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1966年にフォード Mark IIがル・マンを制覇した後、翌年1967年のル・マン連覇だけを目標として開発されたマシン。
67年のル・マン24時間レースには、シェルビーとホルマン・ムーディからそれぞれ2台、合計4台ののMark IVがエントリー。
Mark II Bもシェルビー、ホルマン・ムーディ、フォード・フランスから1台ずつエントリーし、フォード勢は合計7台となった。
ライバルであるフェラーリからも330P4が4台、412Pが3台の合計7台がエントリーし、フォード勢との真っ向勝負となった。
予選ではシャパラルとのポール争いの末、Mark IV J-6のブルース・マクラーレンがポールポジションを獲得。
2位のシャパラルを除く3~6位までをフォード勢が占め、1位のマークIVはフェラーリ勢を約4秒上回り、ル・マン連覇へ確実に近づいていた。
レースではMark II Bの1031号車がトップに立ち、約1時間の間ハイペースで周回を重ねたがその後トラブルにより失速。それ以降はJ-5がレースをリードした。
日付が変わり、午前3時過ぎにマリオ・アンドレッティのJ-7がマシントラブルでコースアウト。土手で跳ね返りコース上を塞いでしまう。
不運にもこれを避けようとしたMark II 1047号車と1015号車もよけきれずクラッシュを起こし、一度に3台のフォード勢が消える大きなアクシデントとなった。
その後、Mark II 1031号車がエンジントラブルでリタイヤ。直後にMark IV J-6のリアカウルが吹き飛ぶというトラブルが発生したが、修理され4位でレースに復帰した。
終盤フェラーリ勢がペースを上げてきたが、トップのMark IV J-5は大きなトラブルもなく24時間を走り切り優勝。2位のフェラーリとは5周差をつけての圧勝であった。