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駆動力配分・重量配分・PWR・TM・カスタム/チューン制限
分類性能
メーカー三菱総排気量1,997ccPP428
国籍日本最高出力250PS/6,000rpm全長4,310mm
カテゴリノーマルカー/ホモロゲーションモデル最大トルク31.5kgfm/3,000rpm全幅1,695mm
モデル簡易駆動形式4WD(:)全高1,395mm
ギャラリー非対応吸気形式TB車両重量1,240kg/:
内装簡易PWR.kg/PSTM
モデル簡易駆動形式4WD(35:65)全高1,395mm
ギャラリー非対応吸気形式TB車両重量1,240kg/57:43
内装簡易PWR4.97kg/PSTM5速
入手方法カスタム/チューン制限
ディーラーCr.2,738,000カスタムペイント:可/不可、ホイール交換:可/不可、エアロ装着:可/不可
プレゼント---チューン
ディーラーCr.2,738,000カスタムペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可
プレゼント---チューン---
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  • 4代目ランサーをベースに1992年に登場したランサーエボリューションは、当時のグループAのホモロゲーション取得のため製造された。
    少数生産による尖ったモデルの誕生を防ぐための生産台数2500台以上の量産車という制限をクリアするために、本当にその台数分だけ作ってしまうというGT-Rと並ぶ力技で、いろいろと物議を巻き起こした。

    公道走行を前提に快適装備を備えたGSRと、競技用ベースモデルのRSの2グレードによる基本構成はこのときから変わらない。
  • WRCのグループAのホモロゲーション取得の為、1992年にデビューした「ランサーエボリューション」、通称「ランエボ」。
    当時のWRC参戦車だったギャランVR-4よりも小型な4代目ランサーに、ギャランのコンポーネントを押し込む形で誕生した。
  • 当時ラリーにはギャランが使われていたが、もっとコンパクトな車をということでギャランのコンポーネントをほぼそのままランサーに押し込むような形*1で設計されたランサーエボリューションは、搭載エンジンはギャランVR-4譲りの4G63型DOHCターボエンジンで、最高出力はギャランのものより10PSアップした250PSを発生、2Lターボエンジンとしては当時トップクラスの性能を誇った。
    リアサスペンションがマルチリンクに変更される構成も現在に至るまで不変で、4WDシステムを搭載しながら車両重量はわずか1240kg(GSR)と軽量に仕上がっていた。

    市販車状態でここまで手が加わっていることは改造制限が厳しいグループNでも有効に機能している。
  • グレード構成はベース車のスポーツモデルと同じで、快適装備有りの『GSR』、快適装備を省いた競技用の『RS』を用意。
    搭載される2L直4DOHCターボの4G63型エンジンは、各所の改良により最高出力はギャランVR-4から+10PSの250PSを発生。

    2Lターボとしては1992年当時トップクラスの性能で、軽量な「RS」では異例のパワーウェイトレシオ(4.68kg/PS)を誇った。

    サスペンションはリアをマルチリンクに変更、4WDシステムを搭載しながら車重はわずか1240kg(GSR)と軽量に仕上がった。
  • 先述のとおりグループAのホモロゲーションを取得するため、見方によれば間に合わせというかほぼ押し込んだだけという形で開発されたランサーエボリューションは、若干強化されていたとはいえ、市販車としてみればエンジンパワーに追いついていない車体やアンダーステア傾向が強いサスセッティングなど熟成不足が目に付いた。
    それでも、当時はここまで手が加えられた市販車、言い換えればメーカーが製造したチューンドカーは珍しく、一切の販促活動がなかったにもかかわらず当初用意された2500台がわずか2日で完売するという衝撃的なデビューとなった。

    そのため後日2500台が追加生産されている。
  • 純正でここまで手が加わっている事は当時としては珍しく、市販車ベースで改造制限が厳しいグループNにも配慮していた。
    ただし、市販車として見ればボディや足回りがパワーに負けていてアンダーステアが強く、この時点では未完成と言えた。
  • ランサーエボリューションの登場は国内外のラリー参戦している自動車メーカーに多大な影響を与え、特に1994年に登場するスバル インプレッサとは熾烈な開発競争を繰り広げることで、ともに世界的なスポーツカーに成長していくことになるのである。
  • このように登場したランサーエボリューションは、ラリーに参戦している国内外の自動車メーカーに多大な影響を与えた。
    特に1994年に登場したスバル・インプレッサとは車格や排気量も同格で、熾烈な開発競争を繰り広げるライバルとなった。

    販売時もその話題性から、PRが一切無かったにも関わらず用意された2500台が2日で完売する衝撃的なデビューとなった。

    後に2500台が追加生産された後、1994年にランエボII、1995年にランエボIIIへ進化し、各性能を引き上げていく事となる。



*1 ただし押し込んだ先は日本の物でなく、冷却系強化やボディが強化されていた中東用のランサーだったりする

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