分類性能
メーカーマクラーレン総排気量6,064ccPP608
国籍イギリス最高出力636PS/7,400rpm全長4,288mm
カテゴリノーマルカー/スーパーカー最大トルク66.4kgfm/5,600rpm全幅1,820mm
モデル高品質駆動形式MR全高1,140mm
ギャラリー対応吸気形式NA車両重量1,140kg/47:53
内装再現PWR1.79kg/PSTM6速
入手方法カスタム/チューン制限
ディーラーCr.100,000,000カスタムペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可
プレゼントスーパークラス・ハーフスターチューンダート走行不可
ボンネットのみ不可
デフォルトでダウンフォースが存在(200:450、調整不可)
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  • ↓空力ブレーキシステム:高速走行からのブレーキング時に作動する

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  • ヴェイロンが登場するまでの長い期間、全ての車の頂点に立ち続けた伝説とも言えるマシン。本作でも市販車最強クラスの性能を持っている。
    尚、ヴェイロン登場まで"世界で最も出力の高い車"としてギネスブックに登録されていた。
  • ブガッティ ヴェイロンが登場するまでの長い期間、全ての車の頂点に立ち続けた伝説とも言えるマシン。
    尚、ヴェイロン登場まで「世界で最も出力の高い自動車」としてギネスブックに登録されていた。

    価格は当時としては超高額の約1億円だが、それでも赤字だったという。現在ではプレミアにより約3億円以上の値が付いている。
  • 販売当初は約1億円だったが今では約3億円以上の価格がついている。
  • フロント3シーターという変則的な3人乗りだが、これはドライバーを中心に位置する事で、重量バランスの最適化を図ったためである。
    エンジンベイを放熱効率の良さを求めて一面を金で覆う、ワイパーフィンにカーボンを採用する等一切の妥協も図られ無かった事が伺える。
  • 変則的な3人乗りだが、ドライバーが真ん中に位置することで重量バランスの最適化を図る為であり、エンジンベイを放熱効率の良さを求めて一面を金で覆う、ワイパーフィンにカーボンを採用するなど一切の妥協も図られ無かったことが伺える。
  • 車体下部にサクションファンを搭載しているファンカーであるが、サイズの小ささ故に強力なダウンフォースはなく、効果は整流程度である。
    また、ダウンフォースを生み出すと同時にエンジンを冷却する効果も持つ。
  • 車体下部にサクションファンを搭載しているファンカーであるが、サイズの小ささ故に強力なダウンフォースはなく、効果は整流程度である。また、ダウンフォースを生み出すと同時にエンジンを冷却する効果も持つ。
  • 速さと同時に快適性も確実に両立し、今までのスーパーカー・スポーツカーの概念を大きく塗り替え、後のマシンに多大なる影響を与えた。
    特に運転のしやすさはスーパーカーとは思えないほど優れている。66.3kgfm以上のトルクを4000rpmから7000rpmの全域で発生させるトルクフルなエンジン。

    軽い踏力で特別意識しなくても扱えるクラッチ。シフトフィーリングに優れ扱いやすいトランスミッション。

    横幅1820mmという扱いやすい車体サイズ。ドライバビリティに優れた点を挙げればきりがない。

    6.1Lという排気量と可変バルブタイミング機構のおかげでアイドリング時でもトルクは必要十分で発進も容易。

    6速に放り込めば2000rpmで100km/h巡航ができ、高級セダンよりも穏やかに運転できてしまう。

    シフトダウンしスロットルを踏み込めばF1でのみ許された世界を体験できる。レスポンスも抜群で、全開走行は自制心との戦いとまで言われた。

    しかし、ABS等の一般的な電子制御機器はほぼ未搭載であり、技術の低いドライバーでは乗りこなせない、というレースカー的側面も持っている。
  • 速さと同時に快適性も確実に両立し、今までのスーパーカー・スポーツカーの概念を大きく塗り替え、後のマシンに多大なる影響を与えた。
    しかし、ABSやTCSなど一般的な電子制御機器はほとんど搭載されていないため、技術の低いドライバーでは乗りこなせない、というレーシングカー的側面も持っている。

    特に運転のしやすさという面ではスーパーカーとは思えないほど優れている。66.3kgfm以上のトルクを4000rpmから7000rpmの全域で発生させるトルクフルなエンジン。軽い踏力で特別意識しなくても扱えるクラッチ。シフトフィーリングに優れ扱いやすいトランスミッション。横幅1820mm(NSXよりも1cm大きい)という扱いやすい車体サイズ。ドライバビリティに優れた点を挙げればきりがない。

    6.1Lという排気量と可変バルブタイミング機構のおかげでアイドリング時でもトルクは必要十分で発進も容易。6速に放り込めば2000rpmで100km/h巡航ができ、高級セダンよりも穏やかに運転できてしまう。

