0(細・-10~太・+10) |
腕の長さ | -1(短・-2~長・+2) |
腰の長さ | +2(低・-2~高・+2) 身長に大きく影響する |
胸の大きさ (女性のみ) | 0(小・-2~大・+2) |
防具 | 頭防具のタイプ | 「なし」 | 男女共に全68種類。詳細は衣装を参照(特典で男性は3種類・女性は2種類、DLCで男女共に現在13種類追加) |
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胸防具のタイプ | 「なし」 |
腕防具のタイプ | 「なし」 |
腰防具のタイプ | 「なし」 |
足防具のタイプ | 「なし」 |
各防具の色 | 「青」 | 青・赤・緑・水・黄・紫・黒・白の全8色。DLC衣装以外は部位ごとに個別設定可能 |
各防具の色 | 「青」 | 青・赤・緑・水・黄・紫・黒・白の全8色。部位ごとに個別に設定可能。 各種なりきりエディットパーツ、天狐モチーフエディットパーツの色は変えられない。 |
EXタイプ | 「夏候惇タイプ」 |
無双乱舞1 | 「蒼牙」 |
無双乱舞2 | 「烈爪」 |
空中無双乱舞 | 「蒼炎」 |
覚醒乱舞 | 「夏候惇」 |
音声・能力 | 音声のタイプ | 男性 | 純粋・熱血・楽天家・耽美・冷静・豪快・重鎮・侍・老練・寡黙の2パターン、全20ボイス (DLCで2パターン、20ボイス追加)各ボイスのCVは下記の担当声優・男性武将を参照 |
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女性 | 無邪気・姑娘・可憐・活発・勝気・冷静・古風・妖艶・勇敢・高飛車の2パターン、全20ボイス (DLCで2パターン、20ボイス追加)各ボイスのCVは下記の担当声優・女性武将を参照 |
音声・能力 | 音声のタイプ | 男性 | 純粋・熱血・楽天家・耽美・冷静・豪快・重鎮・侍・老練・寡黙の2パターン 全20ボイス (DLCで2パターン、20ボイス追加)各ボイスのCVは下記の担当声優・男性武将を参照 |
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女性 | 無邪気・姑娘・可憐・活発・勝気・冷静・古風・妖艶・勇敢・高飛車の2パターン 全20ボイス (DLCで2パターン、20ボイス追加)各ボイスのCVは下記の担当声優・女性武将を参照 |
能力のタイプ | 「標準型」 | 標準型・攻撃型・猛攻型・防御型・鉄壁型・統率型・統御型・俊足型・神速型・重量型・鈍足型・凡庸型・凡愚型の全13タイプ タイプ毎に体力・攻撃力・防御力・統率力・移動速度・初期秘計1・2が異なる。詳細はエディット武将を参照 |
生き様 | 「凡夫」 | Ver.1.06のアップデートから追加 争覇モードプレイ中に、一度でも自力獲得した生き様を自由に設定できる。詳細は生き様を参照 |
能力のタイプ | 「標準型」 | 標準型・攻撃型・猛攻型・防御型・鉄壁型・統率型・統御型・俊足型・神速型・重量型・鈍足型・凡庸型・凡愚型の全13タイプ タイプ毎に体力・攻撃力・防御力・統率力・移動速度・初期秘計1・2が異なる。 詳細はエディット武将を参照 |
生き様 | 「凡夫」 | Ver.1.06のアップデートから追加 争覇モードプレイ中に、一度でも自力獲得した生き様を自由に設定できる。 詳細は生き様を参照 |
得意秘計1 | 「なし」 | Ver.1.06のアップデートから追加 争覇モードプレイ中に、一度でも学問所からの購入や、友好度が高い武将から入手した秘計を自由に設定できる 詳細は秘計を参照 |
得意秘計2 | 「なし」 |
得意秘計3 | 「なし」 |
得意秘計4 | 「なし」 |
メニュー
- 「ファイル選択」時にSTARTボタンから使用可能。
武将入替登録 | 作成したエディット武将を、リストから選んだ既存武将の代役として争覇モードに登場させる事ができる。 名前は置き換えられる。入替登録した状態(黄色)をもう一度選ぶと解除できる。 |
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コピー | 選択したエディット武将を別のスロットにコピーする。 登録された生き様も含め、武将の全データがコピーされる。 |
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武将入替登録 | 作成したエディット武将を、リストから選んだ既存武将の代役として争覇モードに登場させる事ができる。 エディット武将の名前は反映されず、入れ替え先の武将の名前になる。入替登録した状態(黄色)をもう一度選ぶと解除できる。 |
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コピー | 選択したエディット武将のデータを別のスロットにコピーする。 登録された生き様も含めた全てのデータを別のスロットにコピーできる。 |
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移動 | 選択したエディット武将を別のスロットに移動する。 「軍団エディット」で登録された状態だと移動できなくなる。 |
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エディット合成 | 作成した2人のエディット武将を元にした新たなエディット武将を自動作成する、子供武将とほぼ同じシステム。 2人のエディット武将を選択後、男・女・不問のいずれかを選ぶと生成。 |
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グループ名変更 | 全17グループあるエディット武将のフォルダ名を変更する。 |
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アップロード | 1ユーザーにつき武将1人のみ、代表エディット武将として公開できる。 新しい武将をアップロードすると、前のアップロードは上書きされる。 PlayStation版とPC版ではそれぞれ別枠での公開となる。 |
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ダウンロード | オンライン上で公開された他ユーザーの代表エディット武将を保存可能。 |
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アップロード | 1ユーザーにつき武将1人のみ、代表エディット武将として公開できる。 新しい武将をアップロードすると、前のアップロードは上書きされる。 PlayStation版とPC版ではそれぞれ別枠での公開で、機種をまたいでやり取りはできない。 |
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ダウンロード | オンライン上で公開された他ユーザーの代表エディット武将を保存可能。 エディット武将がDLCパーツを使用している場合、プレイヤー側が所持していないDLCパーツは自動的に「なし」に置き換わる。 |
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データセーブ | エディット武将のセーブデータを作成し、他プレイヤーとのデータ受け渡しを可能にする。 入手しストレージ上に保存した他プレイヤーのセーブデータは、下記の「データロード」で読み込んで使用可能。 |
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データロード | 「真・三國無双7Empires」製品版・体験版・共闘版の武将データと 「真・三國無双6Empires」の武将データ・システムデータを読み込める PC版ではドキュメント\KoeiTecmo\Shin Sangokumusou 7 Empires\Savedata\EditBushouSave??(半角数字).datを読み込む。 |
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データロード | 「真・三國無双7Empires」製品版・体験版・共闘版の武将データと 「真・三國無双6Empires」の武将データ・システムデータを読み込める PC版ではDocuments\KoeiTecmo\Shin Sangokumusou 7 Empires\Savedata\EditBushouSave??(半角数字).datを読み込む。 |
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武将登録 | 保存された争覇モードのプレイデータに内包されているエディット武将を自分のエディット武将スロットに保存できる。 |
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担当声優
- リンク先は対応するセリフ集ページへ。
- DLCボイス3/4はボイス1/2のセリフが入れ替わって適用されているので、対応する元セリフを持つページに
- DLCボイス3/4はボイス1/2のセリフが入れ替わって適用されているので、対応する元のボイスがあるページへ
男性武将
女性武将
ボイス概要
既存の音声とDLCの音声の台詞は共通だが、戦闘中の掛け声が一部異なるものがある。
男性武将
- ボイス1
1 | 純粋 | 熱血 | 楽天家 | 耽美 | 冷静 |
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EX攻撃 | てやーっ! | 決まったな! | こいつはどうだ! | 喰らいなさい! | 思い知れ |
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無双乱舞1 | やってみせる! | 行くぞ! | 決めるぜ! | 吹き飛びなさい! | 消えるがいい |
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無双乱舞2 | 力の限り! | 燃え滾る! | こいつは、痛いぜ! | 消し飛びなさい! | 満足したかな? |
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空中無双乱舞 | これならどうです! | これぞ奥義! | これで、終わりだな! | 堪能なさい! | これぞ、我が切り札 |
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覚醒乱舞 | 本気で行きます! | うぉおおお!力が漲る! | 真面目にやるかな! | 今こそ、戦場に嵐を! | 遊びはこれまでだ |
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ストームラッシュ | 手加減はしません! →勝負ありです! | そらそらそらそらぁ! →決着だ! | 雑魚は引っ込んでな! →決まったぜ! | いざ、暴風の如く! →終幕です! | 反撃できるかな? →終わったな |
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ヴァリアブルカウンター | 負けません! | こっちの番だ! | 隙だらけだぜ! | 遅いですよ! | これからだ! |
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受け身 | やりますね | やるな | あぶね! | やりますね | 忌々しい! |
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秘計 | いきます! | これでどうだ! | いっとくか! | 今ですね! | いくぞ! |
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大規模秘計 | この策で、流れを変えてみせます! | 受けられるもんなら受けてみろ! | 切り札を使うとするか! | 私の策、受けていただきましょう! | ふっ、準備は整ったようだな |
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1 | 豪快 | 重鎮 | 侍 | 老練 | 寡黙 |
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EX攻撃 | 喰らいやがれ! | 砕け散れぃ! | 御免! | どうじゃ! | 喰らえ |
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EX攻撃 | 喰らいやがれ! | 相手にならぬ! | 御免! | どうじゃ! | 喰らえ |
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無双乱舞1 | 潰してやる! | 砕け散れぃ! | 覚悟! | 叩き伏せる! | 排除 |
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無双乱舞2 | 調子に、乗るんじゃねぇ! | 散り果てよ! | 今こそ好機! | 大人しくせい! | 終わりだ |
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空中無双乱舞 | くたばりやがれ! | 退かぬかっ! | 容赦せぬ! | この勝負、貰うぞ! | 消え去れ |
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覚醒乱舞 | まとめて吹っ飛ばしてやらぁ! | 総身の力で参る! | いざ、真剣勝負でござる! | これぞ古強者の戦よ! | これぞ、本領! |
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ストームラッシュ | おらおらおらおらぁ! →失せやがれ! | 手加減はせんぞ! →終わりよ! | 切り捨て御免! →成敗! | よけきれるかの! →せいや! | 押し通す →さらば! |
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ヴァリアブルカウンター | やらせるか! | この程度か! | 他愛もない! | 小者狩りぞ! | 読み切った |
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ヴァリアブルカウンター | やらせるか! | この程度か! | 他愛もない! | 小者狩りぞ! | 見切った |
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受け身 | ちきしょお! | 不覚 | おのれ! | 小賢しい! | できるな |
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秘計 | ぶちかましてやる! | 今が好機ぞ! | いざ、参る! | 観念せい! | いくぞ |
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大規模秘計 | 俺様のとっておきを喰らいやがれ! | ここが踏ん張りどころよ! | 備えあれば憂いなしでござるな | わしの策を切り抜けられるかの! | 勝負に出る |
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- ボイス2
2 | 純粋 | 熱血 | 楽天家 | 耽美 | 冷静 |
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EX攻撃 | 終わりだね | 行くぞ! | こんなもんかい | これは如何でしょう | 相手が悪かったな |
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無双乱舞1 | 鬱陶しいな | かわせるか! | 動くなよ! | 許せませんね | うぉおおお! |
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無双乱舞2 | 消えてよ、視界から! | さらばだ! | はい、おしまい! | 散って頂きましょう | 遊びはこれまで |
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空中無双乱舞 | どいてくれる? | 一発必中! | カッコいいだろ | 消え失せなさい! | 愚か者が! |
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覚醒乱舞 | そろそろ、本気を出そうかな! | 俺の魂、熱くなって来たぜ! | さて、どうしてくれようかね | 覚悟は宜しいですか | 私の内なる力、解放しよう! |
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ストームラッシュ | 一方的にやってあげる! →じゃあね! | うおおおおお! →せいや! | 俺の技に見とれんなよ? →ふう! | 私の思う壷ですね! →さようなら! | 我が武を侮るな! →ふん! |
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ヴァリアブルカウンター | 甘いね! | やらせるか! | 残念でした! | 失礼! | 笑止な! |
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受け身 | 効いたよ | やるな | よっと! | 見事です | ぬかった! |
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秘計 | これはどう? | 俺の秘計、受けてみろ! | ここらでかましとくか! | この時を待っていました! | 勝機は逃さぬ |
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大規模秘計 | これはきっと、防ぎきれないよ! | 喰らえ! 俺の超絶秘計! | そうら、こいつが奥の手さ! | 勝負を決める策、披露しましょう! | この策で戦場を震撼させよう! |
