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姜維(キョウイ) Edit

kyoui.jpg得意武器両刃槍
所属勢力
CV(声優)菅沼 久義
伯約(ハクヤク)
キーワード龍の跡を継ぐ麒麟児

紹介 Edit

「姜伯約! 大志を成すまで、突き進む!」

天水の麒麟児と称された若き将。
諸葛亮の後継者として深く信任され、兵法を託される。
五丈原の戦いの後、度重なる魏への侵攻の指揮を執った。
その実直さと責任感の強さから、斜陽の蜀を最後まで支えつづけた。

Lv.11 地位が在野or一般での能力値(英雄集結シナリオの初期Lv) Edit

体力攻撃力防御力移動速度弓術
345305325150270

各種装備品と地位による上昇量を除いた数値。

Lv.100 地位が在野or一般での能力値 Edit

体力攻撃力防御力移動速度弓術
---150-

各種装備品と地位による上昇量を除いた数値。

固有アクション Edit

アクション解説
地上乱舞「必殺! 九天雷鳴斬!」
ループ部分:左斬り上げ→雷と衝撃を伴った突きを繰り返し前進する。雷属性は無い。
フィニッシュ:
右に一回転した後、雷を纏った両刃槍を構え突進、右へ半回転しつつ跳躍しながら斬り上げ、後ろを向き着地し背後に雷を落とし敵を吹き飛ばしダウンさせる。雷属性。
モーションは『6』から続投中の無双乱舞1「九天雷鳴斬」。『7』では槍で敵を突き刺したまま突進していたが今作では突進に敵を巻き込む形に変更されている。
空中乱舞「逃がすか!」
両刃槍を右側で縦に回し雷を纏わせた後、斜め下に向け投擲、衝撃波と落雷で敵を大きく吹き飛ばしダウンさせる。雷属性。
モーションは『6』から続投中の空中無双乱舞「雷龍波」。
投擲された両刃槍+落雷4ヒットの計5ヒット技。落雷で敵を打ち上げるが硬直が長いので空中フローでの追撃は難しい。
着地して両刃槍が戻って来るまで行動不能な点に注意。一応、着地点はギリギリ攻撃範囲内。
下方への攻撃範囲はあまり無いので高所から撃つと攻撃が届かない上、着地するまでずっと行動不能と悪いこと尽くめ。
両刃槍は地面に突き刺さる寸前に忽然と消えるのだが何処へ行っているのだろうか?
特殊技「いざ! 力の限り!」
両刃槍を正面で風車のように回し前方へ向け雷を纏った竜巻を発生させた後、右に一回転しながら両刃槍を振り抜き衝撃波で敵をよろけ気絶+ヒットバックさせる。雷属性付与。
竜巻5ヒット+衝撃波の6ヒット技。気絶効果は衝撃波部分のみで竜巻だけがヒットした場合は敵をダウンさせる。
衝撃波は自身を中心に発生するが見た目に反し後方への攻撃判定は無い。モーション元は『7』の両刃槍のC3とEX1。
ユニーク攻撃
両刃槍
転倒トリガー:
両刃槍に雷を纏わせながら高く跳躍し宙返りした後、斜め下に向かって急降下突撃、地面に突き立てた両刃槍に雷を落とし衝撃波で敵をダウンさせる。雷属性付与。
跳躍時、急降下突撃2ヒット、衝撃波の計4ヒット技。敵が浮いていると跳躍時に余分にヒットする。
空中発動時は跳躍が省略されるものの大した差は無い。モーション元は『7』の両刃槍のEX2。
気絶フロー:四段目が変化。
横回転させた両刃槍を右からのブーメラン軌道で投擲、敵を浮かせ最後の一撃で打ち上げる。計5ヒット技。
空中フローへ派生可能。『7』両刃槍のC6モーション