    シフトダウンしスロットルを踏み込めばF1でのみ許された世界を体験できる。フライホイールが無いためレスポンスも抜群で、イギリスのオートカーの試乗記によれば全開走行は自制心との闘いとのこと。
  • 尚、設計者のマーレイ氏によると、当初はホンダにエンジン供給を依頼していた模様。
    しかし初代NSXにより赤字を出していたホンダ側の固辞により実現せず、その後、いすゞ自動車と交渉をするも決裂。結果、市販予定であったものの、お蔵入りしてしまったBMW M8に搭載予定であったBMW製V12エンジンに落ち着いた、という経緯がある。

    88年〜92年のF1グランプリにおいて、エンジンサプライヤーとしてホンダはアイルトン・セナを通じてマクラーレンと親密な関係にあった。

    また、マーレイ氏がF1の開発に際してNSXを所有し、快適性を備えたスーパーカーの指標としていた事も無関係ではないと思われる。
  • 尚、この車を設計したゴードン・マーレイ氏によれば当初はホンダにエンジン供給を依頼していた模様。ホンダ側の固辞(自前のNSXで赤字を出していたため社外に供給する余裕がなかったとされる)により実現せず、BMW製のV12ユニット(お蔵入りとなったBMW・8シリーズ(未収録)の"M仕様"用に用意されていた物)に落ち着いた、という経緯がある。
    1988年〜92年のF1グランプリにおいて、エンジンサプライヤーとしてホンダはアイルトン・セナを通じてマクラーレンと非常に親密な関係にあった。
    また、ゴードン・マーレイ氏がF1の開発に際してNSXを所有し、快適性を備えたスーパーカーの指標としていたことも無関係ではないと思われる。
  • 丁度マクラーレンF1が登場した頃、当時のGTレース界はプロトタイプから市販GT車に回帰していた時期でもあった。
    そのハイスペック及び出自からサーキットでの活躍を期待されたマクラーレンF1は周囲の期待通りに95年の国際格式のレースシリーズである「BPR GT選手権」に現れ、いきなりの快走を見せると同年のル・マンにも現れた。

    近年稀に見る荒天に見舞われたル・マンで見事本車はデビューウィンを達成、その優勝クルーの一人であった関谷正徳はル・マン日本人初優勝者となった。
  • 丁度マクラーレンF1が登場した頃、当時のGTレース界はプロトタイプから市販GT車に回帰していた時期でもあり、そのハイスペック及び出自からサーキットでの活躍を期待されたマクラーレンF1は周囲の期待通りに1995年の国際格式のレースシリーズである"BPR・GT選手権*1"に現れ、いきなりの快走を見せると同年のル・マンにも現れた。近年希に見る荒天に見舞われたル・マンで見事マクラーレンF1はデビューウィンを達成(その優勝クルーの一人はル・マン日本人初優勝となった関谷正徳氏)している。
  • このレースを境にGTレース界は一気呵成に盛り上がり、ポルシェ911GT1、メルセデスベンツCLK-GTR、日産R390GT-1?といった化け物級GTカーが誕生する契機にもなった。その波は当時GTレース界からは身を離していたフェラーリさえもF50を開発するに至っている。俗にこの一連の流れを"マクラーレンF1ショック"と表現される事がある。それまでに影響力の強い車なのである。
    尤も、デザイナーであるマーレイ氏は当初からマクラーレンF1をサーキット車としてはいない。'95年のル・マンも信頼性に問題があるから(ギヤボックスが保たない、と言われていた。実際には荒天でスローペースなレース展開が優勝をもたらせた、とされる)走らせたく無かった模様。
  • このレースを境にGTレース界は一気呵成に盛り上がり、ポルシェ 911 GT1、メルセデス CLK-GTR、日産 R390 GT1といった化け物級GTカーが誕生する契機にもなった。
    その波は当時GTレース界からは身を離していたフェラーリさえもF50のレーシングモデルを開発するに至っている*2。その後のロードユースをメインにした車両もマクラーレンを意識した(ペダル等の軽い操作性を追及した)車両開発を始めて、これらの一連の流れが"マクラーレンF1ショック"と表現されるほど、本車は影響力が強かったのである。

    尤も、デザイナーであるマーレイ氏は当初からマクラーレンF1をサーキット車としてはいない。

    '95年のル・マンも信頼性に問題があるから(ギアボックスが保たないと言われていた。実際には荒天でスローペースなレース展開が優勝をもたらしたとされる)という理由で走らせたく無かった模様。

+  余談

+  派生モデルの解説
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*1 後のFIA-GT選手権
*2 しかし、どう足掻いてもマクラーレンを上回ることができないと悟ると一転して開発を凍結

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