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2 | 豪快 | 重鎮 | 侍 | 老練 | 寡黙 |
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EX攻撃 | うぉりゃあ! | 図に乗るな! | 打ち払う! | ぬおうらぁ! | 散れ |
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無双乱舞1 | 懲らしめてやる! | ぬおおおおお! | 控えおろう! | 未熟者めが! | どけ |
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無双乱舞2 | おとといきやがれ! | 道を開けよ! | 覚悟めされよ! | これぞ妙技よ! | 眠れ |
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空中無双乱舞 | 消し飛んじまえ! | 覚悟せよ! | 神妙にいたせ! | ひねり潰してやるわ! | いくぞ |
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覚醒乱舞 | よそ見してっと怪我するぜ! | 渾身の力、今こそ見せん! | 武人の志、貫かん! | 老将と、侮るでないわ! | 全力だ! |
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ストームラッシュ | お楽しみの時間だぜ! →仕上げだ! | 戦場の土となれ! →さらば! | 息つく暇(ひま)も与えぬぞ! →大義! | 怒濤の攻撃、見せてやるわ! →ちとつかれた | 一気呵成 →ふっ! |
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ヴァリアブルカウンター | 笑わせんな! | ぬるいわ! | 片腹痛し! | 青二才が! | 遅い! |
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受け身 | うおっと! | できるな | 猪口才な! | ぐおっ! | 見事 |
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秘計 | こいつを喰らいやがれ! | この機、逃すまい! | いざ参らん! | よし、頃合いじゃあ! | これはどうだ? |
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大規模秘計 | ここが勝負所だ! 俺様のおつむが言ってるぜ! | 好機到来! これで決着よ! | 伝家の宝刀、今こそ抜かん! | 練りに練られた技、味わうがいい! | 必勝を期す! |
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女性武将
- ボイス1
1 | 無邪気 | 姑娘 | 可憐 | 活発 | 勝気 |
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EX攻撃 | どうだ! | やっちゃいますねー! | いきます! | さぁーっ! | はぁーっ! |
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無双乱舞1 | 飛んでっちゃえ! | いきますよー! | 覚悟なさい! | 決めてみせる! | くらいなさい! |
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無双乱舞2 | 近寄らないで! | 必殺って感じ? | 終いです! | 私だってー! | 大人しくなさい! |
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空中無双乱舞 | もう怒ったよ! | 決めちゃいまーす! | 終わらせます! | やればできるんだから! | これで終わりです! |
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覚醒乱舞 | 本気出しちゃうぞ! | もう容赦しませんよー? | 一時、修羅となります! | もう、どうなっても知らないわよ! | 勝利を信じ、突き進みます! |
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ストームラッシュ | えいえいえいえい! →楽勝! | はーい、ぼこぼこですよー! →お疲れさまでーす! | 勢いに乗って攻めます! →はいっ! | 絶対に外さないわよ! →決まった! | 私の前に、屈しなさい! →はぁーっ! |
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ヴァリアブルカウンター | おっそーい! | 残念でしたー! | 私は逃げない! | もう、なんなのよ! | 許しません! |
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受け身 | おっとっと! | おっとと | 挫けない | やるじゃない | 見縊らないで! |
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受け身 | おっとっと! | あぶなっ! | 挫けない | やるじゃない | 見縊らないで! |
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秘計 | いっくよ! | これでどうですかー? | 今です! | いくわよー! | いきますよ! |
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大規模秘計 | あたしだってやればできるもんね! | はい、奥の手使っちゃいまーす! | これが勝利への鍵となるのです! | 今度は、うまくいきます、ように! | 私の切り札、お受けなさい! |
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1 | 冷静 | 古風 | 妖艶 | 勇敢 | 高飛車 |
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EX攻撃 | この時を待っていた | 下がらぬか! | 煩わしいわ | あの世で悔いな! | おーっほっほっほ! |
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無双乱舞1 | 邪魔するな | 狼藉者! | 近寄らないで | 怒らせたね! | いきますわよ! |
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無双乱舞2 | 果ててもらおう | そこになおりなさい! | お仕置きよ? | シメてやるよ! | 目障りですの! |
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空中無双乱舞 | 見せてやろう | お覚悟! | 逃がさないわよ? | 一気に決めてやるよ! | お仕置きですわよ! |
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覚醒乱舞 | この一手で、戦況を変える! | 私の誇り、お見せしましょう | ねえ、お楽しみの時間よ | あたいを本気にさせちまったね! | おーっほっほっほ! 私の前に跪きなさい! |
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ストームラッシュ | 攻めの手は、緩めぬぞ →終局だ | 情けはかけませぬ! →はい! | 攻め立ててあげるわ! →満足? | そらそらそらそらぁ! →あばよ! | この、この、このーっ! →ごきげんよう! |
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ストームラッシュ | 攻めの手、緩めぬぞ →終局だ | 情けはかけませぬ! →はい! | 攻め立ててあげるわ! →満足? | そらそらそらそらぁ! →あばよ! | この、この、このーっ! →ごきげんよう! |
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ヴァリアブルカウンター | その程度か! | 後悔なさい! | まだまだね! | 何するんだい! | 許さなくてよ |
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受け身 | やるな | よくも! | 痛いじゃない | やるねぇ! | 何をなさるの! |
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秘計 | 今だ! | 参ります! | これでどう? | 覚悟しな! | 今ですわ! |
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大規模秘計 | これが勝利への布石となる! | 奥の手を披露しましょう! | もっと楽しませてちょうだい! | 頭を使うのも嫌いじゃないよ! | とっておきをご覧にいれますわ! |
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- ボイス2
2 | 無邪気 | 姑娘 | 可憐 | 活発 | 勝気 |
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EX攻撃 | ゆるさないぞ! | おこるよ? | たぁっ! | はぁーっ! | 反省なさい! |
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無双乱舞1 | やっちゃうぞー! | あたまきた | お覚悟を | とどめ! | いきますよ! |
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無双乱舞2 | 必殺! なーんてね | 許さないから | 乱れ咲きです! | 容赦なし! | 消えて下さる? |
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空中無双乱舞 | どいたどいた! | 倒すよ? | 逃がしはしません | 逃がさないよ! | 身の程を知りなさい |
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覚醒乱舞 | なんだかわくわくしてきた! | いざ、本気出しちゃうって感じ? | 人事を尽くします! | うおおお! 燃えてきたぁ! | 血が沸き立ちます! |
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ストームラッシュ | どんどんいっちゃうよー! →おしまい! | めいっぱい、殴るよ! →おつかれー! | まとめてお相手いたします! →はぁっ! | さあ、張り切っていこう! →決まったぁ! | 休息の暇(いとま)は与えません! →やっ! |
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ヴァリアブルカウンター | ごめんね! | お返しー | 未熟ですね! | 甘い甘い! | 当たりません! |
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受け身 | うわ! | やるう | お見事! | なんの! | いけない! |
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秘計 | 今が好機ってやつ? | 今なら、いけそう? | 時は来たようですね! | やるなら、今かな! | 今こそこの策を! |
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大規模秘計 | よーし! 隠し球、見せちゃうよ! | とっておきだよ、うふふ! | 今こそ勝利を引き寄せます! | これが、私のとっておき! | 私の秘めたる策、披露いたしましょう! |
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2 | 冷静 | 古風 | 妖艶 | 勇敢 | 高飛車 |
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EX攻撃 | 薙ぎ払います! | おどきなさい | 泣かせてあげるわ | 目障りなんだよ! | 近づかないで! |
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無双乱舞1 | 邪魔をしないで! | うろたえ者! | いじめてあげるわ! | やっちまうよ! | 額突きなさい! |
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無双乱舞2 | 勝手はさせません | 消え去りなさい! | おねだり上手ね? | こんなとこかねぇ! | ひれ伏しなさい! |
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空中無双乱舞 | これが絶望! | 恥じ入りなさい! | いけない人! | 消えちまいな! | 散り果てなさい! |
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覚醒乱舞 | 私、奮起いたします | 勇気が湧いてまいります! | 退屈でしょ? 刺激をあげるわ | さて、気合いを入れるとするかい! | 手荒な真似を致しますわよ |
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ストームラッシュ | 私の攻撃、見えますか? →終わりです! | 身体に刻み付けてあげます →いかが? | 楽しい事、してあげるわ! →満たされた? | メチャクチャにしてやるよ! →スカっとするねぇ! | 欲しいなら、そうおっしゃい? →嬉しい? |
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ストームラッシュ | 私の攻撃、見えますか? →終わりです! | 身体に刻み付けてあげます →いかが? | 激しい事、してあげるわ! →満たされた? | メチャクチャにしてやるよ! →スカっとするねぇ! | 欲しいなら、そうおっしゃい? →嬉しい? |
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ヴァリアブルカウンター | 見えています! | 哀れな | 下手ね | 生憎だね! | 貧弱! |
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受け身 | まだっ! | この程度 | ひどいのね | そう来るかい | 小癪な! |
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秘計 | 仕掛けるなら今! | 戦局を動かしましょう | こういうのは、好き? | ここらで一発かまそうか! | 時は来た! ですわ |
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大規模秘計 | これが勝負を決める一手です! | 私の妙策、堪能してもらいましょう! | 大胆に攻めてあげるわ! | こいつを喰らって立ってられるかい! | 奥の手をお見せしますわ! |
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武器系統の適正
- 各系統の武器適正(天稟系統)は得意武器によって決定される。
- 各系統の武器適正(天稟系統と攻撃力ボーナス)は得意武器によって決定される。
- エディット武将の武器適正は「得意武器」と「EXタイプ」の設定に対応した無双武将と同じ適正が採用される。
- 本作での設定変更によって無双武将の得意武器から外された武器(刀や鉄扇 etc)については、
真・三国無双7with猛将伝で得意としていた無双武将の適正が採用される。
- 同じ天稟系統の武器でも他の系統の適正の高低差で1~3通りのパターンがある。
- 例えば弧刀と双剣はどちらも軽功天稟の武器だが、得意武器に設定した際の旋風武器の適正は弧刀が☆☆☆、双剣は☆☆と異なる。
真・三國無双7with猛将伝で得意としていた無双武将の武器適正が採用される。
- 同じ天稟系統の武器でも他の系統の適正の高低差で1~3通りのパターンがある。
- 例えば弧刀と双剣はどちらも軽功タイプの武器だが得意武器に設定した際の旋風武器の適正は弧刀が☆☆☆、双剣は☆☆と異なる。
メモ
男性武将(腰の高さ+2)は身長+0で185cm
女性武将(腰の高さ+2)は身長+0で172.5cm
メモリ1つ動かせば2.5cm上下
マッチョ グラマー | -10 | 140 | 148 | 156 | 134 | 142 | 150 |
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腰の高さ1コマで約8~10cm程度、身長1コマで約2.0~2.5cmに相当する。
ただし、腰の高さは身長の変動率にごく僅かながら影響する。
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| | 参考:無双武将の身長
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160cm | 龐統 関銀屏 小喬 大喬 王元姫 夏侯覇 |
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真三國無双武将命名所withエディット武将作成情報集(外部サイト)に詳しい身長情報有り
文献での記述はあるが、未登場もしくは汎用武将の人物について
- エディット武将作成への参考記録として。実在の人物でも書かれている内容は全て事実とは限りません。
- 漫画・小説など、「三國志」「三国志演義」以外における発展創作でのオリジナル登場人物は表を分けています。ご注意ください。