登場シナリオ Edit

シナリオ名西暦分類所属地位レベル所在
黄巾の乱184年史実不在
反董卓連合190年史実不在
群雄割拠195年史実不在
官渡の戦い200年史実不在
赤壁の戦い208年史実在野12天水
潼関の戦い211年史実在野12天水
三国鼎立218年史実在野12天水
北伐228年史実劉禅将軍13天水
蜀漢の滅亡263年史実劉禅大将軍12天水
人気武将決定戦???年仮想鍾会軍師12会稽

台詞鑑賞 Edit

+  戦闘(システム)
+  政略
+  隠れ処
+  都市

血縁関係 Edit

血縁あり
武将名備考

『真・三國無双8 Empires』には、
姜維と血縁関係にあたる武将は存在しない。

姜維の父・姜冏は郡の功曹だったが、
羌族の反乱に遭遇して戦死。幼くして母に育てられた。

『正史』姜維伝には、
姜維が殺害されたとき、妻子も処刑されたと記されるが、
いずれも名は不明。


血縁関係なし
武将名備考

秘計伝授 Edit

姜維の
秘計伝授・配偶者(確定)、
秘計伝授・義兄弟(確定)は
荀彧、孫尚香、大喬、
諸葛亮、月英と同じくエピック「神算鬼謀」。

武将考察 Edit

  • 三国時代の蜀の武将。当初は魏の家臣で、のちに蜀に降伏し、斜陽の蜀を支え続けた名将となる。
    • 正史と演義においては蜀へ降伏する動機が異なっており、正史では味方に見捨てられ行き場を失い降伏した。
      演義では魏の名将として趙雲と一騎打ちを行うなど奮戦するが、諸葛亮にその才を見込まれて離間策によって降伏…という形になる。
  • その生涯は有り体に言えば不遇であり、もとは天水の四姓と呼ばれるほどの名族であったが、父親は幼い頃に異民族の反乱に赴いて戦死し、母親の手で育てられた。
    • 異民族の反乱というとピンと来ないかもしれないが、202年生まれの姜維にとって天水が争乱になる出来事といえば、異民族を祖母に持ち絶大な支持を得ていたの反乱である。
    • 211年から214年まで続く戦役を、姜維は10代前半で経験している。若くして父を亡くした彼は、蜀に降る27歳までに、天水(漢陽)郡上計掾、涼州従事、郡中郎・郡参軍事と、地方官界でキャリアを積み重ねていく。
  • その後、街亭の戦いで敗北した蜀軍が撤退する際に追従。諸葛亮からも評価され、五丈原の戦いでは主力の一軍を率いている。
    • 三国志演義ではこのあと諸葛亮の後継者に指名されるが、正史において後継者に指名されたのは蔣琬(ショウエン)である。彼も北伐を推進しており、無双の姜維は彼の役割も引き継いでいる。
    • 当時の蜀は北伐推進派と北伐慎重派が交互に重鎮となっており、蔣琬(ショウエン)の跡を継いだ費禕(ヒイ)は北伐に対して慎重であったと伝わる。しかし彼は253年に非業の死を遂げた。
  • 諸葛亮没後(234年)の体制において、姜維の地位は右監軍・輔漢将軍といったもので、あくまで中央軍の有力幕僚の1人という位置づけであった。転機が訪れるのは238年、姜維は蔣琬が開いた大司馬府の司馬(軍事担当者)の後任に指名され、一軍を率いて度々出征するようになる。
    • 蔣琬は元々荊州方面から進軍する計画を持っていたが、姜維の影響か242年頃には涼州方面から羌族と連携する戦略を強く主張し始める。243年に姜維は涼州刺史に任命されるが、これは蔣琬の強い後押しを受けたものであった。既に重病であった蔣琬は姜維を先手、自らが後続となる戦略を置き土産に、246年に病没してしまう。
    • 243年体制において涼州刺史・鎮西大将軍となった姜維は、庲降都督・鎮南大将軍として西南夷をおさえる馬忠や、魏延→呉壱と続く漢中の番人、督漢中事・鎮北大将軍の王平と肩を並べる存在になっていく。江州都督であり呉に睨みをきかせる車騎将軍の鄧芝とあわせれば東西南北を守る蜀の四将といったところであろうか。
