分類 | 性能 |
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メーカー | トヨタ | 総排気量 | 1,998cc | PP | 435 | 国籍 | 日本 | 最高出力 | 245PS/6,000rpm | 全長 | 4,170mm | カテゴリ | ノーマルカー/スポーツカー | 最大トルク | 31.0kgfm/4,000rpm | 全幅 | 1,695mm | モデル | 簡易 | 駆動形式 | MR | 全高 | 1,235mm | ギャラリー | 非対応 | 吸気形式 | TB | 車両重量 | 1,270kg/44:56 | 内装 | 簡易 | PWR | 5.14kg/PS | TM | 5速 | 入手方法 | カスタム/チューン制限 |
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ディーラー | Cr.2,713,000 | カスタム | ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可 | プレゼント | --- | チューン | --- |
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☆Super White II | Orange Mica Metallic | Beige Mica Metallic | Black | Dark Purple Mica |
☆Super Red II | Orange Mica Metallic | Beige Mica Metallic | Black | Dark Purple Mica |
Super White II | --- | --- | --- | --- |
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- AW11型MR2の後継車種として登場した2代目MR2のターボ仕様車(型式SW20)。
- 1989年10月、国産初のミッドシップであるMR2は初のモデルチェンジを行い、SW20型となった。
- セリカ譲りの3S-GTEエンジンを搭載しスポーツカーに相応しいさらなる高出力を実現するため、吸気ポートやバルブ径、バルブタイミング、バルブリフトが最適化され、I型では225psを発生させた。当時2.0Lクラスでこの出力はトップクラスであった。
ターボシステムも4つのシリンダーからの排気を二分して導入する「ツインエントリー・セラミックターボ」を独自開発し採用。当時の他のターボエンジンと比べて鋭いレスポンスを実現した。この技術は後にセリカにも採用されWRCを席捲することとなる。
III型以降はさらに出力を向上させ245psとなりMR2を2Lクラス最速の座へ君臨することになる。最終モデルである昂燭任魯ルディナのパーツが流用され260psを発揮する個体も存在した。
- エンジンは2L直4の3S型。ターボモデル「GT」系に搭載される3S-GTE型は、高出力化の為に吸気ポートやバルブ等を強化。
ターボシステムも4つのシリンダーからの排気を二分して導入する「ツインエントリー・セラミックターボ」を開発し採用。
当時の他のターボエンジンと比べて鋭い反応を実現し、2Lクラスではトップクラスの最高出力225PS(当初)を発生させた。
- 当モデルの3S-GTEもブースト1.0はタブーだった時代に「ブースト1.5で560psまでは余裕。それで5万km走ってもトラブルなし」と言われるほど頑丈で、パワーを出しやすいことからゼロヨンなどで活躍した。
3S-GTEエンジンはセリカにも搭載されWRCのトヨタ黄金時代を築くことになった。また2.1L化されグループCで使われたり、バイクスピークでは13年間もタイムレコードを保持した*1。GT500マシンやGT300マシンにも搭載され、F3用エンジンのベースとしても用いられた。
- SW20はモデルライフ中に4回のマイナーチェンジを受けており、I型〜V型が存在する。
発売当初のI型ではエンジンパワーに対して足回りやブレーキが負けており、どのモデルも非常にピーキーな車になっていた。
収録モデルは最終型のV型で、エアロパーツの変更、シャシーや足回りの強化・熟成により、そのピーキーさを大きく改善。
リアスポイラーも3段階調整式へと変更、トランク周辺の補強も行った事でリアの接地性やボディ剛性も更に向上している。
- ターボモデルのみABSやTCSが標準装備となり、ABSは4輪を独立して制御する4チャンネル式を採用。
このABSは非常に出来が良くプロのレーシングドライバーからも絶賛された。
特にIV型のABSはあまりにも出来が良すぎてワンメイクレースで使用が禁止されるほどである。
- SW20はレースに於いても活躍し、1996年後半〜99年まで全日本GT選手権のGT300クラスに複数のチームから参戦していた。
1995年〜97年にル・マンのGT1やBPRに参戦した「MC8R」も本車がベースだが、関連性は外装が一部共通する程度と薄い。
- しかしターボ過給によって得たパワーは元々貧弱であったMR2のストラットサスペンションを直撃し、ターボの特性と相まって非常にピーキーな性能となってしまった。
