分類 | 性能 |
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メーカー | トヨタ | 総排気量 | 2,954cc | PP | 429 |
国籍 | 日本 | 最高出力 | 270PS/-rpm (270PS/6,000rpm) | 全長 | 4,620mm |
カテゴリ | ノーマルカー/ホモロゲーションモデル | 最大トルク | 36.5kgfm/-rpm (36.4kgfm/3,000rpm) | 全幅 | 1,745mm |
モデル | 高品質 | 駆動形式 | FR | 全高 | 1,300mm |
ギャラリー | 対応 | 吸気形式 | TB | 車両重量 | 1,530kg/59:41 |
内装 | 再現 | PWR | 5.66kg/PS | TM | 5速 |
入手方法 | カスタム/チューン制限 |
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ディーラー | Cr.4,051,000 | カスタム | ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可 |
プレゼント | --- | チューン | --- |
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カラーバリエーション |
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☆Black | --- | --- | --- | --- |
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- 2代目セリカXX(海外名:スープラ)の後継モデルとして1986年に登場した3代目スープラ(A70型)は、国内において初めてスープラを正式に名乗ったモデルとなった。
なお、スープラ (SUPRA)とはラテン語で”超えて”、”上に”の意である。
かつての名車2000GTを意識し、発売当時のキャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」だったことからも分かるように、本モデルは先代に比べてスポーツ色を強めたモデルとなった。
- たとえば、4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンションの採用は、2000GT以来のことである。
- 1986年2月に登場したスープラ。ラテン語で「超えて」「上に」を意味する車名は、元々は北米仕様のセリカXXに用いられていた。
その為、本車両は欧米市場では3代目スープラとして販売され、国内市場ではセリカXXの後継車となる新モデルとして販売された。
発売当時のキャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」であり、かつての名車2000GTを意識している節が見受けられる。
- 開発主査は「侍中の侍」と呼ばれた和田明広主査。
和田はスープラをソアラのようなグランドツアラーではなく、本格的なスポーツカーを目指し、50偏平のスープラ専用タイヤの採用やセリカXXと比べて50%以上強化されたボディとシャシー、54:46という重量配分など細部にわたって徹底された。
特にボディやシャシー、足回りについてはヨーロッパレベルを意識した開発が行われ、アウトバーンでの高速走行試験なども行われた。
- 開発主査は「侍中の侍」と呼ばれた和田明広氏。彼はスープラをグランドツアラーではない本格スポーツカーとすべく開発を行った。
専用タイヤの採用やセリカXX比で約50%強化されたボディとシャシー、重量配分54:46等、そのコンセプトは細部に渡り徹底された。
特にボディやシャシー、足回りについてはヨーロッパレベルを意識した開発が行われ、アウトバーンでの高速走行試験等も行われた。
- このA70型に搭載されたエンジンは最終的に6種類(ただし入れ替わりあり)も存在し、多種多様なグレードが存在していたが、大きく分けて2Lエンジン(1G-GTE型)と3Lエンジン(7M-GTE型)、加えて3Lエンジンと入れ替わる形で登場した2.5Lエンジン(1JZ-GTE型)に区別される。
- 収録モデルは、1988年に500台限定で発売されたJTC・グループAのホモロゲーション取得用モデル「3.0GT ターボ A」。
3L直6ターボ「7M-GTEU」型に専用タービンを装着、吸気系も大幅な改良を施す事で、最高出力は通常比+30PSの270PSに達した。
フロントバンパーには通称ターボAダクトと呼ばれる3連ダクトがおごられた他、用意されたボディカラーはブラックのみであった。
実戦ではデビューウィンこそ飾ったが、その後は3Lエンジンが仇となり、ライバルのR32を前にして苦戦、1990年で撤退となった。
- 1988年8月のマイナーチェンジの際に3Lモデルが海外仕様と同等にワイドボディ化され、同時に、500台限定でGT6収録モデルである「3.0GT ターボ A」が登場した。
本車はグループAのホモロゲーション取得用モデルで、その名の通りターボAタービンと呼ばれる専用ターボチャージャーを搭載したモデルである。
そのため、一般モデル(3.0GTターボ)と比較して30ps増した最高出力は270psを誇り、当時の国産車で最高レベルであった。
外観での他モデルとの大きな違いは、「ターボAダクト」と呼ばれたフロントバンパーセンター部の特徴的な3連ダクトなどがよくわかる。
なお、ボディカラーとホイールは共に黒のみであった。
- 当のグループAでは、デビューウィンこそ飾ったもののその後はスカイラインGT-Rなどを前にして苦戦したため、1990年に撤退してしまった。
- 1990年8月のマイナーチェンジにおいて3Lターボモデルが消滅したのを機に、新開発の2.5Lツインターボモデルを投入し、最高出力280psを達成した。
なお、本エンジン(1JZ-GTE型)はその後長きにわたりトヨタのスポーティーモデルに幅広く搭載されることとなる。
- そして1993年にフルモデルチェンジし生産終了。本車のイメージとはガラリと変わったJZA80型?が誕生したのだった。
- 1990年のビッグマイナーチェンジではそれまでの3Lターボ仕様に代わり、新たに2.5Lターボ「1JZ-GTE」型を搭載した。
そして1993年にフルモデルチェンジし生産終了。本車のイメージとはガラリと変わったJZA80型が誕生したのだった。
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| | 場違いな所になぜいたか
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- グループB廃止後、グループAでWRCに参戦しようとしていたが、WRCホモロゲーション取得モデルであるST165型セリカが5,000台の販売規定を1987年にクリアできず1988年までずれ込んだため、1987年に限ってこのスープラで参戦していた。
前期型のナローボディ7M-GTEU搭載モデルを使用し最高出力は410psを発揮。しかしラリーに参戦することを前提とした車ではなく1勝もできずに終わった。時代はすでに4WDになっていたWRCに、FRで出るという羞恥プレイを味わうことになったドライバーの心中を御察しします…。
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| | 補修部品
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| | 余談
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- 限定車ということで補修部品は品番指定では買えず、部品共販に車検証を持っていく事で売ってくれたのだが、ターボAタービンだけは壊れた現物を持っていかなければ購入出来なかった。
というのもOptionが純正流用特集にて「ターボAのタービンはすっげぇ利くぜ!」と記事にしてしまい、日本に500台ちょっとしかないはずなのに、考えにくい数のタービンが出回ってしまった。本当に補修部品であれば、あまりにもブロー個数が多いという事になるため調査した結果、1枚の車検証から何十個ものターボAタービンが販売された事が発覚、結果このような処置となった。
ただタービン以外でも、ターボAのECUユニットなど、MA70スープラやMZ20ソアラに流用出来るパーツは多かったため、M型エンジンに強いショップには、この処置がなされた後でも車検証がストックしてあったとか。
- GT4ではフロントバンパーにネームプレートが装着されていた。*1
- カスタムパーツのフラットフロアを装備するとリアの外見が大きく変わる。
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| | 意外なWRC参戦
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- グループB廃止後、トヨタはST165型セリカGT-FOURの代替車両として、このスープラで1987年と1988年のWRCに参戦していた。
セリカが5000台の市販規定を1987年にクリアできなかった為、最高出力410PSを発揮する前期型のナローボディの7M-GTEU搭載車で参戦した。
ラリーへの参戦を前提とした車ではない事もあって1勝も出来ずに終わったが、1987年のサファリでは唯一の表彰台である3位を獲得している。
サファリはマニュファクチャラー・ポイント対象外だった為に4WD車であるランチア デルタの参戦台数が少なく、その上での入賞であった。
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