- 真・三國無双ブラストへの登場が確認された人物は名前を太字にしています。
魏
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尹氏 | 女性 | 何進の息子の元妻。何晏、曹矩の母。曹操が司空のときに側室とし、連れ子の何晏も引き取られた。 このとき曹操は、(杜氏の連れ子の)秦朗も養子として引き取っていたが二人とも我が子のように養育された。 後に息子の何晏は杜氏の娘の金郷公主を娶っている。 |
隠蕃 | 男性 | 魏の人。曹叡の命で、呉の攪乱を目的に偽装投降した。 その優れた弁舌によって朱拠や郝普らと交友を結ぶも、後に目論見が発覚し処刑された。 |
韋誕 | 男性 | 魏の官僚。韋康の弟。 「草聖」と呼ばれるほど草書に通じていた。魏王朝の宝器の銘題は全て韋誕が書いたと伝えられる。 しかし縄を付けた籠に載せられ、地上約60mの高さまで引き上げられて、扁額を書かされたという逸話がある。 韋誕は恐怖の所為で、髪も髭も白くなってしまい、子孫には決して書道を学ばないように書き残したとされる。 |
衛瓘 | 男性 | 魏の臣。蜀討伐の監軍として従う。書家でもあり、草書に優れていた。 蜀滅亡後、鍾会の命で鄧艾父子を捕らえるが、鍾会が謀反を起こすと鍾会と姜維を倒し、田続に鄧艾父子を殺させた。 晋王朝の成立後、重職を歴任し司空まで昇るが、恵帝即位後に賈皇后に粛清された。 |
衛臻 | 男性 | 衛茲の子。魏の政治家。夏侯惇に計吏として登用された。 曹丕が即位すると魏の散騎常侍となる。政務だけでなく戦略眼にも優れた。 |
王氏 | 女性 | 郭淮の妻。王凌の妹。郭統の母。 王凌が処刑されるとその罪に連座し逮捕された。これを聞いた部下や羌族ら数千人が助命を上奏するよう嘆願したが郭淮は従わなかった。 しかし、郭淮の五人の息子も叩頭して要請したため見るに忍びず、部下に追わせて妻を取り返した。 郭淮は司馬懿に文書で「妻を失えば、身を賭す息子らも失い、(後継ぎのない)私は死人となるも同然です。 ゆえに追って妻を取り戻しましたが、このことが法に背くのであれば、当然罰を受ける覚悟です」と伝えた。文書が届くと司馬懿は彼らを許した。 |
王祥 | 男性 | 60歳を過ぎて呂虔に召された。 魏~西晋の大臣で、「二十四孝」の一人として知られる。呂虔から三公の位に登るといわれる刀を譲られた。 |
王粛 | 男性 | 王朗の子であり、王元姫の父。18歳で宋忠から「太玄経」を学んだ。 広平太守、侍中、太常などを歴任。司馬師の死後、司馬昭に封爵を与えるよう曹髦に進言した。 |
王弼 | 男性 | 王業の子。王粲の一族。何晏らと共に、「玄学」を創始したとされている。 『老子』『易(周易)』の注釈を書き、『道略論』を著述した。鍾会とは仲が良く「聖人」についての議論が史書に残っている。 |
郭奕 | 男性 | 魏の臣。郭嘉の子。父の死後は曹操の館に引きとられた。後に魏の太子文学となる。 博学だが、相手によって態度を異にしたという。 |
郭氏 | 女性 | 郭永の娘。父が「娘は女の中の王だ」と自慢していたため「女王」と呼ばれた。 曹丕が魏帝となると、貴妃として寵愛される。その後、張韜と共に共謀して曹丕に甄姫を処刑させた後、皇后となった。 しかし子がなく、皮肉にも甄姫の子・曹叡を育てることになる。 |
郭循 | 男性 | 「郭脩」とも。魏の将であったが、姜維率いる蜀軍に敗れ捕虜となる。 その後蜀で左将軍に命じられると劉禅の暗殺を図る。機を得られなかったものの、蜀の重臣であった費禕を殺害する。 |
夏侯栄 | 男性 | 魏の将。夏侯淵の五男。7歳にして文書を書き、曹叡の友人であった。 定軍山の戦いで父の戦死を知ると、劉備の軍に突入し、戦死した。享年12歳。 |
夏侯儒 | 男性 | 夏侯尚の従弟。張既と共に涼州方面で活躍。 242年、朱然ら五万が樊城を包囲したため救援に来たが、寡兵であったため陽動に徹し司馬懿の到着まで時間を稼いだ。 |
夏侯 令女 | 女性 | 夏侯文寧の娘。曹爽の従弟・曹文叔の妻。 若くして夫に先立たれ、子がなかったため父親から再婚を勧められるが、自分の耳を切って拒絶。 曹爽一族が滅ぼされた後、ふたたび再婚を勧められると、今度は鼻をそぎ落として拒んだ。 貞節を司馬懿から感心され、養子を取って後継ぎとすることを許された。 |
華佗 | 男性 | 徐州で学問し『経書』を学んだ医師。民衆から「神医」と称えられた伝説的名医。 麻沸散という歴史上最初の麻酔薬を手術で使ったとされる。 後に曹操の典医として仕えたが、士大夫として待遇されないことに不満を覚えて帰郷。 妻の仮病を理由として二度と戻ろうとしなかったがそれが発覚し投獄される。 獄死する前に医学書(「青嚢書」)を獄吏に託そうとしたが拒まれ、焼き捨ててしまった。 |
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戯志才 | 男性 | 曹操配下の臣。荀彧の推挙で曹操に仕える。 策略に優れ、重用されたが若くして死んだ。戯志才の後任に荀彧が推したのが郭嘉である。 |
阮瑀 | 男性 | 建安七子の一人。蔡邕に師事して、学問を修めた。 陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。 |
管輅 | 男性 | 占師。天文、周易(易経)に通じ人の命数を見ることができた。 曹操に呼ばれて占いを披露。蜀の攻勢と夏侯淵の戦死、魯粛の病死、許昌の火災を言い当てた。 |
魏諷 | 男性 | 後漢の臣。鍾繇に召し出された。 曹操が劉備との漢中攻防戦で出征中に、衛尉の陳禕と共謀して鄴を乗っ取る計画を立てるが、密通者がいたため失敗した。 |
牽招 | 男性 | 牽弘の父。魏の雁門太守。袁紹、袁尚に仕え、曹操に降る。 当時、烏丸族は袁譚に協力し騎兵を繰り出していたが、趙王・蘇僕を説き伏せ援兵を中断させた。 曹丕即位後、異民族統治や水路の開通などで功績を挙げる。辺境統治の評判は田豫に次ぐ。 |
耿紀 | 男性 | 魏の侍中。若くして名声があり、丞相掾に就くと曹操に評価され侍中に昇進し、少府を代行した。 ある時、杜畿が訪ねて来て一晩中語り明かしたが、隣家でそれを聞いた荀彧は杜畿の非凡さを知り推挙した、という逸話が残っている。 218年、曹操の留守中に吉本・金禕・韋晃らのクーデターに加担したが、失敗し討伐された。 逮捕されると「わし自らがことを謀らなかったばかりに、小僧共に狂わされたことが残念だ」と言って処刑された。 |
高堂隆 | 男性 | 魏の官僚。曹操に召されて丞相府に入る。 曹丕の代に曹叡の守り役となり、学術天文に優れていたことから暦の研究を命じられた。 曹叡が即位すると陳留太守などを歴任。曹叡が宮殿の造営を続けると、厳しく諌めた。 |
国淵 | 男性 | 魏の官僚。師の鄭玄から絶賛された。 曹操に仕え、屯田政策を統括し、5年間で国庫を回復させた。 潼関の戦いの頃、河間で田銀と蘇伯が反乱を起こすとこれを鎮圧。その功績で魏郡太守となる。 |
呉質 | 男性 | 魏の官僚。朝歌の県長。魏を代表する文人の1人。 曹丕と親交があり、曹操の歓心を得させた。曹丕の即位後は傲慢な態度を取り、死後の一時期は醜侯と呼ばれていた。 |
崔林 | 男性 | 魏の官僚。崔琰の従弟。 若い頃は崔琰以外からは評価されなかったが、曹操が冀州を平定した頃には、徳政の評判から曹操に召し出された。 御史中丞や尚書などを勤めた後に幽州刺史となるが、上司の呉質にへつらわなかったため左遷され、人々に惜しまれる。 曹叡が即位すると光禄勲、司隷校尉となり、司空まで昇った。 また、後に名士となる王経を平民の中から抜擢したことで、称賛を受けた。 |
車冑 | 男性 | 後漢の徐州刺史。曹操と劉備が呂布を討った後、劉備の代わりに徐州を治めた。 その後、袁術討伐のために徐州に入った劉備を、曹操の命で討伐することになり、陳登に相談をもちかける。 しかし陳登が劉備に味方していたために計画は漏れるところとなり、関羽と張飛に斬られた。 |
周不疑 | 男性 | 劉表の幕僚・劉先の甥。若くして才能にあふれ、曹操からは会ったその日に娘の縁談を申し込まれたほどであった。 曹操の烏丸討伐に従軍し、柳城攻略の十通りの計略を献上したという逸話が残る。 曹操の息子の曹沖の学友にと期待されていたが、曹沖死後は曹操から疎まれ殺害された。 その際、曹丕が諫めたが、曹操は「かの者はお前では御しきれぬ」と言ったという。享年17歳。 |
鍾毓 | 男性 | 魏の重臣・鍾繇の子。鍾会の兄。御史中丞、侍中、廷尉、尚書、青州刺史などを歴任し、後に徐州や荊州の軍事を統括した。 諸葛亮が祁山に進出した際、自ら迎撃しようとする曹叡を諌めた。後に曹爽が蜀に遠征し、夏の暑さで苦戦した際も撤兵を勧めた。 他にも農民の賦役を軽減し、農業を振興するように上奏するなど、民の労苦を考慮した献策を続けた。 |
邵悌 | 男性 | 魏の官僚。263年、司馬昭が鍾会に蜀討伐戦を命じた際、「鍾会は野心家だから兵権を委ねるべきではない」と進言。 鍾会と鄧艾が蜀を滅ぼした後、鄧艾に謀反の疑いがあると鍾会が上奏し、 司馬昭が鄧艾逮捕の軍を起こすと、「鍾会に鄧艾逮捕を命じればよい」と進言したが却下された。 |
徐邈 | 男性 | 魏の官僚。曹操が河北を平定した際に見出され、南安、平陽、安平などの太守を歴任し、各地で業績を上げた。 曹叡の代には涼州刺史となり、水田開発、教育、西域との通行などに尽力。西方異民族の入貢を受けるようになる。 その後、中央に戻り、大司農、司隷校尉、光禄大夫などを歴任し、百官から敬慕された。晩年、司空に任ぜられたが固辞。 酒好きで、禁酒令を破って曹操の怒りを買い、鮮于輔の取りなしで刑を免れたことがある。 |
石韜 | 男性 | 同郷の徐庶と親交があった。董卓が政権を握り、中原で争いが起きると、2人で南方に逃れる。 荊州で諸葛亮、徐庶、孟建と遊学し、諸葛亮から「仕官すれば刺史か郡守になる」と評された。 後に荊州が曹操の支配下に入ると北に帰還。曹丕の代に魏に仕官し、郡守、典農校尉を歴任した。 石韜が高官に就いていないことを知った諸葛亮は、魏の人材の豊富さに驚いたという。 |
鮮于輔 | 男性 | 魏の将軍、政治家。劉虞に仕えていたが、劉虞が公孫瓚に殺害された後、閻柔を旗頭に漢族・北方民族連合数万の軍を集め、復仇の戦を起こす。 共通の敵を持つ袁紹軍と合流し、公孫瓚を滅ぼす功績を挙げ、滅亡後は旧領の統治を行った。 曹操と袁紹の戦いで北方が混乱すると、田豫から曹操への帰順を説かれ、曹操に降伏。 烏丸遠征にも従軍し、曹丕の即位後、虎牙将軍・輔国将軍を歴任。北方民族との交渉窓口も務め、鮮卑の大人(酋長)軻比能との折衝に当たった。 |
曹奐 | 男性 | 魏の燕王・曹宇の子。曹操の孫にあたる、魏最後の皇帝。 260年、第4代皇帝・曹髦が殺されると、司馬昭に迎えられて皇帝に即位した。265年、司馬昭の子・司馬炎に譲位を強要される。 情けを請うが聞き入れられず、賈充、裴秀の勧めによって禅譲を決意。魏という国名は中華から姿を消し、曹奐自身は陳留王となった。 |
曹真 | 男性 | 曹操の養子。曹爽の父。曹操の親衛騎兵隊・虎豹騎の隊長、後に中領軍、夏侯淵戦死後の後任として征蜀護軍となる。 曹丕・曹叡と2代に渡って軍の中核を担い、諸葛亮の第1次北伐・第2次北伐に対し魏軍の総大将として蜀軍を退ける。 230年の8~9月に漢中への反攻作戦を試みるが異常長雨により中断を余儀なくされ、その心痛で231年4月に病死。 史書では名将かつ人格者とされるが、殆どの創作物では凡将として描かれるのが大半であり、真・三國無双でも基本的にこれに準じている。 |
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曹節 | 女性 | 曹操の娘、曹丕の妹。姉妹とともに献帝に嫁ぎ、後に皇后(献穆皇后)となる。 曹丕から献帝に禅譲を迫る使者が来るとこれを阻むが、数日にわたるやり取りの末、ついに「天に祝福されないのか」と言って伝国璽を投げ付け、涙を流した。 同姓同名の人物として十常侍の男性・曹節がいた。 |
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曹芳 | 男性 | 魏の明帝・曹叡の養子。魏の第三代皇帝。曹叡の死後、わずか8歳で即位。 当初は曹爽に政権を掌握されるが、249年に司馬懿が曹爽を打倒した後は、司馬一族が政治を取り仕切った。 254年、自らをないがしろにする司馬師を憎み、夏侯玄、李豊、張緝らに司馬一族打倒の密勅を与えるが、露見。 夏侯玄らと張緝の娘に当たる張皇后は殺され、自らは斉王に格下げされた。 |
棗祗 | 男性 | 後漢末の将。董卓討伐に従事した後、兗州牧曹操に出仕。 張邈・陳宮らの造反に対し、棗祗は東阿の官民を統率して守備を固めた。 陳宮は直接東阿を攻撃するが、程昱が倉亭津を破壊したので行軍が遅れ、結局失敗した。 羽林監時代、韓浩らと共に曹操に屯田制の実行を進言。最初、曹操は採用を躊躇うが、採用を熱弁したため、屯田都尉を拝命し実施に当たる。 屯田は顕著な成果を挙げ、後に任峻が大々的に展開し、曹操陣営の軍事力は飛躍した。 |
倉慈 | 男性 | 魏の政治家。淮南での屯田で綏集都尉を務める。曹丕の代に長安令となり、曹叡が即位すると敦煌太守となる。 敦煌は戦乱の中で隔絶され統治されていない状態だったが、倉慈が赴任すると、土地の権力者を押さえ、貧しい民を救済した。 土地を民に振り分け、法治のもとに裁決を下した。西域との貿易で公平な利益が出るよう取り計らい、異民族はその徳を讃えて服した。 数年この職を務めて在官のまま没し、官民は悲しみながら倉慈の遺像や祠を立てて慕い祀ったという。 |
曹沖 | 男性 | 曹操の子。母は環氏。曹拠、曹宇の兄。年少期から聡明で理解力に優れていた。 202年、孫権から象が献上された際、群臣の中で1人だけ象の重さの量り方を考案し、曹操を喜ばせた。 判断力、仁愛の情を曹操から愛されていたが、13歳で病没。名医の華佗を処刑したことを曹操に後悔させた。 曹丕も「倉舒(曹沖の字)が生きていたら私は後継者になれなかっただろう」と漏らしている。 |
蘇則 | 男性 | 魏の政治家、武将。酒泉、安定、武都の太守を歴任し、その統治に威名があった。 曹操の張魯討伐の際に見出され、軍を先導。張魯が投降すると下弁の氐族、金城の羌族を慰撫する。涼州の民心を安定させ農耕技術を教えたため、数千家が帰順した。 麹演が涼州で大規模な乱を起こすと郝昭らと平定に従事し、偽降してきた麹演を斬った。 曹丕が禅譲を受けて後漢が滅ぶと慟哭した。曹丕の狩猟に随行した際に、過失を侵した官を斬ろうとした曹丕を諌める。 これを曹丕に疎まれて左遷され、任地の東平に向かう途上で没した。 |
張既 | 男性 | 魏の官僚。曹操が司空になると召還された。 袁尚軍との戦いでは鍾繇の命で馬騰を説得し、馬超らに郭援を討たせた。 曹操が荊州攻略に動き出すと、後顧の憂いを絶つために馬騰に出仕を促して馬超に軍勢を統率させる。 馬超が反乱を起こすと、曹操に従い鎮圧に当たった。 魏建国後は尚書、雍州刺史となり、張魯討伐、劉備との漢中攻防戦に参加する。曹丕即位後は異民族の反乱平定に奔走した。 |
趙娥 | 女性 | 龐子夏の妻、龐淯の母。龐娥と呼ばれることもある。 父・趙安が祿福県の李寿に殺害されため、病死した三人の弟に代わって復讐を誓う。 名刀を袖に隠し持ち、ある日の白昼に李寿を狙って車で出かけると、はたして李寿に遭遇したので、罵って斬りかかった。 李寿は馬から振り落とされたが、刀が樹にぶつかって折れたため、抵抗する李寿の喉を手で突いて怯ませ、剣を奪って首を斬った。 復讐を果たすとそのまま役所に出向き、法の裁きを受けようとしたが、しのびなく思った県長や守尉らの計らいで家に戻された。 ちょうど恩赦があったためこれにより赦免となり、彼女の行いは各地で顕彰されることになった。 |
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趙昂 | 男性 | 天水の参軍事。妻は王異。馬超に対し挙兵し、楊阜と協力して退けた。 漢中で戦死した益州刺史・趙顒と同一人物という説がある。 |
張節 | 男性 | 魏の臣。曹奐に向かって禅譲を迫る司馬炎を罵倒する。激怒した司馬炎は部下に命じて棍で打ち殺させた。 |
張特 | 男性 | 魏の武将。牙門将軍を経て合肥新城の守将となり、その功績で列侯に封じられた上で雑号将軍・安豊太守となった。 253年、諸葛恪に包囲され、兵力の半分および城壁を崩されると 「魏の法律では100日以内に援軍が来なければ降伏しても罪を問われない。あと数日で降伏するので待ってほしい」と呉軍に申し出る。 呉軍が攻撃を中止するとその間に城壁を修復。戦闘を再開して諸葛恪に矢を射当て、呉軍が暑さと疫病で退却するまで戦い抜いた。 この功績で |
陳瑀 | 男性 | 魏の幕僚。陳本、陳騫の父。 孫策や袁術からの任用を断り、陳登と共に曹操に付き孫策の侵攻を防いだ。赤壁の戦いの後、曹仁と共に江陵を守る。 攻め寄せた周瑜を迎撃し、周瑜戦死の偽報に乗せられて曹仁が出陣している間、城を守備した。 後に中央に移って魏郡太守となり、漢中討伐の後、尚書に就任。尚書令を経て、司徒まで昇った。 |
丁儀 | 男性 | 魏の官僚。曹植の腹心。丁沖の子。丁廙の兄。 斜視を理由に縁談を曹丕に阻まれたこともあり楊修、丁廙と共に、曹植を曹操の後継者にすべく画策。 曹丕が後継者に決まると、不遇を恨む曹植と共に飲酒にふけった。 曹操没後に曹丕が魏王となると、葬儀に出席しない曹植を詰問する使者に「曹植が魏王になるべきだった」と言い放つ。 果たして曹丕の怒りを買って殺されたが、その文才は死後多くの人々に惜しまれたほど優れたものだった。 |
鄭渾 | 男性 | 魏の政治家。鄭泰の弟。淮南に避難し袁術に厚遇されたが、後に華歆の下に投じ、曹操に召された。 任地で桑畑や稲田を奨励して豊かにさせ、人々に喜ばれ「鄭」を字にする男女が増加するほどだった。 その後、関中に赴任して梁興に対抗して民心を安定させ、夏侯淵の梁興討伐を支援した。 京兆尹でも農業を推進し、曹操の漢中侵攻の兵站を担い賞賛される。 曹丕の代にも痩せた土地で灌漑を行って民を利し、曹叡によって治績が全国に公布された。 |
丁氏 | 女性 | 曹操の初代正室。子に恵まれず、生母を亡くした曹昂を代わりに愛育した。 宛城の戦いで愛する子を失った悲嘆で、彼女と曹操の仲は冷え込んでしまう。 曹操は気持ちが修復するのを待つため一旦は彼女を実家に帰らせるが、心の溝は終生埋まらず、そのまま離縁した。 |
丁斐 | 男性 | 曹操の同郷人。賄賂を得たり、上司の牛を盗んだりと品行に優れなかったが曹操は側に置いた。 馬超との戦いで曹操の渡河中に馬超軍が追いすがった時には、陣中の牛馬を全て放つことで馬超軍の気をそらして曹操の危機を救った。 典軍校尉に復帰後数年で病死。 |