III型でメンバーとアーム長が見直される等、足回りが強化されたが、果てのない性能競争から生じる負のスパイラルから抜け出すことはできなかった。
この時の教訓からZZW30型MR-Sが生まれ、「軽量化・自然吸気」への回帰をトヨタは目指すようになった。
このMR2 GT-SやスープラRZ、T240W型カルディナを最後にトヨタにはガソリンエンジンのターボエンジン車のラインナップはしばらくなかった。*2*3。
- MR2の詳細な解説はNAモデルのページを参照。
- 1999年に後継車のMR-Sにバトンタッチし生産終了。SW20型の生産年数はMR2シリーズで最長となる約10年であった。
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| | 余談
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- CR-XデルソルとSW20型MR2のリアウィンドウ周りの意匠はほぼ同じである。
これについては「MR2のリアウィンドウを取り払って走らせてみると気持ち良かった。だからデルソルにリアウィンドウの電動格納機能を装備した」とホンダのデルソル開発陣が語っている。
- トヨタテクノクラフトがこの車の屋根をぶった切ってオープン化した「MR-スパイダー」を販売していた。全国に92台しか存在しない激レア車。
- 足回りが負けている最大の理由は、実はデザインのためにフロントノーズを低くした結果、サスペンションも短くなり性能に見合うサスストロークが得られなくなったからである。
また、当時の運輸省が60扁平までしか認めなかったことや、採用された3S-G型エンジンが鋳鉄製のため非常に重い(約180kg、スープラの2JZ-GTEが220kg、アルテッツァAS200の1G-FEが160kgほど)こと、その重いエンジンやABSシステム、インタークーラーなどが右側に寄っているため左右重量差が大きいことなども、MR2を難しい車としていた。
- ちなみに問題とされたI型では、左右の重量配分を考慮した結果バネレートが左右で異なり、急ブレーキ時にバランスを崩しやすいという欠点があった。
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| | 派生モデルの解説
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- MR-スパイダー
トヨタテクノクラフトがSW20のNA仕様をベースにルーフをぶった切ってオープン化したモデル。全国に92台しか存在しない激レア車。
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| | レース活動
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- 1996年後半から1999年まで全日本GT選手権GT300クラスに参戦していた。
参戦初期の96年はJTCCのエクシブ譲りの2L NAエンジン、3S-GEを搭載し戦っていたが、翌年からターボ化している。
- 96年と97年にファーストレーシングチーム走らせるバーディークラブMR-2に元タレントにして現参議院議員の三原じゅん子が参戦していたのは有名な話である。
- 98年と99年につちやエンジニアリングがチームタイトルを獲得。特に98年はシリーズ全6戦中5勝してのチャンピオン獲得であり、20年経った現在もこの記録は破られていない。また、GT300クラスにおいて同一チームが連覇を果たしたのはつちやエンジニアリングが唯一である。
- 2000年シーズンから同チームはGT500クラスへステップアップ。99年に共同戦線を組んでいたアペックス改めaprは独立。後継車としてMR-Sを選択し、MR-2は退役となった。
- 1995年から1997年までにルマンのGT1クラスにサードが投入したMC8Rのベースは本車両であるが、本車のキャビン部分を残し、骨格の他の部分は新規製造。エンジンを当時のセルシオ用の4L V8にターボを装着したものにするなど、原型をとどめない魔改造レベルの物となっていた。
- ルマンは96年のみ完走。他にも95年と96年はBPR(FIA-GT選手権の前身シリーズ)の1戦扱いの鈴鹿1000kmに参戦したが目立った成績は残せず(95年は完走、96年はリタイア)、97年にはFIA-GT選手権の1戦に組み込まれた鈴鹿1000kmに2台体制で参戦したがやはり良い結果を残せずこの年限りで撤退した。
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ただしこの2.1Lやパイクス用のエンジンは、3Sという名前の18R-Gベース、通称3S-G改だったのは有名な話
ただし、ヴィッツTRDターボMやカローラアクシオGTといったターボを装着したクルマが限定発売されていたことがある。
現在ではC-HRに1.2Lターボが、タンク/ルーミーに1Lターボがそれぞれラインナップされている。
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