分類性能
メーカー日産総排気量3,496ccPP688
国籍日本最高出力800PS/7,600rpm
(952PS/7,500rpm)
全長4,800mm
カテゴリプロトタイプレーシングカー/FIA-グループC最大トルク80.0kgfm/5,600rpm
(95.2kgfm/5,500rpm)
全幅1,990mm
モデル簡易駆動形式MR全高1,100mm
ギャラリー非対応吸気形式TB車両重量900kg/49:51
内装簡易PWR0.94kg/PSTM5速
入手方法カスタム/チューン制限
ディーラーCr.192,000,000カスタムペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可
プレゼント---チューンターボキットのみ可

  • 日産R92CPは、1992年全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)用に製作されたグループCカー。
    基本的なメカニズムは1991年モデルに当たるR91CPの改良発展型であり、外観上の顕著な差異は、フロントフェンダー上部のエアアウトレットで、R91CPまではルーバー状だったものがR92CPでは開閉するフラップ状になったこと程度である。
  • エンジンはR89Cから継続採用されているVRH35Z型3.5リッターV型8気筒ツインターボエンジンを改良のうえ搭載、トランスミッションもR91CPから搭載されているヒューランド社製5速VGCが改良されて採用されていた。
  • '92年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)用に製作された純日産社製グループCカーである。
    基本的なメカニズムは'91年モデル、R91CPの改良発展型であり、外観上の差異は、フロントフェンダー上部の

    エアアウトレットで、R91CPまではルーバー状だったものがR92CPでは開閉するフラップ状になった程度である。

    エンジンもR89Cから継続採用されているVRH35Z型3.5L V8ツインターボを改良の上、搭載していた。
  • その戦績は1992年JSPC全6戦、および1993年に開催された鈴鹿1000kmの計7戦全戦で優勝している。
    ただし、クラス優勝2戦を含む(因みにその2戦の総合優勝はSWC規定のトヨタTS010。世界選手権が頓挫した影響で終盤2戦のみの参加)。
  • 戦績は'92年JSPC全6戦、および'93年開催の鈴鹿1000kmの計7戦全戦で優勝。ただし、クラス優勝2戦を含む。
  • 1992年のシリーズでは、JSPC最後の年ということもあり、どこまで予選用エンジンの馬力を上げられるかという挑戦が行われた。
    それまでの予選では1000馬力程度の出力で行っていたところを、この車はなんと推定1200馬力以上の出力を出して予選を行った。

    ここまで来るとエンジンベンチでは測定不能となり、燃料の消費量からの理論値なため「推定1200馬力」という書かれ方になっている。

    このエンジンを用いて、旧富士スピードウェイにて予選を行った際、「最悪3周、極端な話で言えばアウトラップとアタックラップが無事で、コントロールラインを超えた瞬間バーストしても十分」と称される程の

    超ハイグリップな予選用タイヤであるQタイヤを履いた状態にも関わらず

    最終コーナーで5速にギアを入れた状態でもブラックマークが付くほどホイルスピンを起こしていたようである。

    そんなエンジンがどんなパワーを発揮していたかというと、1.5kmしか無いFSWの1コーナー進入時に400km/hをマークしていたとか(しかもトヨタ陣営からも確認されているため、嘘では無いと言われている)。

    あのシケインがなく6kmの直線だった時代のサルトですら405km/hがMAXだったと考えると驚異的な数値である。

    後年、R92CPの予選ドライバーを務めた星野一義氏および長谷見昌弘氏は口をそろえて予選仕様のR92CPのパフォーマンスが過激すぎて身の危険を感じた旨を証言している。毎レースの予選終了後に星野氏がチームメイトの長谷見氏と顔を合わせ、「お互い無事でよかった」と安堵し、Cカーカテゴリーが消滅した際は「もうこれで死ななくて済む」と2人でホッしたという。

    余談だが、当時ニスモのチーム監督を務めた水野和敏氏は後にR35型GT-Rの開発に携わることとなる。
  • '92年シリーズではJSPC最後の年という事もあり、どこまで予選での馬力を上げられるかという挑戦が行われた。
    それまでは1000馬力程度で行っていたところを、本車は推定1200PS以上の大出力で予選を行ったとされる*1

    このエンジンを用いて富士スピードウェイにて予選を行った際、「最悪3周、極端な話で言えばアウトラップと

    アタックラップが無事で、コントロールラインを超えた瞬間バーストしても十分」と称される程超ハイグリップな

    予選用タイヤであるQタイヤを履いた状態にも関わらず、最終コーナーで5速にギアを入れた状態でもタイヤの

    ブラックマークが付くほどホイルスピンを起こしていたようである。そんなエンジンがどれほどのパワーを発揮

    していたかというと、1.5kmしか無いはずのFSWの1コーナー進入時に400km/hをマークしていたとか*2

    後年、R92CPの予選ドライバーを務めた星野一義氏および長谷見昌弘氏は口を揃えて予選仕様のR92CPの

    パフォーマンスが過激すぎて身の危険を感じた旨を証言している。コックピットに座ってから走行開始までの

    心の準備に数十分必要だったと言うほどで、毎レースの予選終了後に星野氏が長谷見氏と顔を合わせてから、

    「お互い無事でよかった」と安堵し、グループCカーカテゴリーが消滅した際は「もうこれで死ななくて済む」

    と2人でホッしたという。また決勝用のローブースト設定でも非常にトルクフルで*3、星野・長谷見両氏共に

    「5Lくらいの排気量があるような錯覚を覚えた」とも話している事等からもどれ程のパワーか分かるだろう。
  • 燃費規定のグループCカー(カテゴリー2)として、日本メーカーによって製造されたマシンの中では事実上最強であったが、このカテゴリーは国際的には2年前(1990年)に終了しており、1992年シーズン用のマシンを製作したメーカーは日産だけであった。
  • 燃費規定のグループC2として、日本メーカーによって製造されたマシンの中では事実上は最速ではあったが、
    国際的には2年前にカテゴリは終了しており、'92年用のマシンを製作したメーカーは日産だけであった。

+  余談



*1 エンジンベンチでは測定不能だった為、燃料の消費量からの理論値で、「推定1200PS」という書かれ方になる
*2 トヨタ陣営を中心に複数人がストレートエンド付近でスピードガンを構えて測定したと言われている
*3 公称900PSだったが、実際には650-700PS程度で運用

    ホーム 一覧 単語検索 最終更新 バックアップ   ヘルプ   最終更新のRSS