丁謐 | 男性 | 丁斐の子。明帝(曹叡)のとき度支郎中として召された。 斉王曹芳が立つと、散騎常侍となり、尚書に転じて、曹爽に重んじられた。 しばしば人を弾劾し、貴人を侮蔑したので憎まれた。正始十年(249)、司馬懿の起こした政変により殺された。 |
杜畿 | 男性 | 魏の官僚。杜恕の父、杜預の祖父。荀彧の推薦で曹操に仕える。 河東太守として農業生産の回復、軍事訓練、学校開設などに尽力する。 馬超の反乱では、兵糧の調達をすべて河東郡でまかない、漢の蕭何に並び称された。 魏建国後は尚書僕射などを歴任。曹丕が呉を攻めた際は留守を任される。 その後、皇帝の御座船建造の指揮を執るが、試走中に船が転覆し溺死した。 |
杜恕 | 男性 | 杜畿の子。杜預の父。曹叡(明帝)の時代に散騎黄門侍郎に就くが、中央にいること八年、常に正論をもって意見を述べた。 その後は性格の為に周囲とうまく合わせる事ができなずしばしば外地の任務に就いたが、 幽州刺史のときに過失から程喜により弾劾され平民に落とされた。 その後、暇な身分を利用して8節の『体論』と1篇の『興性論』という書を著し、章武郡で没した。 |
馬鈞 | 男性 | 魏の科学者。若い時は遊び暮らしていたが、生活に苦しくなり織機を改良。発明の才能を開花させる。 魏に仕えてからも様々な発明をし、曹叡に指南車、水車、機械仕掛けの人形などを献上した。 連弩や投石車の改良なども構想し、晋の傅玄から「天下に名高い器用者」と評された。 |
畢軌 | 男性 | 魏の官僚。若い頃から名声があり、明帝から重用された。 并州刺史となるが異民族討伐に失敗し、蒋済の進言で中央に戻った。 後に曹爽が実権を握ると取り巻きの一人となり、司馬懿のクーデターの折に始末された。 |
傅幹 | 男性 | 初め馬騰に仕え、袁尚や高幹と手を結ぼうとするのを止めさせ、曹操への協力を説いた。 その後、曹操配下に転じてからは、劉備の益州攻めの成功を予見した。 また、建安19年(214年)秋7月、曹操が孫権を討伐しようとすると、徳をもって懐柔するのが良いとして征伐を諌めたが、聞き入れられなかった。 結局この征伐は、捗捗しい戦果を残せずに終わっている。 |
卞氏 | 女性 | 曹操の妻。曹丕、曹彰、曹植、曹熊の母。 元は側室だったが、正室の丁氏が離縁させられると、代わりに正室となった。 謙虚な人柄で、倹約家。曹操が死んだという誤報を受けても動じない冷静さを備えていた。 離縁された丁氏を礼遇し、曹操の子で母を亡くした者をすべて養育した。 |
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毛玠 | 男性 | 曹操の幕僚。崔琰と共に官吏選抜を担当。 清廉公明な人選で堅苦しいと苦情が出るほどだったが、曹操に擁護された。 216年、崔琰の処刑に不満を漏らしたと訴えられ入獄。桓階、和洽の弁護で死は免れるが、免職された。 |
孟建 | 男性 | 諸葛亮、徐庶、石韜と共に荊州で遊学し、諸葛亮から「刺史か郡守の器」と評される。 魏に仕え、温恢の死後に涼州刺史となり、優れた政治手腕を発揮し征東将軍まで昇進している。 諸葛亮は北伐で祁山に出陣した際、司馬懿からの書状の返答を持ち帰る杜襲に「公威(孟建の字)によろしく」と伝えさせている。 |
游楚 | 男性 | 魏の官僚。父の游殷が張既を気に入り息子の将来を託したことから、父の死後、張既に推挙され曹操に仕える。 涼州方面の太守を歴任したが、どの任地でも恩恵をもって統治した。 諸葛亮の第一次北伐が開始されると、天水・南安二郡の領民は蜀軍に呼応して太守を追放したが、 隴西太守であった游楚は、利害を説いて領民を説得し十日余りの攻勢を防ぎきった。 この功を以って列侯に封ぜられ、昇殿すらも許された。 |
劉靖 | 男性 | 魏の武将、政治家。劉馥の子。 河南尹となると民に農蚕の指導を行い、治安向上や防災政策、官吏の綱紀を引き締める仁政を行い、劉馥の遺風を継いだと賞賛された。 鎮北将軍・仮節都督・河北諸軍事に任じられると、侵犯する異民族ごとに防衛策を策定し、北辺の守備に功績を上げた。 薊で堤防を築いて戻陵堰を修復し、灌漑を整備し稲作を奨励して民を利した。 |
劉馥 | 男性 | 曹操の揚州刺史。袁術配下の戚奇と秦翊を説き伏せ、共に曹操に仕えた。 曹操が袁紹一族との戦いに奔走している間、揚州刺史に携わり、梅乾、雷緒、陳蘭の横行に対処した。 以後は学校建設、屯田、堤防や灌漑の整備・合肥の城壁強化など数々の功績を上げた。 建安13年(208年)に死去したが、劉馥が築いた合肥の一大拠点は、孫権軍の合肥攻撃を撃退する上で大いに貢献した。 |
梁習 | 男性 | 魏の并州刺史。曹操が司空になると、召し抱えられて各地の県令を歴任し、功績を上げた。 曹操が高幹を討伐して并州を支配した後、并州刺史となり、匈奴を恭順させて辺境地帯に平穏をもたらした。 曹丕の代にも并州刺史に就任し、辺境経営の功績は天下第一と評される。曹叡の代に中央に戻り、大司農に任ぜられた。 |
令狐愚 | 男性 | 魏の官僚。王凌は叔父にあたる。本名は令狐浚であったが、 些細なことで田豫を批判したことを曹丕に咎められ投獄された後に「愚」と諱を改めた。 249年、皇帝(曹芳)が若年であるため司馬一族の専横を許していると考え、 強大な軍権を有していた叔父の王凌を首謀者に仕立て上げて皇族で年長の曹彪を皇帝に擁立しようと目論む。 しかし、令狐愚は計画の途中で病気に罹り死去した。 |
婁圭 | 男性 | 曹操の幕僚。諸侯が董卓打倒の軍を起こした時、荊州の北境で兵を集め、劉表と同盟を結ぶ。 その後、曹操に仕え、軍事など国家の大計には必ず参画。 馬超の討伐では多大な功績を上げ、曹操に「子伯(婁圭の字)の立てる計略は、わしも及ばぬ」と評された。 しかし、後に不遜な発言をしたため、曹操に処刑された。 演義では夢梅居士と号し、渭水の戦いで馬超軍の夜襲に悩む曹操に、寒気を利用して氷の城を作るよう教えた。 |
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呉
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袁夫人 | 女性 | 袁術の娘。袁術の死後は他の妻子と共に劉勲の下に身を寄せるが、劉勲を破った孫策に保護され、その後孫権の側室となる。 練師(歩夫人)の死後に皇后に推されるが、これを辞退している。のち、潘夫人の讒言が元で孫権に殺された。 無双ブラストでは「袁姫」として登場。 |
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韋昭 | 男性 | 呉の臣。正史では晋文帝・司馬昭の名を避けて「韋曜」と記されている。 文才があり孫皓に重用されたが態度が反抗的とされて処刑された。 |
賈華 | 男性 | 呉の武将。赤壁の戦いの直後、合肥に出陣した孫権を宋謙と共に護衛した。 劉備が孫権の妹との婚礼のため甘露寺に赴いた際、孫権と呂範の命で兵を潜ませる。 呉国太が劉備を気に入らなかった場合、劉備を斬る手はずだったが、劉備に察知された。 劉備を気に入った呉国太の怒りを買い処刑されそうになるが、劉備のとりなしで命を助けられた。 |
賀斉 | 男性 | 呉の武将。孫策、孫権に仕え、陸遜とともに山越討伐に活躍した。 豪奢な性格で、上質かつ派手な武器、防具、軍船を好んで使用した。 |
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何植 | 男性 | 呉の司徒。孫晧の母・何氏の弟で孫晧の叔父。 279年、司馬炎が呉討伐軍を起こすと、孫晧に対応策を問われた。 |
王惇 | 男性 | 呉の武将。219年、孫権が献帝に献上物を捧げた際、馬の購入を命じられた。 256年、孫慮から孫綝誅殺を持ちかけられるが、発覚して殺された。 |
賈覈 | 男性 | 呉の臣。文章学識を評価され、孫皓の代に右国史となり、韋昭、薛瑩らと共に「呉書」の編纂に当たる。 たびたび孫皓を諌めたが咎は受けず、長らく任用された。 しかし、275年(呉滅亡の五年前)晋への侵攻を諌めるとついに左遷された。 |
郭馬 | 男性 | 呉の合浦太守脩允の私兵隊長。 脩允が死亡して私兵の解散が命じられると、反乱を起こした。反乱は交州一帯に広がり、晋の呉討伐を招いた。 |
闞沢 | 男性 | 呉の幕僚。孫権即位後、尚書、中書令。 後に太子太傅となり、孫和を教育する。呉の暦「乾象暦注」を著し、虞翻から「現代の董仲舒」と称賛された。 |
虞汜 | 男性 | 呉の武将。虞翻の第四子。虞翻の子の中で第一の名声を得た。 陶璜とともに交趾を攻め落とし、晋から交州を奪回した。 |
魏邈 | 男性 | 呉の武将。 孫綝が武昌に駐屯したいと願い出た時、「孫綝を地方に出せば必ず謀反を起こす」と孫休に説いた。 孫綝が武昌に駐屯すると、孫綝が武器と兵士を集め謀反を企てていると奏上。 丁奉の計略で張布が孫綝を討伐した際、丁奉、施朔と共に孫綝の弟たちを捕らえた。 |
嬀覧 | 男性 | 姓の「嬀」の字がゲーム内に存在しない。爲覧とも。 孫翊の部下だったが、同僚の戴員と共に謀反を起こして孫翊を殺害し、その罪を実行犯の辺洪になすりつけてこれも殺害。 さらには孫翊の妾や侍女に手を出したうえに、二人の行為を叱責した孫河も殺害する。 ついには孫翊の妻である徐氏にも言い寄るが、徐氏は「夫の喪が明けるまで待って欲しい」と切りぬける。 その後「喪が明けたから」と呼び寄せられたところを、徐氏が用意していた伏兵によって戴員と共に斬られた。 |
厳畯 | 男性 | 呉の官僚。張昭の推薦で孫権に仕える。 軍事は苦手で(孫権が試したところ馬に乗れなかった)、魯粛の後任になるのを固辞した。 孫権が即位した後、蜀への使者となって諸葛亮に評価された。78歳で死去。著作に「孝経伝」「潮水論」がある。 |
高寿 | 男性 | 呉の武将。孫韶の配下。 225年、魏の曹丕の広陵侵攻に対し、孫韶の指揮で500の兵と共に奇襲をかけて、曹丕の副車と羽蓋を奪う功績を挙げた。 |
伍延 | 男性 | 呉末期の将。晋が呉討伐戦を起こすと、丞相・張悌の献策で都督として江陵に赴任。 攻め寄せた杜預を迎撃するが、同僚の陸景が張尚に斬られ味方が総崩れになると城を捨てて逃走。 その途上、伏兵にあって捕らえられ、杜預の前に連行されて斬られた。 |
谷利 | 男性 | 呉の武将。孫権の側近で、謹直な性格を孫権に賞されて親近監を務めた。 合肥の戦いに随軍し、退却時に孫権の乗馬に鞭を入れ、馬を跳ばし孫権の窮地を救った。 孫権が巨艦の試験航海に出た際に嵐に遭遇すると、孫権の航海続行の命令に反し、舵取りに剣を向けて近くの樊口に行くよう命じた。 孫権から臆病者と誂われるが、孫権を失って呉に影響が出ることを怖れたと答えた。 以後、孫権は谷利を重視し、名前で呼ばず「谷」と呼んで敬意を払われた。 |
呉国太 | 女性 | 『演義』の登場人物。孫堅の第2夫人で、孫朗、孫尚香の母。姉の呉氏は孫堅の第1夫人で孫策、孫権、孫翊を生む。 孫権の代に姉の呉氏が死去し、以後、呉国太と呼ばれる。 赤壁の戦いの前、国論が曹操への降伏と抗戦に割れて悩む孫権に、孫策や姉の遺言を思い出させ、周瑜に相談させる。 後に劉備を気に入って孫尚香の婿に迎えた。 |
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吾彦 | 男性 | 呉の建平太守。西陵の戦いに参戦。 長江を流れる多量の木屑から、晋の軍船建造を察知。その襲来を予見し、鉄鎖で長江封鎖を試みた。 晋の侵攻時は建平郡を死守。呉主・孫皓の降伏を知り、投降する。 |
吾粲 | 男性 | 呉の武将。孫策の死後、孫権が江東で人材を募ったときに参画。 孫和と孫覇が後継者問題で争ったとき、孫和を擁護したため孫覇に讒言され、獄死する。 |
胡綜 | 男性 | 呉の政治家。胡沖の父。幼い頃父を亡くして母と江南に移住し、孫策に見出される。 孫権とは同年代で、机を並べて共に勉強した。孫策没後は孫権に従い、黄祖討伐や夷陵の戦いで活躍する。 晋宗が魏に寝返ると賀斉・糜芳らと共に討伐し、周魴と共に鄱陽の賊を討伐した。 政治面では国政全般の処理に携わり、外交書や官位の任命書、魏の呉質に寝返りを勧める手紙などを起草した。 |
顧譚 | 男性 | 顧雍の孫。諸葛恪らとともに孫登の太子四友となる。 孫和と孫覇が後継を争っているとき、孫和を擁護。孫覇派の全寄らに陥れられ流罪となり、憤死した。 |
胡沖 | 男性 | 呉の中書令。胡綜の子。 晋軍が迫ったため自決しようとした孫晧に対して、光禄勲の薛瑩とともに、蜀帝・劉禅にならって降伏するよう上奏した。 |
左奕 | 男性 | 西陵の歩闡が晋に投降した際、陸抗の指揮下で討伐に向かう。 吾彦、蔡貢らと共に西陵を包囲し、歩闡の救援に来た羊祜、楊肇らを迎撃した。 |
施朔 | 男性 | 呉の武衛士。実権を握っていた孫綝が武昌に駐屯した際、魏邈と共に「孫綝に謀反の動きがある」と呉帝・孫休に奏上した。 丁奉の計画で張布が孫綝を討った後、丁奉、魏邈と協力して孫綝の弟たちを捕らえた。 |
謝旌 | 男性 | 呉の武将。関羽の復讐のため、劉備が宜都(ぎと)に攻め込んだ際、孫桓に従って迎撃。 張苞と30余合渡り合うが、かなわず敗走する。翌日、孫桓を守るために張苞の前に立ちふさがり、ひと突きで討たれた。 |
脩允 | 男性 | 脩則の子。呉将。晋に奪われた交州を陶璜に従軍し取り返し、父の仇の毛炅を捕らえた。 復讐にはやる脩允を陶璜は抑えたが、毛炅が陶璜を襲撃しようと企てた事を知り毛炅を殺害する。 |
周処 | 男性 | 呉の将。周魴の子。若い頃に乱暴狼藉を働き、村の者から猛獣、大蛇と共に三害と忌み嫌われた。 後に改心し学問に打ち込み、孫晧時代の末期は無難督に任じられた。呉滅亡後は晋に仕え、新平や広漢の太守として赴任。 後に中央に入ると外戚や寵臣を遠慮なく糾弾したため、恨みを買う。 後に斉万年の討伐を命じられるが、怨恨から後詰を得られず、奮戦するも戦死した。 |
朱拠 | 男性 | 呉の武将。朱桓の同族。妻は孫魯育。孫権から呂蒙、張温の後継者として期待された。 孫権が帝位に即くと左将軍となって孫権の娘・孫魯育を娶り、後に驃騎将軍まで昇進した。 しかし、二宮の変に巻き込まれ自害した。 |
鍾離牧 | 男性 | 呉の武将。建安、鄱陽、新都三郡で山越族が起こした反乱を平定。 頭目だった黄乱、常倶らを屈服させて功績を上げた。 魏が蜀を滅ぼすと、武陵郡に太守として赴任し、魏と結託した五渓の異民族を制圧。 その功績により公安の督となり、その後、濡須の督に転任した。 |
諸葛靚 | 男性 | 諱の字が常用漢字はおろか特殊漢字にも存在しない。 魏、呉の将。諸葛誕の末子。姉は司馬伷に嫁いでいる。 諸葛誕は反乱を起こした際、呉から援軍を得るために呉綱に命じて諸葛靚を人質として送った。父の死後はそのまま呉に残り官職を歴任。 孫皓が建業から荊州の武昌に遷都した際は、丁固と共に建業の守りに当たり、反乱を起こした施但を鎮圧した。 280年、晋の侵攻が始まると副軍師として参戦し、張悌、沈瑩、孫震らと共に敵将の張喬を降す。 反乱を懸念して皆殺しを進言したが張悌に却下された。 その後、晋軍の攻勢で戦線が崩壊すると、張悌にも撤退するよう腕を引いたが、張悌の決死の覚悟を聞くと涙ながらに撤退した。 呉滅亡後は旧知であった司馬炎から侍中に推されるが固辞する。郷里に戻ると終生朝廷の方に向かって座ることはなかった。 |
徐氏 | 女性 | 孫権の弟・孫翊の妻。才色兼備で卜占に通じる。 孫翊が宴会を開こうとした時、卜占で大凶と出たため中止を勧めるが、孫翊は予定通り酒宴を開き、嬀覧らに暗殺された。 その後嬀覧に再婚を強要され、その場は承知したふりをして孫翊の腹心だった孫高と傅嬰に仇討ちを相談。 孫翊の喪が明けた後、嬀覧達を招き寄せて孫高らに討たせた。 このことで江東の人々から称賛され、後に孫権の館に引き取られ、余生を過ごした。 |
沈瑩 | 男性 | 呉の武将。丹陽太守で、青巾兵と呼ばれる精鋭を率いた。 晋軍が来襲すると、張悌、諸葛靚、孫震と共に迎撃。版橋で張喬を包囲して降伏させた後、張翰(ちょうかん)、周浚と交戦。 三度攻勢をかけるが勝てず、後退したところを薛勝、蒋班、張喬に攻められ敗北。王渾に斬られた。 |
岑昏 | 男性 | 呉の中常侍(宦官)。孫皓の寵愛を受け、これを諌めた濮陽興、張布は孫皓の怒りを買って三族皆殺しとなった。 晋軍が迫ると揚子江を鉄鎖で封鎖する策を進言するも、鉄鎖は晋の王濬によって破られ、晋軍は揚子江を下って侵攻。 その後、呉の陣営では降伏する者が相次ぎ衰退の原因は岑昏にあると上奏され、孫皓が止める間もなく群臣に殺された。 |
盛曼 | 男性 | 呉の将。蜀が滅びた直後の264年、陸抗、歩協、留平らと共に軍勢を率いて旧蜀領へ侵攻する。 しかし、巴東で羅憲を包囲するが胡烈が援軍に来たため撤退した。 |
薛瑩 | 男性 | 呉の官僚・薛綜の子。薛珝の弟。 孫休の代に散騎中常侍となるが一時、病気で辞職。孫皓の代に再び登用され、韋昭、華覈らと共に「呉書」の編纂に当たった。 陸凱が臨終の際、孫皓に送った書状で、楼玄、賀邵、張悌、滕脩、陸抗らと共に呉の根幹を担う臣と記されている。 呉が晋に降伏した時は、降伏文書を起草。晋に仕え、散騎常侍まで昇進した。 |
薛珝 | 男性 | 呉の官僚・薛綜の子。薛瑩の兄。 守大匠(建設大臣代行)となり、呉帝・孫皓から、清廟(孫皓の父・孫和を祀った廟)の正殿と奥殿の造営を命じられた。 269年、虞汜、陶璜らと共に合浦から交趾に攻め込み、その帰途で病死した。 |
全紀 | 男性 | 呉の黄門侍郎。全尚の子。母は孫綝の従姉。 258年、呉帝・孫亮から、暴政を振るう孫綝を討伐するよう密命を受ける。 しかし、父の全尚が計画を妻(全紀の母)に漏らしたため孫綝に露呈し、家族ともども処刑された。 この事件で孫亮も帝位を廃された。 |
全尚 | 男性 | 呉の重臣。全琮の族子。全紀の父。妻は孫峻の姉で、孫綝の従姉。娘が第2代皇帝・孫亮の皇后となる。 子の全紀が呉帝・孫亮から、暴政を振るう孫綝を討伐するよう命じられたことを妻に打ち明ける。 しかし、妻が孫綝に密告したため、計画が事前に発覚。 同じく孫綝討伐を命じられていた劉丞と共に、一族もろとも処刑された。 |
祖茂 | 男性 | 孫堅の武将。二刀流の使い手。 汜水関の戦いで董卓軍の華雄から夜襲を受けた際、孫堅の頭巾を付けて身代わりとなり、華雄に斬られた。 |
孫異 | 男性 | 呉の武将。孫韶の子。 263年、蜀の諸葛瞻からの援軍要請を受け、丁奉、丁封らと共に救援に向かう。 しかし、蜀が魏に降伏したため引き上げた。その後、司馬昭の侵攻を警戒して、南徐の守備についた。 |
