分類 | 性能 |
---|
メーカー | フォルクスワーゲン | 総排気量 | 1,131cc | PP | 226 |
国籍 | ドイツ | 最高出力 | 25PS/3,300rpm | 全長 | 4,070mm |
カテゴリ | ノーマルカー/2ドアセダン | 最大トルク | 6.8kgfm/2,000rpm | 全幅 | 1,540mm |
モデル | 簡易 | 駆動形式 | RR | 全高 | 1,550mm |
ギャラリー | 非対応 | 吸気形式 | NA | 車両重量 | 720kg/46:54 |
内装 | 簡易 | PWR | 28.80kg/PS | TM | 4速 |
入手方法 | カスタム/チューン制限 |
---|
ディーラー | Cr.4,000,000 | カスタム | ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:不可 |
プレゼント | --- | チューン | |
+
| | ←カラーバリエーションを表示
|
カラーバリエーション |
---|
Schwarz | ☆Perlgrau | --- | --- | --- |
|
#ref(): File not found: ".jpg" at page "ビートル 1100 スタンダード (Type-11) '49"
#ref(): File not found: ".jpg" at page "ビートル 1100 スタンダード (Type-11) '49"
- 第一号車が1938年に生産開始されて65年、2003年に生産終了となるまでの生産台数はなんと2,152万9,464台という記録を残した伝説の大衆車。四輪自動車としては世界最多記録。
なお、正しい名称は「Type-1」。一般に知られる「ビートル」の名は、そのキュートなボディ形状から付けられた愛称。
- ビートルが誕生した歴史的な背景には、当時ドイツを制したアドルフ・ヒトラーが国民車構想を打ち出したことに始まる。
ヒトラーは設計者であるフェルディナント・ポルシェに国民車(フォルクス・ワーゲン)の条件として、以下のような条件を提示した。
- 頑丈で長期間大きな修繕を必要とせず、維持費が低廉
- 標準的な家族である大人2人と子供3人が乗車可能
- 連続巡航速度100km/h以上
- 7Lの燃料で100kmの走行が可能
- 空冷エンジンの採用
- 流線型ボディの採用
- 販売価格1000マルク以下
- これら全ての条件を満たすのは非常に厳しかったが、2年以上の開発期間をかけ、1938年にVW38が完成。
VW38はRRレイアウトを採用することで大人4名が乗車するスペースに加えて駆動輪のトラクションを確保することができ、空気抵抗を抑制するためデザインされた流線型のボディは「ビートル」に似た個性的なデザインであった。
しかし、ヒトラー自身が1939年に第二次世界大戦を勃発させたため、フォルクスワーゲンが実際にドイツ国民の手には渡らなかった。それらはキューベルワーゲンやシュビムワーゲン等に形を変え戦場に投入された。
- 1945年に第二次世界大戦が終結し、ドイツ国内のさまざまな工場や資材は、進駐してきた連合国軍によって収奪されるがままの状態であった。しかし、当時としては極めて前衛的な設計を備えたビートルは幸運にもその標的から免れた。
加えてフォルクスワーゲン生産工場を管理する役目を与えられたイギリス軍将校アイヴァン・ハーストは、ドイツ人の協力的な態度とフォルクスワーゲン車の内容に将来性を感じ、手段を尽くして工場を修復させ、自動車生産を再開させた。
こうして彼は、残っていたドイツ人労働者らの力でその名の通りの「国民車・フォルクスワーゲン」を、初めて誕生させた。フォルクスワーゲン車の本格的な量産はこの時から始まり、同年にビートルを1,785台も生産している。
- 以後のビートルの歴史は、破竹の勢いと言うべきものであった。
とにかく頑丈で悪路や厳しい気候でも酷使に耐え、材質・工作が優秀で整備性も良く、大人4人を乗せて経済的に高速巡航できるこの車の性能・品質は、1950年代に至ってもなお世界各国の新型小型乗用車に引けを取らなかった。
アウトバーンでの走行を念頭に置いた100km/h以上で高速道路を連続巡航できる車、というポルシェとヒトラーの進歩的コンセプトは、戦後の先進各国におけるハイウェイ時代に見事に適応したのである。
- その後もビートルは排気量の増加などを行い、当初は1.0Lエンジンであったが、収録モデルのように1.1Lとなり、1954年には1.2Lモデルが登場。最終的には1.6Lモデルまで投入されている。
しかし1960年代以降は設計の古さによるスペース・ユーティリティの悪さや、リアエンジンとスイングアクスル式独立懸架による高速走行時の不安定さ、空冷エンジンの騒音などが問題視された。
それに加え、フォルクスワーゲン社は決定的な代替車種開発に失敗し続けて1970年前後は経営困難に陥り、1974年に前輪駆動方式の次世代車「フォルクスワーゲン・ゴルフ」まで、旧式化したビートルを主力車種として凌がざるを得なかった。
- ゴルフの登場により旧モデルとなったビートルは、1978年には本国ドイツでの生産を終了し、その後はメキシコの工場などで生産された。
排ガス規制の強化が進んだ欧州・米国などの一部地域では車両登録不可などにも見舞われたが、途上国等では未だ需要が高く現地の国民車として活躍し続けた。
そして、2003年7月30日、メキシコ工場でビートルの最終車両が完成し、総生産台数約2153万を達成して生産終了とした。
細部のアップデートは頻繁に行われたものの基本設計が一貫して変わることがなかったのは特筆すべきことであり、65年間に渡る製品寿命を保った四輪乗用車は、他に存在しない。
+
| | 派生モデルの解説
|
- ビートルのプラットフォームを流用した派生車種については、GT6収録車種だけでもType2(サンババス)やイタリアのギア社がボディを手がけたカルマンギアクーペが存在する。
それ以外には、ノッチバック、ファストバック、ワゴンと多彩なボディスタイルを持つType3や、4ドアセダンモデルのType4も存在しているが、いずれもビートルより先に生産を終了している。
|