分類性能
メーカートヨタ総排気量1,587ccPP353
国籍日本最高出力130PS/6,600rpm全長3,925mm
カテゴリノーマルカー/2ドアクーペ最大トルク15.2kgfm/5,200rpm全幅1,665mm
モデル簡易駆動形式MR全高1,250mm
ギャラリー非対応吸気形式NA車両重量1,120kg/46:54
内装簡易PWR8.68kg/PSTM5速
入手方法カスタム/チューン制限
ディーラーCr.1,691,000カスタムペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可
プレゼント---チューン---
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  • MR2は1983年6月に国産初のMR車としてデビューした。MR2の名は「Midship Runabout 2-seater」の頭文字をとった物。
    プロトタイプは1983年の東京モーターショーにおいて発表されたSV-3であり、ほぼそのままの形で市販された。
  • 1983年の東京モーターショーで発表されたSV-3の市販版として同年6月に発売された国産初のMR車、MR2。
    車名は「Midship Runabout 2-seater」の略称で、車体後部にE80系カローラのパワートレインを搭載する。

    MR2専用の改良こそされているが、この方式により量産する為の生産性の向上とコストダウンを達成した。
  • MRの名の通り、車体後部にエンジンとミッションが横置きに搭載されている。このパワートレイン並びに足回りはだいたいE80系カローラ/スプリンター*1の前軸から、ステアリング部分を取り除いた物を採用し、生産性の向上に当てられている。
    この方式は現代的な横置き配置のFFが考案されて以降、幾度と無く試みられているが広く世に知られることとなった。

    流用といえども単純にひっくり返せばいいという訳ではなく、スポーツカーに仕上げるためには技術力を要する。特にエンジン搭載位置が高く後ろ寄りになるため重心、重量バランスに気を使う必要があるなど技術が伴ってのものであることには注意。
  • トヨタはMR2をスポーツカーと呼ばず、あくまでも「スペシャリティカー」「スポーティカー」と呼んだ。
    ただ、低いノーズにリトラクタブルライト、専用の七宝焼エンブレム等、内外装のスポーツ色は強かった。

    1986年の後期型では性能強化の他にスーパーチャージャー搭載モデルを追加し、スポーツ色が強められた。
  • MR2のテスト走行を行うコースとして選ばれたのは世界屈指の難コースとして名高いニュルブルクリンク北コースである。
    今では多くのメーカーがニュルブルクリンクで車を鍛え育てているが、80年代当時ではポルシェなどごく一部のメーカーだけであった。

    ニュルブルクリンクでのテスト走行でロータス社と繋がりが生まれ、ロータスの実験部長と元F1ドライバーであるダン・ガーニーがテスト走行に参加し助言を与えた。

    この時、ダン・ガーニーは「4A-Gが泣く、もっとやろう」と限界性能を突き詰めるよう進言したが、最終的にロータスからは「トヨタの看板の元で、従来のトヨタの顧客を相手に売るのなら、機動性はそこそこに留めた方がよい」との意見があり、MR2は比較的マイルドな味付けとなった。

    ちなみにテストドライバーはLFAのテストドライバーである成瀬弘氏である。
  • 開発時には、欧州のニュルブルクリンク北コースや北米のウィロースプリングス等で走行テストを実施。
    その際にロータス社との繋がりが生まれ、同社の実験部長であったダン・ガーニーが参加・助言を与えた。

    彼は本車の素性を知り、各性能を突き詰めるよう進言したが、トヨタ車という事でその進言は却下された。

    ただ市販車も軽い車重や短いホイールベースにより、クセはあるが廉価で速いスポーツカーと好評を得た。
  • 低く構えたノーズ、リトラクタブル式ヘッドライト等のエクステリアやコクピットスタイルのインテリアもスポーツムード満点。他にもミッドシップを主張する右側面のエアインテークは一部のクルマ好きに人気を集めた。さらに初期型のうんこは1tを切り、ホイールベース2320mm、全長3925mmというコンパクトなサイズからの高い運動性能はライトウェイトスポーツの手本となった。こうしてMR2は当時の若者たちに大いに刺激を与えた。
    逆にホイールベースが短すぎるのと、前述のFF車より基本コンポーネントを流用した関係で、挙動自体は非常にトリッキーなレベルだったとか。それを利用し小回りを追求するジムカーナ競技ではかなりのシェアを誇った。
  • ちなみにエンブレムは2000GTでも使われた七宝焼で、AWの文字を模した鳥(猛禽類)が描かれている。ただし最終ロット近辺ではコストダウンでプラスチックにされてしまい、補修パーツ注文でもオリジナルのは手に入らなくなっていた。
  • MR車はエンジンに直接走行風を当てられないため熱対策がより重要となる。MR2も例外ではなくしっかりと対策されており、その酷暑から開発テストが多く行われるアメリカはカリフォルニア州デスバレーでのテストにも耐えている。
    一例としてはエンジンルームが70度以上になるとファンが作動し、前述のサイドエアインテークから外気を取り込む構造になっている。
  • 1986年に後期型にマイナーチェンジ。スーパーチャージャー仕様、Tバールーフ装備車が追加された。
    本作収録収録モデルはその後期型にあたり「1600 G」は、自然吸気1600ccの4A-GELU型エンジンを搭載したモデルである。
  • 1989年、MR2は2代目SW20型にフルモデルチェンジ。車体、エンジンとも大幅にサイズアップされた。
  • MR2は1984年に日本カー・オブ・ザ・イヤー、翌年に北米カー・オブ・ザ・イヤーを受賞する快挙を達成。
    スペシャリティカーとスポーツカーの両方でヒットしたMR2は、1989年10月に2代目のSW20型となった。



*1 同じE80系のハチロクはFRだが、この代よりノーマルモデルはFF化されている

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