孫河 | 男性 | 呉の皇族の一人であり、孫桓の父・孫韶の叔父。 孫堅の族子であったが、俞家の養子となる。孫堅の挙兵に若くして従い腹心として重用され、参加した戦いでは常に先鋒を務めた。 孫堅死亡後、配下の諸将は袁術配下に吸収されるが、呂範と共に孫策に付き従い、旗揚げまでの不遇時代を支え続けた。 独立後は呉や会稽攻略へ従軍し、孫権の代には李術の討伐でも功績を挙げ出世し、廬江太守となる。 だが、孫翊が暗殺された時に巻き添えで殺された。子の孫桓が幼少であったため、彼の軍は甥の孫韶が引き継いだ。 |
孫和 | 男性 | 孫権の三男。孫登の弟。孫覇、孫休、孫亮の兄。孫皓の父。 幼少期は孫権に可愛がられ、闞沢から教育を受けた。孫登の死後、皇太子となる。 しかし、母の王氏と対立した全公主の告げ口によって、孫権から疎まれた。更に弟の孫覇が孫権の寵愛を得たため後継者争いが勃発。 孫和を擁護した陸遜、吾粲、顧譚、朱拠らが罰され、孫和は廃嫡、孫覇は自害を命じられた。 後に諸葛恪に担がれるとの噂が流れ、全公主と通じた孫峻に自害を命じられた。 |
孫歆 | 男性 | 呉の武将。孫堅の甥にあたる孫賁の孫。孫述、孫震の弟。驃騎将軍。 晋が呉討伐戦を起こすと、迎撃に当たる。夏口で杜預軍と交戦し、夜の間に長江を渡った周旨に斬り殺された。 |
孫皎 | 男性 | 孫静の三男。孫瑜の弟。孫権の従弟。 曹操軍が濡須に侵攻するたびに迎撃して食い止め、精鋭と評される。 程普、黄蓋、孫瑜らが死ぬと、後任となり兵を引き継いだ。関羽討伐戦では呂蒙と共に出陣し、荊州平定に大きく貢献している。 些細な理由で甘寧と喧嘩し、孫権に仲裁されたこともある。 |
孫皓 | 男性 | 孫和の子。孫権の孫。呉の最期の皇帝。 264年、第3代皇帝・孫休が死ぬと、万彧、張布から推挙されて皇帝に即位。 宦官の岑昏を重用し、徐々に暴政を敷くようになる。相次ぐ年号の改元、土木工事の乱発などで国民、兵士の恨みを買う。 濮陽興、張布、万彧、留平、楼玄ら重臣はこれを諌めたが次々と処刑した。演義では晋への侵攻を企て、反対した陸抗を降格させた。 279年、晋が呉討伐軍を起こし、翌年に建業まで攻め寄せられると群臣の勧めもあって劉禅に倣い降伏した。 |
孫氏 | 女性 | 孫策の娘。陸遜が孫権に仕えるようになると、孫権の命で陸遜の妻となった。 孫策が江東に進出した際、「呉の四姓」のひとつ・陸家の陸康を討ったため、孫策と陸遜の一族は敵対関係となっていたが、 陸遜が孫権に出仕し、孫氏を妻に迎えたことは両家の和解を象徴する出来事となった。 |
孫秀 | 男性 | 呉の武将。孫権の弟の孫匡の孫。孫皓の代に、前将軍、夏口の督となる。 呉の皇族の中でも特に帝位に近く、大きな兵権を握っていたため、孫皓から警戒された。 270年、身の危険を感じ、妻や子飼いの兵士を連れて晋に亡命、驃騎将軍となる。 この厚遇ぶりから、以後、呉将の晋への亡命が相次いだ。呉の滅亡後、伏波将軍に降格するが、以後も重んじられた。 |
孫邵 | 男性 | 呉の初代丞相。孔融の功曹であったが、後に劉劉繇の下に身を寄せ、孫権が江東の主となると臣従。 様々な献策を行い、朝廷との交渉に際し献上物も送り、よく外交政策を提言した。 丞相就任は張昭ではと目されていたが、孫権の意向で丞相に任じられ、陽羨侯に封じられた。 |
孫紹 | 男性 | 呉の将。孫策の長子。 孫策が早世した際にはまだ幼少であり、先行きを案じた孫策は、跡継ぎとして次弟の孫権を選んだ。 孫権が即位すると、呉侯に封じられ、のちに上虞侯とした。 |
孫震 | 男性 | 呉の武将。孫堅の甥の孫賁の孫。孫述の弟。孫歆の兄。無難の督となる。 晋が呉討伐戦を起こすと、張悌、沈瑩、諸葛靚と共に迎撃に当たり、版橋で張喬を包囲して降伏させる。 しかし張翰・周浚と交戦中に、沈瑩の部隊が薛勝、蒋班、張喬の攻撃を受けて壊滅したため、総崩れとなり敗北。捕らえられて王渾に斬られた。 |
孫覇 | 男性 | 孫権の四男。孫和の兄。妻は劉繇の孫娘。 二宮の変では、孫権から寵愛されたため重臣らを巻き込んで孫和と対立したが、最後は自殺を命じられた。 |
孫輔 | 男性 | 孫堅の甥。孫賁の弟。孫策・孫権の従兄。孫策の挙兵に従い、揚武校尉として江東の平定で孫策を補佐する。 丹陽・宣城・始安などの討伐では歴陽に駐屯し、袁術の介入を防御し、戦乱で離散した江東の民を集めて組織させた。 祖郎討伐では祖郎を捕え、劉勳討伐では先鋒として功績を上げ、廬江太守となる。 孫権の代に曹操に内通したと告発され、流罪となり幽閉されたまま死んだ。 曹操に通じたのは、孫権に江東を守り抜く力がないと判断したからといわれている。 |
孫瑜 | 男性 | 孫堅の弟の孫静の次男。孫権の従兄。孫皎の兄。 孫翊の死後、丹陽太守となり人望を集める。206年には周瑜と共に山越族の麻と保の砦を攻略。 曹操が濡須に進出すると、積極的に打って出ようとする孫権をいさめる。孫権が意見を聞かずに失敗すると奮威将軍となり九江、廬江の勢力拡大に貢献した。 他の諸将が軍務一点張りだった中、古典を愛好し、遠征の途中でも書物を読んだ。学者の馬普を礼遇し、部下に学ばせた。 |
孫亮 | 男性 | 孫権の七男。母は潘氏。孫登、孫和、孫覇、孫休の弟。呉の第2代皇帝。妻は全氏(全尚の娘)。孫和が皇太子を廃されると代わりに皇太子となる。 252年、孫権の没後、10歳で第2代皇帝に即位。聡明で知られていたが、政権は諸葛恪、孫峻、孫綝らに握られた。 258年、孫綝の暴政を憎んで、全紀、劉丞らと共に孫綝討伐を謀るが、全紀の父・全尚が妻(孫綝の従姉)に明かしてしまい計画が発覚。会稽王に落とされた。 孫休の代になると、復位を企てていると噂を立てられ、侯官侯に落とされる。任地に向かう途中に自害もしくは毒殺された。 |
譚雄 | 男性 | 呉の武将。弓と大青龍刀の使い手。 関羽の仇討ちのため荊州に侵攻してきた劉備軍を、孫桓の指揮下で迎え撃った。 緒戦で同僚の李異が蜀の張苞に苦戦すると、張苞の馬を射て助けようとするが、李異は関興に斬られる。 翌日の戦いで関興に捕らえられた後、張苞に斬られ、張苞の乗馬の手向けとされた。 |
張温 | 男性 | 呉の官僚。劉基や顧雍の推挙があり孫権に招かれる。 孫権を始め群臣の評価は高く、孫登の教育係に就いたことあった。 劉備の死後、蜀と呉の同盟への返礼の使者として、蜀を訪れる。外交で蜀の士から高評を得、帰国後は蜀の政治を称えた。 これが孫権の気に障り、さまざまな理由をつけ左遷させられた。 |
張休 | 男性 | 呉の重臣・張昭の末子。張承の弟。諸葛恪、顧譚、陳表と共に孫登の学友となり、孫登に「漢書」を講義した。 兄の張承は別の侯に封じられていたため、張昭の死後、その爵位を受け継いだ。 孫登が若死にすると、中央に戻って侍中、揚武将軍に昇進。 しかし、孫和と孫覇の後継者争いに巻き込まれ、孫覇一味が流した悪評により交州への移住を命じられる。 その後、対立していた孫弘の謀略により自害を命じられた。 |
張儼 | 男性 | 呉の大鴻臚。魏に司馬昭の弔問の使者として訪れた。 賈充らから議論を吹っ掛けられたがすべて論駁した。また、何楨、羊祜らと親交を結んだが帰国の途上で病死した。 |
張紘 | 男性 | 呉の幕僚。張昭と共に「江東の二張」と称された策士。 孫策が江東に進出する直前、周瑜の勧めで張昭と一緒に招かれた。 孫策が江東を制覇すると、成果を献帝に上奏するため許昌へ向かい、曹操と会見。しばらく曹操の元に仕えた。 帰国後は顧雍を推挙し、孫策の後を継いだ孫権を人材登用面で補佐した。 臨終の際、秣陵に拠点を移すように遺言。孫権はこれに従い、秣陵を建業と改めた。 |
張悌 | 男性 | 呉の最後の丞相。若い頃、諸葛恪に取り立てられた。 晋の呉討伐軍が迫ると諸軍を迎撃に当たらせ、自らも沈瑩と諸葛靚を従えて出陣。 晋軍との兵力差を知って降伏を勧める諸葛靚に、「呉が滅びるのは周知の事実。誰も国難に殉じず降伏したとあっては示しがつかない」と決意を語る。 決戦の日、沈瑩と共に晋軍に突撃し、最後まで奮戦して斬り死にした。 |
張布 | 男性 | 呉の左将軍。孫休の側近。孫休が王の時からの臣で、孫休が皇帝になると特別な待遇を受けた。 孫綝討伐後、丞相の濮陽興と共に権勢を振るう。 孫皓が暴政を行うようになると孫皓を即位させたことを後悔し、その言動を密告され、誅殺された。 |
陳表 | 男性 | 呉の武将。陳武の妾腹の子。陳脩の弟。諸葛恪、顧譚、張休と共に皇太子・孫登の学友となる。 曁艶と親しく、官吏任用に失敗した曁艶が罪を得た時は1人だけ曁艶を非難しなかったため評価された。 陳武に倣い将軍になりたいと願い出、授けられた兵士を優遇したので心服される。 234年、諸葛恪と共に山越の討伐に当たり、その後の反乱鎮圧でも帰順を奨励して兵を得た。 34歳で死亡。財産は兵士を優遇するために使い切っており、妻子は孫登に保護された。 |
程秉 | 男性 | 呉の官僚。鄭玄の門人。 戦乱を避け交趾で士燮に仕えていたが、学者としての評判を聞いた孫権から孫登の教育係(太子太傅)を任された。 225年、孫登の婚礼のときには太常となり、孫登の妃を迎える役を務めた。孫権・孫登からも丁重に遇された。『論語弼』などの著作を三万字残した。 |
陶璜 | 男性 | 呉の将。陶濬の兄。薛珝らと共に交州へ進軍。 晋に奪われた交州を楊稷・毛炅らと破り奪回した。交州で優れた統治を行ったため多くの民衆から慕われた。 呉が滅んでからは晋に所属。軍縮を進める司馬炎に反対し、南方の統治に任された。 三十年にわたり南方を威恩をもって治めたため、彼の死には多くの州民が涙した。 |
騰脩 | 男性 | 呉の官僚。孫皓の代に広州刺史となる。 279年、司空就任の直前に郭馬が反乱を起こし、広州牧として討伐に向かった。 まだ平定していないうちに晋軍が呉に攻め込んだので、滕脩は人数を率いて危難に駆けつけたが、 孫晧がすでに降服したと知り、喪服を着け、涙を流しながら引き返した。 降伏したのちは晋からは引き続き以前の職務と、南方の仕事を委任された。 |
陶濬 | 男性 | 呉の武将。陶璜の弟。徐陵の督。 279年、交州で郭馬が反乱を起こすと、討伐に赴いた。しかし、晋の大軍が呉に攻め寄せたため武昌から帰還。 2万の兵を率いて迎撃に当たろうとするが、出陣前に兵が逃亡したため、果たせなかった。 |
董朝 | 男性 | 呉の官僚。孫綝が孫亮を廃立して琅邪王・孫休を新皇帝とした際、孫楷と共に虎林まで孫休を迎えに行った。 孫皓の代には中書令兼司徒となる。丞相の陸凱が臨終の際に孫皓から派遣され、陸凱の遺言を聞き受けた。 |
馬忠 | 男性 | 呉の潘璋の部下。219年、呉が荊州に進攻した際、関羽父子を捕らえた。 その功績で、関羽の乗馬・赤兎馬を与えられるが、赤兎馬は何も食べなくなり、間もなく死ぬ。 222年、関羽の復讐のため劉備が荊州に進軍すると、迎撃に赴く。 緒戦で黄忠を撃退し、主将の潘璋を討った関興を追いつめるなど活躍するが、降将の糜芳と傅士仁に寝首をかかれ、関羽の霊前に供えられた。 |
万彧 | 男性 | 呉の官僚。烏程の役人だった頃、孫皓と親しくなる。 孫皓即位後は右丞相となり、巴丘を守備。 271年、孫皓が民衆に多大な犠牲を強いて各地を巡幸した際、丁奉、留平と都への帰還を相談。 孫皓の怒りを買い、毒酒を飲まされそうになって、自害した。 |
歩協 | 男性 | 呉の重臣・歩隲の子。歩闡の兄。歩隲の死後、爵位を継いで西陵都督となり、王昶、王基らの侵攻を防いだ。 蜀が魏に滅ぼされた後、264年に旧蜀領の巴東を攻撃するが、元蜀将の羅憲に敗れる。 その後、呉軍は陸抗、留平、盛曼らを援軍に出すが、魏からも胡烈が援軍に駆けつけ、攻略できずに撤退した。 |
濮陽興 | 男性 | 呉の丞相。孫権の代に会稽太守となり、当時、会稽にいた孫休と親交を結んだ。 孫休が即位すると、太常、衛将軍を経て、丞相に就任。孫休のもう1人の寵臣・張布と結託して政治を思いのままにした。 孫皓即位後、万彧の謀略にかかり交州に流される途中、孫皓の命で殺された。 |
歩騭 | 男性 | 呉の丞相。練師は彼の同族にあたる。 210年、交州刺史となり、蒼梧太守の呉巨を討伐。さらに士燮を服従させ、呉の南方進出の足がかりを作った。 孫権即位後は驃騎将軍、西陵都督に就任。陸遜の死後、丞相となった。 |
歩闡 | 男性 | 呉の重臣・歩隲の子。歩協の弟。歩協の死後、西陵都督の座を受け継ぐ。 272年、孫皓から領地変更を通達されるが、父の代から受け継いだ任地から離れることを拒否。西陵に留まり、晋に降って交州牧に任ぜられた。 晋からは羊祜、楊肇らが援軍に駆けつけたが、呉から派遣された陸抗、左奕、吾彦、蔡貢らに敗北。 孤軍で西陵に籠城するが、力尽きて降伏し、一族もろとも皆殺しにされた。 |
孟宗 | 男性 | 呉の官僚。母親への孝行で有名で孟宗竹の語源となる。孫皓が即位すると字を避けて孟仁と改名した。 母親が亡くなると、勝手に任地を離れたら死罪という法を知りながら葬儀に駆けつけ、後に自首。 陸遜の弁護で、孫権から特例として許された。復帰後は孫綝らによる孫亮の廃位に加わっている。 光禄勲、御史大夫を経て、司空まで昇進した。 |
駱統 | 男性 | 孫権の武将。陳国の相・駱俊の子。 父が袁術に討たれ、母が華歆の側室になると、母と別れて会稽に戻った。 212年、会稽太守の孫権に登用され烏程の相となり、行き届いた統治を住民から称賛された。 凌統が死ぬと凌統配下の兵を指揮下に加える。 夷陵の戦いでは陸遜の指揮下で功績を上げ、偏将軍に就任。直後、濡須に攻め寄せた曹仁も破り、濡須の督となる。 |
李異 | 男性 | 呉の武将。金鍍金の大斧を使う。 219年、陸遜の指揮下で謝旌と共に荊州を攻め、詹晏らを破り、陳鳳を捕らえた。 221年、荊州に攻め寄せた蜀の呉班、馮習に敗れる。翌年、陸遜が夷陵で蜀軍を大破すると、劉阿と共に南山まで追撃した。 |
陸胤 | 男性 | 呉の政治家、武将。陸凱の弟。陸遜の一族で子の世代に当たる。 孫和に礼遇されるが、二宮の変に巻き込まれ、孫覇の立太子工作を聞いた孫和に求められ、陸遜に上奏を依頼する。 これを聞いた孫覇派の楊竺は、陸胤を密告者として孫権に讒訴し、投獄された。 拷問を受けるが、孫和を守るためにその名を一度も口に出さずに耐え抜いた。 二宮の変を生き残った後は衡陽督となり、交州で趙嫗の反乱が起きると交州刺史として乱を鎮圧する。 高涼の黄呉を投降させ、安南将軍として蒼梧の賊も平定した。 華覈が中央に召還するよう孫休に推薦したが、間もなく没した。 |
陸鬱生 | 女性 | 張温の弟・張白の妻。陸績の娘で、陸績が鬱林太守であった時に生まれた。 13歳で張白に嫁ぐも、三か月後もしないうちに夫に先立たれ、未亡人となる。 その後、たびたび有力者から再婚の勧めがあったが拒否し、生涯操を立てた。 |
陸景 | 男性 | 陸抗の二男。張昭の曾孫、諸葛瑾の孫にあたる。 父の死後、兄陸晏とともに後を継いで孫皓に仕え、公主を娶るなど重用された。 しかし、280年2月、晋が侵攻してきたとき、夷道・楽郷城の戦いで晋の将軍王濬らに敗れ、兄や虞忠とともに殺害された。 |
陸績 | 男性 | 呉の官僚。「呉の四姓」陸家の出であり、陸康の子・陸遜の又従兄弟。 6歳で袁術と対面した時、懐に蜜柑を入れたのをとがめられると、「母上に差し上げようと思ったのです」と言って袁術に感心される。 博学多識で天文、暦法、算術に通じ、「渾天図」を著す。 正しいと思うことを遠慮せずに発言したため、孫権に煙たがられ、鬱林太守に出向となった。 |
劉基 | 男性 | 劉繇の息子。呉の官僚。娘は孫覇の妻になっている。 父の死後、王朗の勧められた孫策から招かれ礼遇された。孫権からの扱いも同様で、幕府に招かれ官途に就いた。 孫権が酔った勢いで虞翻を殺害しようとすると懸命に諌めた。 孫権は反省し、酒を三度呑んだときの殺害命令は聞かないよう周囲に厳命したという。 以後も、船上で酒宴で雷雨に見舞われたときに孫権以外にただ一人だけ傘を許されるなど厚遇された。 |
劉丞 | 男性 | 呉の武将。呂拠と共に孫綝討伐を図った滕胤を攻め滅ぼした。 その後、丞相の孫綝が暴政を働くようになると、孫亮による孫綝殺害計画に参加する。 しかし、計画の途中で孫綝に知られ、孫綝の弟・孫恩に攻められ、死亡した。 |
楼玄 | 男性 | 呉の官僚。孫休の代に監農御史となり、孫皓の代には散騎中常侍、会稽太守、大司農を歴任する。 しかし、歯に衣着せぬ物言いと名声の高さを孫皓に恨まれた。 後に、賀斉の子・賀邵と共に孫皓の政治を非難したと密告され、息子の楼拠ともども交州に流される。 張奕の下で反乱鎮圧などに活躍するが、孫皓から殺害命令が出ていることを知り、自害した。 |
魯淑 | 男性 | 呉の武将。魯粛の子。濡須督・張承に見込まれ、後継者と目された。 孫休の代に武昌の督、孫皓の代には夏口の督となる。任地では常に厳正な統治を行った。 273年、薛瑩と共に10万と号する兵を率いて晋に出兵したが、弋陽の戦いで王渾に撃退された。翌年に死去し、子の魯睦が後を継いだ。 |
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蜀
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尹黙 | 男性 | 『春秋』に通じた蜀漢の学者。劉備に帝位即位を勧めた文武百官の1人。 諸葛亮の第一次北伐の際に博士に任命され、内政にあたる。皇帝・劉禅の教育係も務めた。 |
殷観 | 男性 | 荊州主簿。 劉備が荊南の四郡を攻め取った後、孫権からの益州攻めの要請があると、理由をつけて断るよう進言し、孫権の遠征を中止させた。 |
王連 | 男性 | 劉璋、劉備に仕えた。 塩と鉄の専売により、国庫の収入を大幅に増加させると共に、有能な人物を属官として任用し、蜀郡太守・興業将軍に昇進した。 |
王伉 | 男性 | 蜀漢の臣。雍闓の反乱が平定された後、諸葛亮から「絶縁の地にあって忠誠を尽くすこと十数年」と称賛され、永昌太守に封ぜられた。 |
郭攸之 | 男性 | 蜀漢の臣。侍中。 北伐前に諸葛亮が上奏した「出師の表」では、董允・費と並び誠実純忠の人物であるとされ、宮中での諸件はすべて任された。 |
夏侯氏 | 女性 | 夏侯淵の姪/夏侯覇の従妹。張飛の妻であり、星彩の設定元である張皇后と敬哀皇后の母。 兗州と豫州が混乱すると、飢饉の中で夏侯淵は自分の幼い子を捨てて、死んだ弟の遺児である娘を養育したという。それが彼女と言われる。 200年、13~4歳の時、たきぎを取りに出かけたところを張飛に捕らえられ、張飛の妻となる。 その後219年、夏侯淵が戦死すると、遺体を埋葬するように願い出た。 蜀に亡命した夏侯覇は、夏侯氏と縁戚だったために厚遇され、車騎将軍まで昇進した。 無双ブラストでは「夏侯姫」として蜀所属・魏所属のバージョンがそれぞれ登場。 次回作『真・三國無双8』では「夏侯姫」としてユニークNPC兼DLCキャラとして参戦。 |