  • 姜維本人は蔣琬(ショウエン)、費禕(ヒイ)の下で重用され、北伐において数々の功績をあげた。が、その快進撃は256年の段谷で鄧艾に完膚なきまでに阻まれることとなる。
    この大敗により蜀は北伐における成果をほぼ全て失ったばかりか、北伐反対の意見も根強くなることとなる。
    • 余談だが、この際の蜀軍は2桁の将、4桁の兵を失っている。これは日本史における長篠の戦いで織田信長徳川家康連合軍に敗れた武田軍が被った損害と大体同程度とされる。
    • 姜維の戦略は一貫しており、羌族との関係強化を念頭に置いたものであった。羌族の反乱に呼応する形で出兵し、破れた羌族の王(白虎文、治無戴ら)を迎え入れる等、対羌外交は彼の役目であった。また、247年には度々反乱を起こしていた汶山の羌族を平定すると、腹心の王嗣を置いて地域を安定させ、重要な物資の供給地としている。247年の功績により、姜維はついに節を仮され軍事の大権を握るようになる。
    • 北伐で常に問題となっていた兵站も、羌族と連携し邸閣(物資集積所)を作ることである程度改善されていたと思われる。255年8月に狄道で王経を破った姜維は一度撤退し、256年5月に段谷で敗戦となるが、その間の半年以上を狄道から僅か数十kmの鍾提という地で魏の隙を窺っていた。魏の諸将が楽観論に靡く中、鄧艾はさらなる来寇を予見していた。
      「奴はアレコレ手を打ってんだ、来るに決まってんだろ、ヴォケー!(#゚Д゚)」
  • 鄧艾に敗れて以降、もともと降将であった姜維の立場は失われていき、蜀国内では北伐推進、国防推進、そして対呉推進まであらわれ国論が三分された。
    • 無双では呉の末期は描かれていないが、当時呉は孫権の死後、彼の一族である孫綝(ソンチン)を中心に内乱状態であった。
      • 事実上劉備孫権による荊州分割問題の再燃であり、またこの状況で魏の軍事介入を危惧した朱然の息子が蜀軍と内通して軍勢を手引きしていた。
    • 最終的に、蜀は国論が纏まらないまま魏は諸葛誕の反乱を乗り越え、司馬昭鍾会を中心に征蜀の機運となり、そこに鄧艾も巻き込まれる形で参加し、ついに263年、蜀討伐軍が行われるに至った。
    • 連携不足、国論紛糾の蜀を尻目に魏はあっさり漢中を制圧。姜維は漢中から撤退し剣閣で鍾会の大軍を押し留めた。しかし鄧艾が独断で蜀の過酷な山岳地帯を踏破するという離れ業を成し遂げ、姜維の対応する間もなくに蜀本国が降伏してしまった。
  • 最終的に姜維は鍾会と組んで反乱を起こし、劉禅を再び蜀に迎える計画を立てるも、失敗し63年の生涯を終えた。
  • 基本的に三国志のメディア媒体で彼の生涯に注目されることは殆どなく、大方が五丈原における諸葛亮の死で終わる。三国志演義ですら後半はかなり駆け足で描かれている。
  • 「斜陽の蜀を支え続けた」「徒に国力を消耗した」と近年では賛否両論あわせて真っ二つの意見が飛ぶ事が多い。
    • なお、無双シリーズでは『6』から姜維主導の北伐が司馬師司馬昭らの視点からのみ描かれるようになった。
      『8無印』でようやく蜀側からの姜維の北伐が描かれるようになったが、時代が時代ゆえにクローズアップされることは少ない。
  • 近年の無双シリーズでは正史・演義ともに織り交ぜた描写が色濃いキャラであり、無双武将にしては珍しく負の面もきっちり描かれるが、
    元から負の面ありきのキャラで作られていた董卓呂布袁術らとは大幅に事情が異なる。

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Last-modified: Tue, 07 May 2024 04:59:26 JST (12d)