これは97年型の改良版であるSPECは97年式と同じ
国籍 | 日本 | 最高出力 | 650PS/6,800rpm (800PS/7,000rpm) | 全長 | 4,720mm |
カテゴリ | レーシングカー/FIA-GT1 | 最大トルク | 72.0kgfm/4,400rpm (92.2kgfm/4,500rpm) | 全幅 | 2,000mm |
ギャラリー | 非対応 | 吸気形式 | TB | 車両重量 | 1,000kg/49:51 |
ディーラー | Cr.170,000,000 | カスタム | ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可 |
- 1996年、日産が次期ル・マン24時間レース参戦の為、トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)と共同開発したレーシングカー。
ベース車はTWRが以前にジャガーと共同開発したXJR-15で、車名は1960年代に日本国内で活躍した日産・R380〜R383が由来である。
当初はLMP1クラスでの参戦予定をGT1クラスへ変更した為、規定によりロードカーが1台製造され、両車とも日産に保管されている。
- 主な設計はジャガー・XJR-9を設計したトニー・サウスゲート、デザイナーは後にジャガーに移籍するイアン・カラムが担当した。
名ばかりの「GTカー」と化していた末期のGT1クラスらしくXJR-15の名残は外見のみで、中身はプロトタイプレーシングカーである。
外装は「フロントはZ、リアはGT-Rを意識した」との事で、ヘッドライトはZ32の流用、リアはクーペ・フィアット用を採用している。
- 搭載エンジンの「VRH35L」は、グループC最強と謳われたR92CPに搭載されていた3.5L・V8ツインターボのVRH35Zの小改良型である。
VRH35ZはグループCで実績を残していたエンジンであったが、各部への最適化が行われておらず、性能はかなり低くなってしまった。
わざわざ昔のエンジンを引っ張ってきたあたり、当時の日産財政悪化が深刻な事態になっていた事を証明するエピソードとも言える。
- ル・マンでは1997年に初参戦。予選ではポールポジションを獲得したものの、ギアボックスの問題により本戦においては低迷した。
1998年はギアボックス改善・ロングテールや電子制御を導入し、星野一義・鈴木亜久里・影山正彦組の乗るマシンが総合3位を記録。
当時の日本人トリオ歴代最高位を獲得し、前年度マシンの改修車を含む出走した4台全車が10位以内(3-5-6-10位)で完走も果たした。
- 本車はスタンダードモデルの中でも、極めてクオリティが高い車両の内の1台である。
- 夜にハイビームとロービームを切り替えると光量が変化する。この特徴はスタンダードモデルとしては本車とロードカーのみと思われる。
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| | 余談
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- グランツーリスモ4では黒塗りのR390 GT1がレア中古車として収録されていた。
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