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夏侯蘭 | 男性 | 元は魏の将で、夏侯惇の副将。 博望坡の戦いにて、夏侯惇に従い劉備軍と戦うが、趙雲に生け捕りにされ捕虜となる。 しかし、夏侯蘭は趙雲と同郷である常山出身であり、知り合い同士でもあったこと、 また夏侯蘭が法律に明るかったことから、軍正として劉備に仕えることとなった。 だが趙雲は、降将である夏侯蘭に対し以後自分から近づく事はしなかったという。 『三国志演義』でも同様に夏侯惇の副将として登場するが、同じく博望坡での敗戦の折、張飛によって討ち取られる。 |
甘氏 | 女性 | 甘夫人。劉備の第一夫人であり、劉禅の母。 徐州で自立した劉備が曹操に敗れると、関羽に付き添われて曹操に降伏。 その後、関羽に護衛されながら曹操の五関を突破し、劉備との再会を果たす。 長坂橋では趙雲が劉禅を抱き、甘氏を保護したため難を免れたが、しかし甘氏は間もなく亡くなった。 |
関統 | 男性 | 蜀漢の将。関興の子、関羽の孫。 父から漢寿亭侯の地位を受け継ぐ。公主を娶り虎賁中郎将となった。 |
関寧 | 男性 | 河北国境に住む関定の長男。演義における関平の兄。 関平が武芸の稽古をしていたのに対し、学問に励んでいた。 |
諸葛喬 | 男性 | 呉の諸葛瑾の次男。諸葛恪の弟。 兄の諸葛恪と並んで評判が高く、才能では兄に及ばないが、性質では兄より優れていると評された。 まだ子が無かった諸葛亮から請われて養子となる。 227年、諸葛亮が北伐を起こすと漢中に同行し、霍弋と共に記室(丞相事務官)として各軍を視察して回った。 |
秦宓 | 男性 | 蜀の幕僚。劉璋に仕える。劉備の使者・簡雍が劉璋に降伏を勧告した際、無礼な態度をとがめた。 劉璋が降伏すると劉備に仕え、諸葛亮らと共に劉備が皇帝につくよう働きかける。 劉備が関羽の復讐戦に出陣しようとすると、打ち首覚悟で劉備をいさめ、投獄された。 劉禅の代、呉からの使者・張温と応対し、難題を出してやり込めようとする張温の問いにすべて答え、逆に論破した。 |
張裔 | 男性 | 蜀の政治家。劉璋に仕え、張飛が益州に侵攻すると徳陽で抗戦したが敗れる。 成都が包囲されると劉璋の投降を伝える使者となった。劉備のもとで司金中朗将となり、農具と武器の製造を司った。 雍闓の反乱に巻き込まれ、捕えられて呉に送られる。劉備死後の講和で鄧芝が呉に遣わされた際に返還が要求され、蜀に帰還する。 この際、孫権は返還を渋り、返還後も後悔して追いかけさせたほど未練があった。 参軍となって丞相府に入り、益州治中従事を務める。諸葛亮が北伐のために漢中に駐屯すると、留府長史として成都を治めた。 |
糜氏 | 女性 | 糜夫人。劉備の第二夫人(第一夫人は甘氏)。糜竺の妹。 徐州で自立した劉備が曹操に敗れると、関羽に付き添われて曹操に降伏。 その後、関羽に護衛されながら曹操の五関を突破し、劉備との再会を果たす。 長坂坡で曹操軍に襲撃され、負傷しながらも幼い劉禅を連れて逃走。救援に来た趙雲に劉禅を託し、自身は井戸に身を投じた。 |
毛炅 | 男性 | 霍弋の部下。晋に下った後、交趾奪回に攻めよせた呉将の劉俊・脩則を戦死させた。 その後、討伐に来た陶璜に敗れ、命を惜しまれ捕縛される。しかし、反乱を画策したため復讐に逸る脩允に斬られた。 |
楊稷 | 男性 | 蜀、晋の将。霍弋の部下。交趾太守として派遣され、毛炅らと共に呉将の脩則・劉俊を撃破した。 また呉から陶璜らが派遣されると一度は破ったものの後に敗北し、呉への護送中に病死した。 |
李氏 | 女性 | 蜀の江油関を守る馬邈の妻。 鄧艾が江油関に攻め寄せた時、蜀の滅亡を悟って抵抗しようとしない夫を叱責した。 馬邈が鄧艾に降伏すると、首を吊って死亡。鄧艾に手厚く葬られた。 |
李豊 | 男性 | 蜀の武将。李厳の子。 230年、李厳が曹真の軍勢を防ぐため漢中に出陣した時、父に代わって江州都督督軍の職を務める。 李厳が罷免された時、諸葛亮から「蒋琬と協力して職務に従事すれば道が開ける」と励まされた。朱提(しゅし)太守まで昇進。 |
劉璿 | 男性 | 劉禅の長男。母は王氏。 238年に15歳で皇太子となるが、264年に鍾会の反乱に巻き込まれ死亡。 蜀降伏時に自害した劉諶を除き、他の兄弟は劉禅と共に洛陽に移り住んだ。 |
廖立 | 男性 | 蜀の官僚。劉備が南荊州を支配すると、召し出されて長沙太守となる。 諸葛亮からは「龐統と並び、我が功業を補佐する者」と評された。 215年、呂蒙に長沙、零陵、桂陽を奪われると、脱出して成都に戻り、巴郡太守に就任。 劉備が漢中王になると侍中に任ぜられるが、劉禅の代には閑職に回された。 自尊心が高い性格だったこともあり、朝政を批判してさらに庶民に落とされた。 |
呂凱 | 男性 | 蜀の官僚。南中平定に際して軍略図「平蛮指掌図」を作る。 225年、孟獲が永昌郡に攻め入ると、太守の王伉を助けて籠城。 諸葛亮が来援した際「平蛮指掌図」を渡し南中平定の道案内となる。孟獲降伏後、王伉と共に益州、越嶲、牂牁、永昌4郡を統治した。 |
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晋
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| | 王朝成立後も活動した人物を含むので注意
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王渾 | 男性 | 王昶の長男。太原出身。妻は鍾琰(鍾繇の曾孫)。呉討伐戦で張悌、沈瑩を斬り、王濬と功績を争う。 司徒まで昇り、一族も高職に就いた。匈奴の劉淵と親交があり、司馬攸が彼を除こうと進言した際は弁護した。 |
王戎 | 男性 | 琅邪出身の王渾の子。鍾会の推薦で司馬懿に取り立てられた。 若い頃から文才に優れ、荀寓(荀彧の孫)や杜黙らと親交があった。 また鄧艾の孫の鄧千秋を、光禄大夫の時に武帝へ推挙し、鄧艾の名誉回復にも尽力した。 河東太守、荊州刺史などを歴任。晋の恵帝の時に司徒となった。竹林の七賢の一人。 |
王濬 | 男性 | 陸抗の死後、呉討伐を奏上。妻は徐邈の娘。 279年に呉討伐戦が始まると龍驤将軍に任ぜられ、唐彬と共に益州から長江を下って侵攻。 各地で呉軍を撃破し、王渾に先んじて呉主・孫皓を降した。 |
王浚 | 男性 | 太原の王氏で王沈の子。王渾とも親戚にあたる。 幽州を領し、鮮卑族と結び烏丸突騎を従え事実上の群雄に等しい一大勢力を築く。 八王の乱に介入し、後に石勒と争うが統治が乱れて人心を失い、石勒に殺害された。 |
何曾 | 男性 | 魏、晋の政治家。後継者に迷う司馬昭を説き、長男の司馬炎を指名させる。 司馬炎が晋王となると、丞相に任ぜられた。道義を重んじたが自分にはやや甘い性格だった。 |
郭槐 | 女性 | 賈充の後妻。郭淮の弟・郭配の娘。賈黎民、賈南風、賈午らの生母。前妻の李氏(李豊の娘)が離縁されると後妻に迎えられた。 嫉妬深い性格で、賈充と息子の乳母が密通してると疑い、乳母を鞭で撃ち殺した。 そうしたことが原因で、幼い長男と次男を相次いで亡くし、賈充は後継ぎが絶えた。 後に、大赦があり李氏との復縁の話が持ち上がったが、賈充の胸倉を掴んで激しく抗議したため、賈充は恐れて取りやめた。 賈充の死後、(異姓養子は礼に反したがやむなく)外孫の韓謐を賈黎民の養子にして家を継がせた。 |
嵇康 | 男性 | 竹林の七賢の一人。老荘を好み、礼教に批判的な言辞を多く残している。 詩と琴に優れた。友人を弁護した際、鍾会の讒言もあってか司馬昭に処刑された。 |
阮咸 | 男性 | 阮籍の従子。竹林の七賢の一人。琵琶の達人で後世、琵琶のことを阮咸と呼ぶようになった。 阮籍と同じく酒好きで、形式的な礼法に拘らなかったため、当時の儒士からは非難された。 |
阮籍 | 男性 | 阮瑀の子。竹林の七賢の主導的人物。 酒好きと奇行で有名で、老荘に傾倒し形式的礼法を嫌った。白眼視の語源となる逸話をもつ。 |
索靖 | 男性 | 敦煌の名家の出身で、傅玄や張華に才能を認められ、武帝に重用された。 涼州方面など各地の地方官を歴任し、八王の乱では趙王司馬倫の討伐に功があった。 後に河間王司馬顒に属し兵を率いて賊徒を討伐したが、その時の戦傷が元で死去した。 草書にも優れ、衛瓘と並び称された。 |
山濤 | 男性 | 魏~西晋の文人。張春華とは遠縁にあたる。老荘思想に耽り嵆康、阮籍らと交遊したが、 四十代で出仕し司馬氏に属する。その後嵆康を推挙した際、「山巨源に与える絶交書」を突きつけられた。 曹爽の台頭で隠棲するが、司馬懿の決起の後再び出仕。 司馬昭が鍾会の謀反鎮圧のため洛陽を離れると、鄴の警護に当たり皇族を監視した。 また鍾会の讒言で殺された嵆康の遺児である嵆紹らを推挙している。 西晋代には栄達し、司徒にまで登った。後に竹林の七賢の一人に数えられる。 |
司馬駿 | 男性 | 司馬懿の子で、司馬伷の弟。驃騎将軍、扶風王。 各地の軍司令官を歴任し、任地では農政にも成果を挙げた。 対呉戦線では丁奉の侵攻を撃退し、文鴦らを指揮して異民族討伐の大功を立てた。 人格にも優れていたが、司馬攸の左遷を諫めるも武帝に容れられず病を得て死去した。 |
司馬伷 | 男性 | 司馬懿の六男。司馬師、司馬昭の弟。妻は諸葛誕の娘。 晋の司馬炎の代に、鎮東大将軍、琅邪王(ろうやおう)に封ぜられる。 279年の呉討伐戦に参加し、先に孫皓を降伏させた王濬の軍と合流して、成功を喜びあった。 |
司馬衷 | 男性 | 晋の第2代皇帝。司馬炎の次男。生まれつき暗愚であった為、 外戚の楊一族や賈南風らにより権勢を握られ、八王の乱などの大混乱を招いた。 民衆が穀物がなくて飢えている時に、「食べ物がないなら肉粥を食べればいいではないか(何不食肉糜)」と言ったと伝えられている。 |
司馬攸 | 男性 | 司馬昭の次男。司馬炎の弟。伯父の司馬師に子がなかったため、養嗣子となる。 武勇に優れ、温厚な性格だったため司馬昭の寵愛を受けた。 司馬炎の即位後、馮紞らの讒言から中央から遠ざけられ、斉王に封ぜられた。 |
司馬亮 | 男性 | 司馬懿の四子。大司馬、汝南王。魏王朝の後期から各地の要職を務めたが、 諸葛誕や異民族の討伐に際して不手際があり免官、降格されたこともあった。 晋王朝では帝室の元老として重用されたが、司馬炎の没後に賈皇后にそそのかされた楚王・司馬瑋に殺害される。 この後「八王の乱」と呼ばれる混乱が顕著になった。 |
司馬倫 | 男性 | 司馬懿の九子。相国、趙王。帝室の一員として晋王朝で高位に昇ったが、才能に乏しくしばしば弾劾された。 八王の乱において賈皇后を廃するが、張華や裴頠といった有能な人物まで殺害してしまう。 一時的に恵帝を廃して帝位を僭称するが、斉王・司馬冏(攸の子)、成都王・司馬穎、河間王・司馬顒らに敗れて殺害された。 |
周旨 | 男性 | 晋の将。晋が呉討伐戦を起こすと、杜預の指揮下で参戦。 江陵の戦いでは水軍8百を率いて巴山に伏兵し、杜預に敗れて落ち延びてきた孫歆を討ち取った。 続いて迎撃してきた張悌、沈瑩、諸葛靚の軍とも戦い、乱戦の中、沈瑩を討ち取って晋軍の勝利に貢献した。 |
周浚 | 男性 | 晋の将。王渾の下で呉討伐戦に参戦し、主力である呉の丞相・張悌らを打倒。 王渾に王濬に先んじて建業への進軍を勧めるも採用されなかった。 呉平定の功績により成武侯、食邑六千戸、絹六千匹を賜った。 翌年に秣陵に移り、威光と恩徳ある政治をしたため、呉の人から喜ばれた。 |
荀諶 | 男性 | 魏の尚書。荀彧の第4子。陳泰の舅。 毌丘倹討伐の功で司空となる。晋建国の功臣として侍中、太尉と昇進し、臨淮公に封ぜられた。 博学多識で三礼、朝廷の儀礼に通じていた。何曾と並んで仁と孝を尽くした者として称賛されている。 |
徐胤 | 男性 | 晋の官僚、武将。荊州に赴任した羊祜の軍監。 羊祜が軽装で夜外出しようとすると門前に立ち塞がり、重役の身を尊重するようにと叱った。 羊祜は陳謝し、外出を控えるようになったという。 西陵の戦いまでの間に巴東監軍に移っており、水軍を率いて建平に進軍した。 |
辛憲英 | 女性 | 魏臣・辛毘の娘。辛敞の姉。魏の太常・羊耽の妻。羊琇の母。晋の名将・羊祜は甥。 聡明で見識があり、曹丕の不振や曹爽・鍾会の失脚を予言した。 子の羊琇が鍾会の参軍に任命されると、身の処し方を助言し、羊琇は命を全うすることができた。 次回作『真・三國無双8』では無双武将として参戦。 |
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張華 | 男性 | 晋の官僚。また、博学多才な名書家としても有名で「博物志」を著している。 杜預と同じく呉征伐の賛成派で賈充、荀勗らとは対立していた。 陸兄弟、陳寿らを推挙。恵帝の時に侍中、司空などを歴任したが八王の乱で趙王・司馬倫に殺された。 |
鄭沖 | 男性 | 魏、晋の官僚。貧しい家の出身だったが曹丕に見出され仕えた。 魏では三公を歴任し曹髦の養育係となり、晋でも太傅に就く。 司馬昭は蜀平定後に賈充・羊祜に礼儀・律令を定めることを命じたが、皆まず鄭沖に相談して、その後に施行された。 司馬炎の信任も非常に厚く、寿命の前年まで引退を認められなかった。 |
唐彬 | 男性 | 晋の武将。晋の広武将軍。 279年、晋が呉討伐戦を起こすと、王濬と共に水陸20余万の兵を率い、旧蜀領から長江沿いに進軍した。 呉討伐の前後も各地で功績をあげ、兵を用いずして敵の心を攻める優れた名将と評された。 |
杜預 | 男性 | 晋の武将。杜畿の孫、杜恕の子。司馬懿の女婿。 父の杜恕が司馬懿と対立したため、政界への参加は遅かった。鍾会の蜀討伐戦に副官として参戦。 馬術、武術は不得手であった。羊祜の遺言で鎮南大将軍、都督荊州諸軍事に任ぜられる。 279年、呉討伐軍を指揮し、江陵、武昌を連破。呉を降伏させた。 その際、慎重論を唱える胡奮に「竹を割るような勢いで進軍すれば、呉は戦わずに降伏する」と諭したことが「破竹の勢い」の語源となる。 「春秋左氏伝」を愛読し、「左伝癖」と自称した。 |
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馮紞 | 男性 | 晋の政治家。李孚の孫とも。 羊祜の呉侵攻に反対。荀勗と共に讒言を盛んに行ったことから、司馬昭の三男・司馬攸から平素から嫌われていた。 そのため、司馬攸が皇帝につかないように司馬炎に讒言。 司馬攸を大司馬・都督青州諸軍事に任命し、外地に出させることに成功した。太康年間に死去した。 |
羊徽瑜 | 女性 | 司馬師の正室。羊祜の姉。司馬師が夏侯徽を毒殺、呉氏(呉質の娘)を離縁したため、三人目の正室となる。 晋書ではその人となりを「聡明で才能があった」とのみ記されている。 司馬炎が即位すると司馬一族への追号が行われたが、司馬一族で疎まれていた夏侯徽のみ除かれていたため、 夫の前妻であった夏侯徽の名誉回復を武帝司馬炎に働きかけた。 |
羊祜 | 男性 | 晋の武将。姉は司馬師の妻で、妻は夏侯覇の娘。蔡邕の外孫。蔡琰の甥にあたる。 孝行で知られ、長年仕官を断っていたが司馬昭に請われ出仕する。 司馬炎が皇帝となる時、王沈・荀勗・裴秀・賈充とともに中心的役割を果たした。 後に荊州に駐屯し、善政を敷いて領民からも慕われた。272年、晋に投降した歩闡を救うため西陵を救援したが、陸抗に敗れ撤退した。 呉討伐のため、王濬に軍船の建造を命令。病が篤くなると後継に杜預を指名。建造された船は呉の討伐に使用された。 |
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楊肇 | 男性 | 晋の武将。荊州刺史。 272年、呉の歩闡が晋に降伏すると、羊祜と共に歩闡が治める西陵の救援に向かう。 しかし、呉から派遣された陸抗が堤防を決壊させて羊祜の進軍を阻んだため、単独で呉軍と戦うことになる。 劣勢のまま数ヶ月対陣した後、夜陰に乗じて退却を指示するも、それを察知した陸抗に夜襲されて大敗を喫した。 |
李氏 | 女性 | 魏の李豊の娘。賈充の妻。娘に賈褒、賈裕。父の李豊が司馬師に処刑されると罪に連座し流罪となった。 司馬炎が即位すると大赦があり、賈充の元に戻ったが後妻の郭槐の反対で復縁はならず別居を強いられる。 娘の賈褒は司馬攸の妃となり尊貴な身となったが、妹の賈裕とともに再三賈充に復縁を嘆願したが聞き入れられなかった。 郭槐は以前から李氏の命を狙っていたが、賈充の別居する家を訪れた際に、 出迎えで李氏が出てくると思わず膝がくずれ礼拝してしまったという。 李氏の死後、賈充との合葬は郭槐の娘・賈南風に阻まれ、合葬が許されたのは賈南風が廃された後だった。 |
劉弘 | 男性 | 晋の武将。車騎将軍、荊州刺史。劉靖の子で劉馥の孫。 父と同じく幽州で治績を挙げ、後に荊州に転ずる。張昌の乱を鎮圧し、襄陽を拠点に各地の治安を回復した。 統治能力にも長け、各地で晋王朝の統制が失われていく中で荊州をよく保った。 |
劉頌 | 男性 | 漢王朝の一族で、司馬昭の求めに応じて出仕する。 晋王朝では実務に優れた文官として幅広く活躍し、尚書にまで昇った。 八王の乱で殺害された張華を悼み、趙王司馬倫の専横に抗したため一党から怨まれたが、名声が高かったため粛清は免れた。 |
劉寔 | 男性 | 魏、晋の官僚。若い頃は貧乏だったが、学問を修めて計吏となり、河南尹丞となった。 その後、相国軍事として司馬昭のもとに仕え、杜預が呉を滅亡させると鎮南軍司を務めた。 顕位に上っても、質素な生活をおくって華美をきらい、学問に励んで飽きなかったという。 演義では、鄧艾と鍾会について「蜀を滅ぼせるが生きては帰還できない」と予言した。 |
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他
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于毒 | 男性 | 黒山系の独立勢力。眭固や白繞とともに10余万の大軍を率いて挙兵し、曹操、袁紹らと争った末に滅ぼされた。 |
衛茲 | 男性 | 張邈の武将。曹操の挙兵を助け、徐栄との戦いで戦死した。曹操は彼の死を惜しみ祭祀を絶やさなかったという。 |
袁遺 | 男性 | 袁紹らの従兄。優れた学者であった。後漢の山陽太守。 反董卓同盟に第八鎮として参加。虎牢関の戦いに従軍し、呂布に敗れた王匡を救援した。 |
袁隗 | 男性 | 袁紹、袁術らの叔父。妻は馬融の娘。三公にたびたび就任した。反董卓連合が結成されると董卓に殺害された。 |
