分類 | 性能 |
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メーカー | シボレー | 総排気量 | ---cc | PP | 470 |
国籍 | アメリカ | 最高出力 | 319PS/6,2000rpm | 全長 | ---mm |
カテゴリ | コンセプトカー/レーシングカー | 最大トルク | 40.7kgfm/4,700rpm | 全幅 | ---mm |
国籍 | アメリカ | 最高出力 | 319PS/6,200rpm | 全長 | ---mm |
カテゴリ | レーシングカー/コンセプトカー | 最大トルク | 40.7kgfm/4,700rpm | 全幅 | ---mm |
ギャラリー | 対応 | 吸気形式 | NA | 車両重量/配分 | ---kg(1,150kg)/50:50 |
ギャラリー | 対応 | 吸気形式 | NA | 車両重量 | ---kg(1,150kg)/50:50 |
内装 | 再現 | PWR | 3.60kg/PS | TM | 4速 |
入手方法 | カスタム/チューン制限 |
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ディーラー | Cr.50,000,000 | カスタム | ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可 |
ディーラー | Cr.50,000,000 | カスタム | ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可 |
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- C1コルベットはデビューしてからMuleと呼ばれたチューニングV8エンジンを搭載したマシンで、様々なレースに参戦していた。
その後、次のステップとしてシャシーを完全新設計し、コルベットの名を借りたレーシングカー「コルベットSS」をデビューさせる。
ところが、1957年のNASCARで起こった大事故により、当時の自動車協会であるAMAはメーカーに一切のワークス活動を禁止した。
これにより、高い性能を持ちながら、コルベットSSは大舞台を経験する事なくテストカーとして生涯を終える運命を辿った。
- その運命を阻止したのが、後にC3コルベットまでを手掛けたビル・ミッチェル氏である。
彼はコルベットSSのフレームを流用して作られた「Mule」を僅か1ドル*1で買い取り、ビート・ブロック氏と共に新たなデザインに仕立て直した。
それがこの「スティングレイ レーサー コンセプト」である。
- スティングレイ レーサーは、ビル・ミッチェル氏個人によるプライベート参戦というかたちで様々なレースイベントに参戦。
1959年・1960年にはSCCA(スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカ)のCプロダクションでタイトルを連覇する等して健闘した。
その後はショーカー・テストカーとしての余生を送り、デザインや培われたノウハウはC2型コルベットに継承された。
- C1コルベットはデビューしてからMuleと呼ばれたチューニングV8エンジンを積み込んだマシンで、様々なレースに参戦していた。
- 1956年にはセブリング12時間ではコルベットSRと呼ばれるマシンでクラス優勝した。
- その後、改良型のSR2で1957年のデイトナでのレースでジャガー・Dタイプ(GT6未収録)に続く総合2位で完走した。
- その後継機として市販のC1コルベットとは全く無関係のコルベットSSでレース活動をしようとしていた。
- ところが1957年、NASCARで大クラッシュが起こったことにより、当時の自動車協会であるAMAはメーカーに一切のワークスでのレース活動を禁止した。
これによりコルベットSSでのレース活動は不可能になってしまった。
- C3コルベットまでの開発メンバーのビル・ミッチェル氏が、コルベットSSと同時期に新規制作されたMuleをわずか1ドルで買い取り、後にコブラデイトナクーペをデザインするビート・ブロック氏がデザインしたボディを換装したのがこのスティングレイレーサーである。
- ところがこのクルマ、レーシングカーとしては考えられないほど性能が低かった。
LSDは採用されず、ブレーキも4輪ドラムなのだ。
このためコーナーでは内側のタイヤがホイールスピンし、レース後にはフェードを起こすというありさまだった。
- もっとも、ブレーキに関してはGM側からディスクブレーキの使用を認められなかった*2のが原因と言われている。