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分類 | 性能 |
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メーカー | メルセデス・ベンツ | 総排気量 | 4,973cc | PP | 691 | 国籍 | ドイツ | 最高出力 | 720PS/7,000rpm (940PS/7,000rpm) | 全長 | 4,700mm | カテゴリ | プロトタイプレーシングカー/FIA-グループC | 最大トルク | 80.0kgfm/-rpm (103.9kgfm/6,000rpm) | 全幅 | 1,980mm | モデル | 高品質 | 駆動形式 | MR | 全高 | 1,050mm | ギャラリー | 対応 | 吸気形式 | TB | 車両重量 | 893kg/49:51 | 内装 | 再現 | PWR | 0.95kg/PS | TM | 5速 | 入手方法 | カスタム/チューン制限 |
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ディーラー | Cr.215,000,000 | カスタム | ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可 | プレゼント | --- | チューン | ターボキットのみ可 |
- 93年から現在までF1コンストラクターとして活躍しているザウバーが、F1以前に参戦していたWSPCにおいて、メルセデスと共に製作・使用したグループCカー。
- ちなみにザウバーのレーシングカーは初代から現在のF1に至るまで一貫して*1C○○という名称を使っているが、これはチームオーナーであるペーター・ザウバー氏の愛妻クリスティーヌ氏のイニシャルより取られている。
- メルセデスとのパートナーシップは85年に始まり、C8と呼ばれるマシンで85年、翌86年を戦った。本マシンはその発展型で、87年のWSPCシリーズ第4戦・シルバーストンでデビューした。
- C8は、ザウバーがBMWとパートナーシップを結んでいた時期に製作されたC7と基本構造は同一で、エンジンだけをメルセデス製に換装。
1955年以来のメルセデス復活という意味で記念碑的なマシンであった。
- 89年のLM24では61・62・63号車の3台体制で参加し、収録の63号車が見事優勝。ザウバーチーム史上初、メルセデスにとっては37年ぶりのLM24制覇であった。
- ちなみに予選は61号車が2位、62号車が1位、そして63号車が11位を獲得し、決勝は上記の63号車が61号車との1-2フィニッシュを決め、62号車が5位で完走した。
- 61号車はレース中に400km/hを記録し、今後絶対に破られないであろう記録として残った。
- 優勝ドライバーの1人であるスタンレー・ディケンズはエンジンは強力、ハンドリングは高速コーナーでは良いが低速コーナーで神経質。乗り心地は振動が多く、そのためチームはマッサージ師を用意して、マシンを降りるたびにマッサージを受けていたと語っている。
- 同年のWSPCにおいても、全8戦中7戦で優勝、チーム・ドライバー(ジャン=ルイ・シュレッサー)のダブルタイトル獲得という快挙を成し遂げた。
- 翌年のWSPCは後継車両のC11にスイッチしたが、開幕戦鈴鹿のみ2号車をC9が務めた。
- しかしその開幕戦、本命の1号車であるC11が予選でクラッシュしたために結局2台ともC9で出場することになった。急な出場の為に代理の1号車はグリッドでのガソリン漏れでピットスタートになる等完走さえも危ぶまれたが、終わってみれば1号車の優勝で見事1-2フィニッシュ。これが引退レースとなり、有終の美を飾った。
- メルセデスの代名詞でもあり、本マシンのカラーリングでもある『シルバーアロー』であるが、マシンの塗装は85年から88年まではスポンサーカラー(イブ・サンローラン傘下のブランドである"クーロス"カラーを纏った他、AEGが精密機械関連の会社ということで、IDチップを模したカラーリングを纏ったことも)であり、シルバーアローの復活は89年まで待つことになった。
- 『ザウバー』の名が冠された最後のグループCマシンであり、翌'90年からはザウバーの名が外れ、名実ともにメルセデスワークスとなる。
ただ、チーム運営は引き続きザウバー氏が行っており、それは車両に掲げられたCのイニシャルからも明白である。
- 両者はグループC終焉後ともにF1への道を歩むこととなる。
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| | 余談
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- 前作ではスタンダードモデルだったが、本作で晴れてプレミアムモデルとなった。
- GT4のスーパーライセンス・卒業試験において、ニュルブルクリンクを本車で一周するのに苦労した人は多いであろう。
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