王叡 | 男性 | 王祥の叔父。荊州刺史。反董卓連合の折、不仲の曹寅を殺そうとするも逆に計られ、孫堅に攻められ自害した。 |
王越 | 男性 | 霊帝の時の虎賁中郎将。剣術の名人で、都で名声が高かった。曹丕の剣術の師匠・史阿の師匠。 |
王匡 | 男性 | 後漢の河内太守。何進に召され強弩兵を連れて洛陽に向かうが、何進が死んだため郷里に戻った。 董卓との戦では返り討ちに遭い、後に胡母班、曹操に攻め殺された。 |
王建 | 男性 | 公孫淵の燕国の相国。 司馬懿の攻勢に際して降伏の使者となったが、司馬懿がそれを許さず捕縛・斬首された。 司馬懿の檄文にて彼を指し「その老いぼれは耄碌して主命を伝え損なった。次は若く聡明な者を寄越すが良い」と罵られていた。 |
王美人 | 女性 | 霊帝の側室。劉協の生母。美人は官位名。容姿に優れ、聡明で書や算術に通じた。 何氏が皇后に立てられた年に子を懐妊した。何皇后は立場を追われることを恐れて薬で胎児を殺そうとしたが効果はなく、 子の劉協が生まれた後に何皇后によって毒殺された。 これに激怒した霊帝は何皇后を廃そうとしたが宦官に止められた。霊帝は王美人の徳を偲んで詩を作り、また儀式を行い顕彰した。 |
王門 | 男性 | 公孫瓉の武将で、後に袁紹に降った武将。 一万で公孫瓉領に攻め入ったが、田豫に裏切りを責められ軍を引いた。 |
王累 | 男性 | 劉璋の臣。城門に逆さづりになり、劉璋に劉備の起用を命を以って諌めたが容れられず、首を切って自害した。 このシーンは史書に記されており、演義でもほぼそのまま取り上げられた。 |
蓋勳 | 男性 | 後漢の臣。主に涼州方面で軍事・政務において活躍した。 直言を厭わぬ硬骨漢で霊帝から寵愛され、董卓からは恐れられた。 |
郭援 | 男性 | 袁尚の武将。鍾繇の甥。袁尚から河東太守に任ぜられる。 高幹と共に曹操軍の平陽攻略を図るが、汾水を渡りきらないうちに鍾繇と馬超に攻められ、龐徳に斬られた。 |
何氏 | 女性 | 何皇后とも。霊帝の皇后で、少帝弁の生母・皇太后。何進は異母兄、何苗は異父兄にあたる。 |
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何苗 | 男性 | 何進の義理の弟。車騎将軍まで昇進した。 霊帝崩御後は義兄と対立していたため、何進の遺臣・呉匡らから何進暗殺の罪を着せられ殺害された。 |
関純 | 男性 | 正史では閔純。韓馥の別駕。韓馥が袁紹を招くことに反対し、耿武とともに袁紹殺害を謀ったが文醜に斬られた。 |
管承 | 男性 | 長広郡で活動した海賊。袁譚から官位を受け、郡内で暴れまわった。 一時降伏するも、後に叛いたのか曹操からたびたび征伐を受け、最後は張郃に討たれた。 |
管寧 | 男性 | 後漢の名士。華歆、邴原とは学友。 戦乱を避け遼東に移ると、その徳の高さから公孫度の一族から代々尊重された。 後に帰郷するが招聘は全て断り生涯を終えた。 |
韓馥 | 男性 | 後漢の冀州刺史。袁紹と共に劉虞を皇帝に即けようと画策した。 公孫瓚が勢力を拡大すると、自発的に袁紹に地位を譲る。 後に袁紹に不安を覚えて張邈の下に逃亡したが、疑心暗鬼となり自害した。 |
韓筥子 | 男性 | 袁紹の武将。官渡の戦いで、眭元進、呂威璜、趙叡らと共に淳于瓊に従って兵糧基地のある烏巣(うそう)を守る。 しかし曹操の夜襲を受け、烏巣を防ぐことはできなかった。 |
魏越 | 男性 | 呂布の武将。呂布が袁紹と共に常山で張燕と戦った際に従軍。 呂布と共に僅か数十騎で1日に3・4回も張燕の本陣への突撃を行い、十日ほどで張燕軍を大破した。 |
吉本 | 男性 | 後漢の太医令。吉平とも。 218年、息子達や金禕・耿紀・韋晃とともに曹操の留守に反乱を起こした。 しかし許昌を守る王必を討てず、逆に討伐された。 |
魏攸 | 男性 | 後漢の臣。幽州牧・劉虞に従軍する。 袁紹に敗れた公孫瓚を劉虞が討伐をいさめた。 その1年後に魏攸は病死し、劉虞は公孫瓚討伐の軍を起こすが、返り討ちにあった。 |
丘力居 | 男性 | 烏丸族の大人。遼西郡を支配した幽州や青州に何度も侵入した。 劉虞が赴任すると、公孫瓉の妨害もあったが恭順の意を示した。 |
季雍 | 男性 | 袁紹の武将。公孫瓚に降伏し、袁紹軍の朱霊に攻められる。 朱霊の家族を人質とした公孫瓚の援軍を得るが、家族の命を犠牲にする覚悟を決めた朱霊の攻撃を受け、生け捕られた。 |
橋玄 | 男性 | 後漢の政治家。法に厳しく、厳格な人物で自分の息子が人質にとられても賊の討伐を優先させた。若き日の曹操を初めて評価した人物。 演義でのみ「喬公」「喬国老」とも呼ばれ、大喬・小喬らの父と同一人物とされている。 |
姜叙 | 男性 | 涼州刺史・韋康の部下。馬超に仕方なく従っていたが、母の檄もあって楊阜らとともに馬超に反旗を翻した。 結果、馬超を敗走させることに成功した。 |
橋瑁 | 男性 | 橋玄の甥。後漢の東郡太守。軍を率いて反董卓同盟に参加する。 同盟決裂後、劉岱から兵糧借用の依頼を受けるが、これを断ったために殺された。 正史では何進と十常侍との対立の折に召集され、軍を進めているほか、董卓討伐の檄文を発している(演義では曹操が檄文を発したことになっている) |
金禕 | 男性 | 後漢の臣。武陵太守・金旋の子。 韋晃、耿紀らと共に王必を討って献帝を奪い、曹操を討伐する計画に参加。 218年の正月に謀反を決行するも王必に逃げられ、討伐を受け戦死した。 |
金旋 | 男性 | 後漢の武陵太守。金禕の父。 漢陽太守を務めた後、一度都に戻り、中郎将に昇進して武陵太守を兼任した。 演義では出陣したところを配下の鞏志の裏切りにあい死亡した。 |
蹇硯 | 男性 | 後漢の宦官。叔父が禁令を犯して夜間外出をしたため、洛陽の北部尉をしていた曹操に捕らえられて棒で殴り殺された事がある。 霊帝に寵愛され、西園八校尉が置かれた時、その筆頭として近衛軍を統括した。 後に霊帝の意を受け、劉協擁立を進めるも何進に殺害された。 |
黄琬 | 男性 | 後漢の政治家。 その名声から董卓に召しだされ三公に任じられたが、長安遷都に反対し免官された。 李傕らが長安を落とすと牢に入れられ処刑された。 |
黄承彦 | 男性 | 後漢の名士。黄月英の父で、諸葛亮の舅。 嫁を探していた諸葛亮に、「私に醜い娘がいる。赤毛で色黒だが才能は君とお似合いだ」と勧めたという。 諸葛亮が承知すると、娘を車に乗せて送り届けた。 演義では、夷陵の戦いの追撃戦で、諸葛亮が魚腹浦に仕掛けた石兵八陣に陸遜が迷い込むと、陸遜を惜しんで救出した。 |
康僧会 | 男性 | 康居出身の訳経僧。商人の父に従い交趾に移住した。十代で両親を失ったため出家して仏典を学んだ。 呉の赤烏十年に寺を建ててもらうために建業を訪れたが、呉の人々は初めて見る僧形に驚いたという。 面会した孫権が仏教の霊験を試させたところ、康僧会は三十七日の祈祷の末に五色の光を放つ仏舍利を出現させた。 このことから孫権の支持を得て、江南地方で最初の仏教寺院、建初寺が建立された。また後年、法令苛虐な孫皓を改心させたという逸話が残る。 |
公孫恭 | 男性 | 公孫度の子。公孫康の弟。 公孫康に袁煕らを殺して首を曹操へ届けるよう進言した。 兄の死後爵位を継いで、車騎将軍に任ぜられるが、のちに甥の公孫淵に位を奪われた。 |
公孫康 | 男性 | 公孫度の子。204年、楽浪郡18城の南半分である屯有県以南を裂いて帯方郡を設置し、勢力を拡大した。 後に、曹操軍に敗れて逃げてきた袁煕、袁尚兄弟を斬り、首を曹操のもとへ届けた。 その功で曹操から襄平侯・左将軍の位を授かった。 |
公孫度 | 男性 | 武威将軍。遼東太守。烏丸討伐に功績があった。 董卓と諸侯の争いで中原が荒廃すると、同郷の徐栄の推挙により遼東太守に就く。 そこで有力豪族らを滅ぼし、権力を拡大させ公孫氏による支配を確立。 遼東侯、平州牧を自称し、以降は中原の戦乱をよそに独立状態を保った。 |
孔伷 | 男性 | 後漢の予州刺史。軍を率いて反董卓同盟に参加する。 人物批評や清談高論は得意だったが、軍の指揮官としては無能だったという。 |
耿武 | 男性 | 韓馥配下の長史。袁紹を招こうとする主人を諌め、関純とともに袁紹の暗殺を謀ったが、顔良に斬り殺された。 |
呉巨 | 男性 | 劉表の武将。蒼梧太守。交州刺史。 劉備とは旧知の仲で、曹操の荊州侵攻時は避難先として挙げられた。 孫権が派遣した交州刺史・歩隲に、不服従を理由に斬られた。 |
呉匡 | 男性 | 後漢の軍人。呉班の父。呉懿の従父。何進の忠実な武将として活躍した。 189年、何進が宦官誅殺を計画して逆に殺害された時、同僚の袁紹らに唆されて、 義理の弟の何苗が宦官と内通して何進を殺害したと疑いを懐き、董旻らと兵を率いて朱雀門で惨殺した。 |
蔡和 | 男性 | 蔡瑁の従弟。蔡中とは兄弟。 赤壁の戦いを前に蔡瑁が曹操に処刑された後名誉挽回を期して、偽りの投降により孫権軍に潜伏。 黄蓋が棒刑を受けた様を曹操に知らせたため、曹操は黄蓋の偽りの降伏を信じた。赤壁の戦いが始まると周瑜の前に連行され、斬られた。 |
蔡氏 | 女性 | 劉表の後妻。蔡瑁の姉で、劉琮の母・劉琦の義母。 劉表が死ぬと、遺言を偽造して劉琮を後継者に仕立てた。 曹操に降伏した後に青州に向かう劉琮に同行するが、ともども于禁に討たれた。 |
蔡中 | 男性 | 蔡瑁の従弟。蔡和とは兄弟でほぼ行動を共にしたが、 赤壁の戦いが始まると、周瑜の策で甘寧を曹操の陣まで手引きしたところを斬られた。 |
士壱 | 男性 | 士燮の弟。後漢朝廷に仕えていたが、董卓が実権を握ると黄琬とともに反抗的な態度を取ったため免官。 兄の治める交州に逃れ、合浦太守を勤めた。 甥の士徽の呉への反乱では子の士匡が呉に味方していたため、命だけは許されたものの、士壱も官職を剥奪された。 後に、士壱も法を犯したという名目の下で処刑されてしまった。 |
士徽 | 男性 | 士燮の子。士祗の弟。父の死後、交趾太守を自称し呉と敵対する。後に呂岱に降伏するも斬られた。 |
士匡 | 男性 | 士壱の子。士徽は従兄弟。仲の良かった呂岱の命で、反乱を起こした士徽に降伏を勧めた。 しかし、呂岱は約束を破り、士徽一族を皆殺しにされ、自身も庶民に落とされた。 |
紫虚上人 | 男性 | 益州の錦屏山の隠者。 劉備の侵攻に悩む劉璝らが占いを請うと、暗に龐統の死と、諸葛亮の益州平定を予言した。 しかし、劉璝らは理解できず、そのまま戦死した。 |
支謙 | 男性 | 月氏出身の訳経僧。漢末に来訪し、支亮に師事して経典を学び、六か国語に精通した。 後に南方に避難すると孫権に才を評価され、博士(役職)に就き孫登の教育係となった。 支謙は色黒の長身で痩せており瞳は黄色であったため、当時の人からは「支郎は黄眼、痩躯といえども知恵袋」と称された。 呉の黄武〜建興年間に『維摩経』など四十九の経典を訳し、また『無量寿』などをもとに梵唄を創作して布教に貢献した。 |
士祗 | 男性 | 士燮の長男。士徽の反乱に参加したが、士匡の勧めで降伏した。しかし、許されず呂岱に斬られた。 |
士燮 | 男性 | 後漢末から三国時代の群雄。交州の交趾太守として権勢を揮い、海上交易で莫大な利益を上げた。 後漢が衰退し辺境への影響力を失うと、地元勢力を取り込み、実質的に独立を果たす。 中央から隔絶された土地柄、そして彼自身の人柄により、疎開した中央の人士は後を絶たなかったという。 後、荊南を呉が支配すると呉に帰順し、多くの貢物で呉の警戒心を和らげたが、 90歳で天寿を全うするまで、呉は交州の完全支配を果たせなかった。 |
士孫瑞 | 男性 | 後漢の僕射。王允の董卓暗殺計画に参加する。蔡邕を投獄した王允に助命を嘆願した。 献帝が長安から脱出した際に、李傕らの追撃に遭い死亡。 |
司馬徽 | 男性 | 学者。道号は水鏡先生。襄陽に隠遁する名士・人物鑑定家であり、諸葛亮、龐統、徐庶らの学問の師。 蔡瑁の暗殺計画から逃れた劉備を自宅に泊め、臥龍・鳳雛の存在を教えたと伝えられる。 道号名義で『真・三國無双4』『真・三國無双4 猛将伝』に登場している。 |
周昴 | 男性 | 袁紹の武将。周昕の弟。 袁紹の命を受け、陽城(袁術の指示で董卓と戦っていた孫堅の拠点)を攻め落とす。 袁術が孫堅と公孫越を派遣して反撃してくると、迎え撃って公孫越を討った。 後に九江太守となるが、袁術軍の孫賁(そんほん)に攻められ、陰陵で敗れた。 |
荀爽 | 男性 | 荀彧の叔父、荀勗の曽祖父。兄弟は皆優秀で荀氏の八龍と呼ばれた。 党錮の禁が解けた後、大将軍何進の従事中郎となり、更に侍中とされた。黄巾の乱では豫州刺史の王允に仕え、孔融と共に黄巾軍を撃破した。 その声望を見込んだ董卓に無理矢理召し出され、無位無官から三月余で三公にまで上った。 後に王允らと董卓暗殺の計画を練るが途中で病死した。 |
昌豨 | 男性 | 後漢末の将、群雄。 臧覇ら泰山付近で活動した軍閥の一人で、呂布が死ぬと曹操に降伏した。 しかし劉備の独立時や、冀州平定後になどに反乱を起こし、夏侯淵、張遼、于禁ら曹操軍を手こずらせた。 最終的に昌豨は于禁の旧友だったこともあり降伏したが、法を厳守する于禁は許さず、涙ながらに処断した。 |
蒋義渠 | 男性 | 袁紹の武将。官渡の戦いで袁紹が曹操に敗れた後、敗走する袁紹を黎陽に迎え入れた。 袁紹から官渡の戦いの状況を聞くと、散り散りになった敗残兵を呼び集め、袁紹軍に官渡の戦い以前の威勢を取り戻させた。 |
支婁迦讖 | 男性 | 月支出身の訳経僧。月支族の者は士姓を名乗る慣例があり、婁迦讖はローカクシェーマの意。支讖とも。支亮の師。 桓帝の時代に洛陽に訪れ、霊帝期の光和・中平年間(178〜189)に初めて大乗経典の『道行般若経』等を漢訳した。 |
秦宜禄 | 男性 | 呂布配下の将。秦朗の父。妻は杜氏。 曹操が下邳を包囲した際に袁術に救援の使者として向かうが、袁術により漢王朝の一族の娘と結婚させられた。 秦宜禄は呂布が滅亡すると曹操に降っていたが(この時、杜氏は曹操の妾となっていた)、劉備が小沛で叛旗を翻すと、 張飛が訪れ「妻を奪った男に仕えるのはバカなことだ。俺について来い」と勧誘し、秦も最初は受諾した。 しかし、後悔して張飛に帰りたいと願い出、怒った張飛に殺されてしまった。 |
眭元進 | 男性 | 袁紹の武将。官渡の戦いに参加。 淳于瓊の指揮の下で、韓莒子、呂威璜、趙叡らと共に烏巣(うそう)の兵糧基地を守っていた。 趙叡と兵糧を調達した直後、曹操軍の兵糧庫夜襲を知る。火の手が上がる中、曹操軍と戦ったが敗れ、戦死した。 |
眭固 | 男性 | 張楊の武将。元黒山賊。 191年、同じ黒山賊の于毒、白繞らと共に魏郡を攻略するが、翌年、曹操に敗退した。 199年に楊醜を討った後、旧張楊軍を率いて袁紹に味方し、射犬に駐屯。 巫女に「字が兎なのに、犬の名の土地にいるのは不吉」と言われたが、聞き入れなかった。 その後、犬城で史渙、曹仁、于禁、徐晃らと戦い、敗死した。 |
鄒氏 | 女性 | 張済の妻。張繍の叔母。夫の張済が南陽攻撃中に死亡すると、甥の張繍の下に身を寄せた。 197年、張繍が曹操に降伏した際、南陽に進駐した曹操に見初められた。 以後、曹操は鄒氏の屋敷に入り浸りになり、激怒した張繍は曹操を攻撃。典韋や曹昂はここで曹操を守り、落命した。 |
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鄒靖 | 男性 | 後漢の武将。黄巾の乱に際し、幽州太守・劉焉に義勇軍を募って討伐するよう提案して採用される。 その後、応募してきた劉備、関羽、張飛らを率いて青州の黄巾賊を打ち破った。劉備らが盧植の援護に向かうと、別行動を取った。 |
石徳林 | 男性 | 別名を寒貧。若い頃、長安で学者について学んだ。 特に「方術」に興味を示し、その頃から「隠遁」の気が芽生えた。 馬超・韓遂らが叛乱を起こした際に難を避けて一時漢中に移り、曹操の漢中制圧後に長安へ帰還した。 長安帰還後、彼は意図的に人との面会を避け、官の招きにも応ぜず「阿呆」を装うようになり、乞食のような生活を生涯貫いた。 |
臧洪 | 男性 | 後漢末の将。広陵太守の張超に才能を高く評価され、郡の功曹として太守の実務を執った。 董卓の専横時には張超に決起を促し、張超と劉岱・孔伷・張邈・橋瑁の盟約に際し誓約の大任を果たす。 その後、袁紹に登用され青州刺史となる。当時の青州は盗賊の暴挙で荒れ果てていたが、在任中に盗賊を鎮圧した。 旧主張超が曹操軍に包囲されると、臧洪は援兵を袁紹に願い出たが許されず、張超は戦死。 恨みに思い袁紹に戦いを挑むが、自身も敗死した。 |
沮鹄 | 男性 | 袁紹の幕僚・沮授の子。袁紹の死後、袁尚に仕える。 袁譚が曹操に降伏した直後、冀州に攻め込んできた曹操軍を邯鄲(かんたん)で迎撃。 張遼と打ち合うが3合せずに追い立てられ、逃走するところを射殺された。 |
蘇由 | 男性 | 袁尚の武将。曹操に攻められた袁譚の救援に袁尚が向かった際、審配と共に鄴の守りについた。 しかし、曹操軍が鄴への侵攻を開始すると、曹操との内通を謀る。 しかし、これに気づいた審配と市街戦になり、城外に脱出して曹操軍に降った。 |
祖郎 | 男性 | 丹陽・宣城などにも勢力を広げていた宗教指導者。 孫策に討伐されそうになるが、先手を打って急襲し、孫策軍に全滅間近に至る大打撃を与える。しかし後に孫策軍の呉景・呂範・孫河らの討伐を受け敗走した。 袁術が皇帝を名乗ると、袁術は祖郎に印綬を送って孫策の背後を突かせようとしたが、孫策は孫輔・呂範と共に陵陽に進軍して祖郎を破り、生け捕りする。 孫策が祖郎の才能を惜しんで宿怨を忘れ配下に迎えたため、頭を打ち付けて孫策に謝罪した。 後に祖郎は門下賊曹に任命され、孫策の帰還の際には太史慈と共に軍の先導役を務めた。 |
段煨 | 男性 | 董卓の武将。長安遷都後華陰に駐屯し連合軍に備えた。 献帝が洛陽へ帰還する際は、帝や公卿以下に物資を援助し、陣営に迎えようとした。 しかし、もともと仲の悪かった楊定らの進言や李傕らが接近したこともあって避けられた。賈詡はこのとき段煨の元に身を寄せ、家族も託している。 198年の裴茂の李傕討伐に従い功を立てた。後に中央に召されて大鴻臚・光禄大夫となり、四十歳で卒去した。 |
种輯 | 男性 | 後漢の政治家。 董卓による長安遷都後に、种輯は黄門侍郎の荀攸らと共に董卓暗殺計画を謀ったが、事前に発覚して失敗に終わるも死は免れる。 献帝の東帰の際は側につき従った。200年、种輯は董承らと共に、曹操誅殺のクーデターに参加したが、事前に発覚し、処刑された。 |
張奐 | 男性 | 若い頃から才能を発揮して、後漢に仕えた文武両道の将。 北境では異民族の侵攻を度々防ぎ、功績を挙げ、皇甫規(威明)、段熲(紀明)とともに「涼州の三明」と讃えられた。 しかしその忠誠心の高さを十常侍に利用され、党錮の禁では宦官を除こうと挙兵してきた竇武・陳蕃らを何も知らぬまま撃退してしまった。 |
張闓 | 男性 | 徐州太守・陶謙の配下。元黄巾の残党。 陶謙の命で、曹操に招かれ兗州に向かう曹操の父・曹嵩を護衛する。 しかし、曹嵩一行が持つ財宝に目がくらみ、部下と謀って曹嵩らを皆殺しにすると、財宝を奪って淮南に逃げた。 激怒した曹操は徐州に侵攻するが、その間に呂布に兗州を奪われる。 |
張機 | 男性 | 後漢末期の医学家、官吏。 後漢末期の戦乱の中で傷寒病などの伝染病が流行し、家族も病死する悲惨な光景を目にして、医学を修めることを決意。 建安年間に各地を遊学し『傷寒雑病論』を執筆する。 また、長沙太守を務めたこともある。後代、「医聖」と讃えられ、華佗・董奉と並んで建安三医に数えられる。 |
趙氏貞 | 女性 | 通称は趙嫗。麗海婆王とも呼ばれた、越南(ベトナム)の反乱指導者で、兄の趙国達と共に九真の地で呉に対して反乱を起こした。 身長九尺の長身で胸は三尺もあり、鎧に収まらないために肩にかけていたという。 呉から派遣された陸胤に討伐され戦死した。 |
張松 | 男性 | 劉璋の幕僚。張粛の弟。劉璋が張魯に脅かされると、曹操に援軍を要請に向かう。 しかし、曹操からぞんざいに扱われたため、楊修を言い負かし、曹操の「孟徳新書」を暗記して驚かせる。 その態度が曹操の怒りを買い、交渉は決裂。帰途、劉備から歓迎を受け、劉璋に代えて劉備を蜀の統治者にしようと目論む。 劉備に蜀の地図を渡し、張魯を防ぐ名目で劉備を蜀に入れることに成功。 決起を促すが、兄・張粛に計画を通報され、劉璋に処刑された。 |
張譲 | 男性 | 後漢の宦官。十常侍の筆頭。養子の妻は何太后の妹にあたる。霊帝の腹心。 後に何進が十常侍排斥を企てると、先手を打って何進を宮中で暗殺した。 しかしこれが袁紹、袁術らによるクーデタを招き、宮中の宦官は殺戮された。 趙忠ら十常侍の大半が討ち取られる中、張譲は少帝と陳留王(のちの献帝)を連れて洛陽を脱出したが、 黄河の辺で叛乱軍に追いつかれ、河に身を投げて自殺した。 |
張世平 | 男性 | 仲間の蘇双と共に馬を商う豪商。義兄弟の契りを結んだばかりの劉備三兄弟に軍資金や馬を援助する。 その軍資金を元に、劉備らは義勇兵を率いて黄巾討伐に加わることになる。 |
張羨 | 男性 | 後漢末の政治家・軍人。 零陵・桂陽地域の県長・太守を務め荊南の民心を掴んでいた。強情な性格で劉表に疎まれて礼遇されず、そのことで恨みを抱いた。 198年、長沙・零陵・桂陽の三郡の兵を率いて劉表に叛き、劉表は長沙を包囲したが落とすことは出来なかった。 配下の桓階を曹操へ送るが援軍を得られず、後に病死。息子の張懌が後を継いだが長沙は陥落した。 |
張超 | 男性 | 後漢末の将・政治家。陳留太守の張邈の弟。 兄の張邈や他の諸侯と共に反董卓連合に参加し、同盟の宣誓者として、臧洪を推薦。 後、徐州の陶謙を討つため徐州遠征に赴いた曹操の留守を狙い、陳宮・張邈らと謀議し、呂布を兗州牧に推戴して謀反。 一時は、呂布らにより兗州の大半を制圧したが、曹操の反撃で窮地に追い込まれる。 雍丘に籠城し、曹操の猛攻撃に抵抗するが、雍丘は陥落して張超は自殺した。 |
趙浮 | 男性 | 韓馥配下の都督従事。 反董卓の挙兵時は韓馥の命令により、同僚の程奐と共に、数百艘の船と石弓隊一万を擁して、河陽の孟津に駐屯していた。 韓馥が袁紹に冀州を譲ると聞くと、趙浮と程奐は、急遽韓馥の下へ引き返す。 その途中、朝歌の清水口に袁紹とその軍が駐屯していたため、趙浮と程奐は、夜間に軍鼓を打ち鳴らしながらその側を通過し、袁紹を威嚇した。 趙浮らは、韓馥の下に戻ると、袁紹と戦うことを願い出たが、結局韓馥はこれを聞き入れず、袁紹に冀州を譲渡した。 |
張楊 | 男性 | 後漢の河内太守。袁紹が董卓討伐軍を起こした時、上党に駐屯しており、匈奴の於夫羅と共に袁紹に協力した。 しかし、於夫羅が反逆を企てたため瓦解し、一時期、於夫羅に捕らえられた。その後、董卓から河内太守に任ぜられる。 献帝が李傕、郭汜の支配下を脱して洛陽に移った際、食糧を援助して大司馬に任ぜられた。 呂布が曹操に包囲されると、呂布を救援して曹操の背後を攻めようとするが、部下の楊醜に殺された。 |
禰衡 | 男性 | 非常に恵まれた才能および、桁外れて傲慢不遜な性格と奇矯な言動で知られていた毒舌の三國無双。 孔融の2度に渡る推挙で曹操に召し出されたが、二度目の対面の席上、曹操が礼を欠いたことから彼の配下を痛烈に罵倒し、曹操の怒りを買う。 後に劉表の下に送られるが、そこでも配下の恨みを買ったことで讒言によって遠ざけられ、次は黄射と親しい関係になって彼の父・黄祖に拾われる。 が、同様の傲慢な態度が再発した結果、黄祖の手により処断された。 詩に『鸚鵡賦』がある。 |
鄭泰 | 男性 | 後漢の将。鄭渾の兄。何進の招聘を受け、その側近となり活動した。 いち早く董卓の危険性を見抜き、何進が董卓と結ぶことに反対したが、進言が容れられることはなかった。 何進暗殺後、董卓が政権を握ると、表面上は忠実な振りをしつつ袁紹に官位を授けさせたり、荀攸と暗殺計画を練るなど董卓の打倒を謀った。 しかし、計画は失敗し、袁術の元に逃れるとそこで病死した。 |
田疇 | 男性 | 後漢の議郎。劉虞に仕え、早くから公孫瓚を警戒していた。 献帝への使者として長安に赴くが、劉虞が公孫瓚に殺されたため隠棲。 袁紹や袁尚の招きには応じず、北方に籠もって善政を敷いた。 郷里を荒らした烏丸を恨んでいたため、曹操の烏丸討伐に協力したが、その後は曹操の任用も固辞し親しかった夏侯惇の説得も拒んだ。 |
杜氏 | 女性 | 秦宜禄の妻。秦朗、金郷公主の母。 下邳陥落の際、夫の秦宜禄が他の女性と結婚していた為、関羽は曹操に杜氏を娶りたいと願い出た。 曹操は了承したが、実際に見たところ気に入った為、そのまま側室にしてしまった。 連れ子の秦朗は曹操に養育され、後に魏の権臣となった。 |
董氏 | 女性 | 馬超の妾。弟に董种。子に馬秋。張魯のところに預けられていたが、張魯の降伏後は閻圃に与えられた。 また、同じく預けられていた子の馬秋は張魯に殺された。 |
董白 | 女性 | 董卓の孫娘。長安遷都の際に、未成年だったにもかかわらず渭陽君に封ぜられ領地も与えられた。 董卓暗殺時は他の親族と同じく郿塢にいたと考えられ、王允の命で皇甫嵩が郿塢を攻めた際に死亡したと推察される。 『真・三國無双5Empires』においてNPC登場。次回作『真・三國無双8』ではユニークNPC兼DLCキャラとして参戦。 |
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董奉 | 男性 | 三国時代の医者。若い時に医学を学び、南方で活動した。 患者から治療費を受け取らず、快方した患者に杏の苗を植樹することだけを求め、数年後には数万株の杏が満開になったという。 晩年は豫章に隠棲し、民に医療を施し続けた。病院や医者のことを「杏林」と呼ぶのは彼の事績に由来する。 仙人としての逸話も多く残り、虎を使役したり、病死した士燮を甦らせたり、何百年も生きたり、といった伝説がある。 |
南華老仙 | 男性 | 荘子と同一視される仙人。漢王朝の腐敗に悩む張角に『太平要術の書』を授け、 「これを用いてあまねく世の人を救うがよい。だが、悪しき欲のもとに使えば必ずや天罰の報いが訪れる」と言って去ったという。 |
裴茂 | 男性 | 後漢の官僚、武将。裴潜の父。裴秀の祖父。 献帝に侍御史として仕え、建安二年(一九七)十月には、段煨や関中の諸将を統率し、李傕を討伐して、その三族を滅ぼした。 子の裴潜のことはあまり評価していなかった。 |
馬休 | 男性 | 馬騰の次男。[[馬超]の弟。馬鉄の兄。 孫権討伐の勅命を受けた馬騰に従い許昌に入った。 しかし、馬騰と黄奎による曹操討伐の密議が発覚し、曹操軍に包囲される。馬騰と共に勇戦するが、捕らえられ処刑された。 |
馬鉄 | 男性 | 馬騰の三男。馬超、馬休の弟。 馬休とほぼ同じく、孫権討伐の命を受けて許昌に呼び寄せられた馬騰に同行。 馬騰と黄奎による曹操討伐の密議が発覚して曹操軍に攻められ、乱戦の中、戦死した。 |
樊氏 | 女性 | 桂陽太守・趙範の兄嫁。趙範は趙雲に兄嫁・樊氏を妻にするよう勧めるが、趙雲は劉備軍の風評に傷が付くことを危惧し断固として拒んだ。 京劇『龍鳳呈祥』や無双ブラストでは「樊玉鳳」として登場。 |
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潘鳳 | 男性 | 韓馥の武将。大斧の使い手。反董卓連合に参加した韓馥に従軍する。 汜水関の戦いで、袁術配下の兪渉が華雄に討ち取られると、韓馥の命を受けて華雄に挑むが、あっという間に返り討ちにされた。 |
卑弥呼 | 女性 | 倭(当時の日本)に存在した邪馬台国の女王。内乱が続いていた国であったが、卑弥呼が女王になると乱は治まった。 鬼道を用いて国を治めたと言われ、魏に使者を送って親魏倭王の称号と金印を授かっている。 死後、国は再び乱れるが、卑弥呼の一族の娘で13歳の壱与(台与とも)が女王になると、国は再び平和になったという。 『無双OROCHI 魔王再臨』以降における同シリーズのキャラとして登場しており、本作にはエディット武将用衣装として『邪馬台一式』が登場。 |
馮氏 | 女性 | 馮方の娘。国中第一と評判の美女で、袁術に寵愛された妾。 他の妾が「将軍はみさおの固い女性が好みですから、いつも物思いにふけって涙を流されると良いですよ」とわざと間違った忠告をしたが、 馮氏はもっともだと思い実行したところ、一層袁術からの寵愛を受けた。そのため他の妾たちは共謀して馮氏を自殺に見せかけて絞殺した。 袁術は、梁に掛けられた遺体を見て、想い人と一緒になれないことを悔やんで自害したと思い、憐れんで手厚く葬った。 |
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方悦 | 男性 | 河内太守・王匡の将。反董卓連合に参加した王匡の配下として従軍した。 虎牢関で呂布軍と激突。呂布が単騎で乗り込んでくると槍を以って迎え撃つが 5合もせずに討ち取られ、余勢を駆った呂布の前に王匡軍は大敗した。 |
穆順 | 男性 | 張楊の武将。反董卓連合軍に張楊の配下として参加。 虎牢関の戦いで、呂布の勇猛ぶりに連合軍の諸将が尻込みする中、槍を片手に単騎で迎え撃つが、呂布の方天画戟にひと突きにされた。 |
孟節 | 男性 | 演義にのみ登場する孟獲の兄。竹の冠に草の履、白い袍に黒い帯を締めた碧眼黄髪の人物として描かれる。 孟獲らが悪行をおこない朝廷に服さないことを諌めたが、聞き入れられなかったため隠棲。 万安渓という谷で「万安隠者」と名乗り、長年にわたり暮らしていた。 南中平定に赴いた諸葛亮と出会い、毒泉にやられた傷病兵の治癒に協力した。 |
孟虬 | 男性 | 孟獲の息子または孫とされる人物だが、実在の可能性は低い。&bt;蜀漢滅亡後、関索や諸葛亮の孫である諸葛質らが魏への投降を拒み、南方へ亡命した際に受け入れたという。 |
楊氏 | 女性 | 馬超の妻。渭水の戦いで曹操に敗れた馬超が冀城を占領した際、夫に従い入城した。 しかし、馬超追討を狙う楊阜、趙昂らが挙兵し、馬超が鎮圧に向かっている間、梁寛と趙衢に捕らえられる。 敗北した馬超が帰城すると、馬超の目の前で三人の子と共に殺された。 |
楊醜 | 男性 | 張楊の武将。張楊が呂布に加勢しようとした時、張楊を殺し、首を曹操に献じる。 その後、部下の眭固に裏切られ、殺された。 |
李孚 | 男性 | 馮紞の祖父?袁尚の幕僚。元の姓は馮。 審配の守る鄴が曹操軍に包囲された際、援軍を知らせる使者として曹操軍に成りすまして包囲を突破、無事に入城した。 また、食糧節約の為、子供や老人を降伏させ、城から出す策を審配に献じた。 後の袁尚追討ではぐれたため、止む無く袁譚に仕え、その後、降伏し曹操に仕えた。魏では司隷校尉や平陽太守を勤めた。 |
李豊 | 男性 | 袁術の武将。袁術が起こした呂布討伐戦に督戦官として参加。 呂布と一騎討ちになり、槍で利き腕を突かれて逃走した。 その後、曹操に攻め込まれ、楽就、梁綱、陳紀と共に寿春を守る。しかし力及ばず、曹操軍に捕らえられ、斬られた。 |
劉淵 | 男性 | 晋王朝成立後の漢/後の前趙の創建者。劉豹の子。母は呼延氏。約190�の巨漢で、腕力に優れ弓術を得意とした。 幼少の時に漢人の文化を学び、魏末に人質として魏の洛陽に入った。西晋の初年に父・劉豹が高齢で没すると、跡を継ぐ。 八王の乱が起こり晋朝が乱れると、従祖父や腹心から秘かに大単于に推され、司馬穎に匈奴の援軍を率いると言って帰郷、大単于に就任する。 10月、晋から自立。単于が漢王朝とかつて婚姻関係にあったことから国号を「漢」と定め、漢王を称した。 配下の石勒、王弥や従子の劉曜など従えて、勢力を拡大。308年10月に皇帝を称するに至ったが、洛陽攻略の途上で病没した。 |
劉和 | 男性 | 後漢の幽州牧・劉虞の子。侍中として献帝に仕える。 長安遷都後、洛陽に戻ろうとした献帝から、劉虞に出兵を促すよう命じられた。 幽州に向かう途中、袁術に劉虞から送られた軍勢を奪われ自身も拘留された。 後に袁術の下から脱するが、父・劉虞は犬猿の仲だった公孫瓚によって殺害されていた。 そこで袁紹の精兵や劉虞の遺臣と共に、亡父の仇である公孫瓚を攻め滅ぼした。 |
柳毅 | 男性 | 公孫度の官僚、武将。公孫度から信任を受けた。 公孫度は諸将に勃海を渡らせ青州の東莱郡の諸県を攻略させたが、このときの将の中に柳毅がいたと考えられる。 たびたび青州で暴れまわったが、袁譚が敗れた頃、海岸方面に派遣された張遼によって撃破された。 |
劉協 | 男性 | 後漢の第14代皇帝「献帝」。霊帝の次子。母は王氏。 霊帝が崩御し少帝が即位すると、陳留王となる。間もなく董卓に擁立されて即位し、長安への遷都を強行された。 董卓の死後は李傕に支配されるが、長安を脱して曹操の保護を受け、許昌に移る。 以後は政権を曹操に掌握された状態となり、直属の配下が度々曹操の討伐を図ろうとした動きもあったがいずれも失敗。 220年、魏王・曹丕に禅譲を迫られ退位。山陽公に封ぜられ厚遇を受けたものの、後漢はその時を以って滅亡したといえる。 |
劉虞 | 男性 | 後漢の幽州牧。皇族の中で特に徳望が篤かった。 幽州牧として赴任後、融和政策により東方異民族を統治し、民心を安定させる。 董卓が献帝を擁立した後、袁紹と韓馥から皇帝に担ぎ上げられそうになるが、漢室への恭順を貫き、拒否した。 異民族統治策での意見の違いから、次第に公孫瓚との仲が悪化。193年、公孫瓚と戦って敗れ、刑死した。 |
劉宏 | 男性 | 。後漢の第十二代皇帝「霊帝」。 暗愚な人物とされ、政治の実権は十常侍など宦官らに掌握されていたが、 一方で学問を重視して、熹平石経を作らせたり、皇帝直属の常備軍の「西園八校尉」を設立したりといった事績もある。 黄巾の乱平定後、騒乱の最中に崩御した。 |
劉氏 | 女性 | 袁紹の側室。袁尚の母。官渡の戦いの後、袁紹に袁尚を後継者とするよう勧める。 202年、袁紹が死ぬと、審配、逢紀と共謀して袁尚が後継者になるように手配。 その裏で密かに袁紹の5人の妻を皆殺しにした。 204年、曹操が袁尚を破って鄴を平定した際、甄姫と共に捕らわれ、曹丕の保護を受けた。 |
劉琮 | 男性 | 荊州刺史・劉表の次男で、劉琦の異母弟。 蔡氏を妻としたことから蔡瑁らの一族の後押しもあり、長男を差し置いて後継者となる。 しかし、後継の座を奪われた劉琦や劉備の攻撃を恐れ、傅巽らの策を容れて曹操に降伏。 曹操が荊州に入った後、青州刺史に任じられる。 |
劉磐 | 男性 | 劉表の甥。劉表の命で、黄忠と共に長沙の攸県を守る。 勇猛でたびたび艾県、西安県などの諸県に攻め込んだが、孫策が太史慈を赴任させると鳴りを潜めた。 |
劉弁 | 男性 | 後漢の第十三代皇帝。霊帝の息子。生母は何太后。 霊帝が崩御すると大将軍の何進により擁立された。 が、何進が宦官により暗殺され、その宦官が袁紹によって皆殺しにされた後に、 洛陽に入ってきた董卓によって異母弟の劉協(献帝)が擁立され廃位となり、弘農王に封じられた。 反董卓連合が起こると、連合軍に擁立されることを恐れた董卓の命を受けた李儒により、長安遷都前に毒殺された。 |
呂伯奢 | 男性 | 演義に登場する富豪。 董卓から指名手配され洛陽から逃亡中の曹操と、その同行者の陳宮を家に匿う。 しかし、留守中に疑心暗鬼に陥った曹操によって家人は皆殺しにされる。 また逃亡の障害となるため、何も知らず帰ってきた呂伯奢も殺害された。 |
盧氏 | 女性 | 張衡の妻。張魯の母。巫術に通じた女性で、年を経ても若々しい姿のままだった。 いつも家を行き来するなど劉焉に気に入られたため、息子の張魯が官位を授かり漢中に派遣された。 劉焉は長安からの道を塞がせたため、張魯は漢中に五斗米道の拠点を得ることができた。 劉焉が没すると子の劉璋が後を継いだが、張魯は劉璋に従うことを承知しなくなった。そのため、益州にいた盧氏とその親族は劉璋に殺害された。 |
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| | 説話・小説・漫画など、発展創作で登場した人物についての参考記録。
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王悦 | 女性 | 『花関索伝』 | 盧塘塞(ロトウサイ)の盗賊・王令公の次女。王桃の妹。 姉の王桃と一緒に関索の側室となった。 |
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王桃 | 女性 | 『花関索伝』 | 盧塘塞(ロトウサイ)の盗賊・王令公の長女。王悦の姉。 蜀へ向かう関索と戦うも敗れた。捕えられると妹とともに側室となった。 |
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花鬘 | 女性 | 『龍鳳巾(京劇)』 | 孟獲と祝融の娘で、両親譲りの武勇の持ち主。 孔明の南征に従軍した関索との幾度かの出会いや戦いを経て婚約、結婚する。 |
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馬雲騄 | 女性 | 『反三国志』 | 馬騰の娘。馬超の妹。天女のような美貌と、優れた武勇の持ち主で馬騰からこよなく愛されたとされる。 馬騰が曹操に殺された後、馬超に従い復讐戦を挑む。 曹操に敗れると、馬超、馬岱と共に劉備軍に帰属。劉備の勧めで趙雲と結婚した。 |
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