分類 | 性能 |
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メーカー/国籍 | フォード/アメリカ | 総排気量 | 6997cc | 全長 | 4,343mm | カテゴリー1 | Gr.X | 最高出力 | 511PS/6,000rpm | 全幅 | 1,791mm | カテゴリー2 | プロトタイプレーシングカー/WSCC-GT Prototype | 最大トルク | 65.0kgfm/5,000rpm | 全高 | 978mm | 内装 | あり | 駆動形式 | MR | 車両重量 | 1000kg | 年式 | 1967 | 吸気形式 | NA | TM | 4速 | 入手方法 | セッティング他 |
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ディーラー | Cr.2,000,000,000 | 制限 | --- | その他 | --- | 特記 | --- |
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カラーバリエーション |
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☆Mark IV Red | --- | --- | --- | --- |
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- 1966年にフォード Mark IIがル・マンを制覇した後、翌年1967年のル・マン連覇だけを目標として開発されたマシン。
- Mark IVは67年のセブリング12時間レースでデビューした。
ライバルであったフェラーリ 330P4は不参加だったため、ライバルはシャパラルと、このレースでMark IVと同じくデビューを果たしたアルファ・ロメオのティーポ 33だった。
- 予選でMark IV J-4はポールポジションを獲得する事に成功する。レースではシャパラルが前半をリードするもトランスミッション破損でリタイヤ、マークIVはデビューウィンを飾った。
- 続くル・マン24時間レースには、シェルビーから2台のMark IVと1台のMark II B、ホルマン・ムーディからも2台のMark IVと1台のMark II B、フォード・フランスからMark II Bが1台と、合計7台がエントリー。ライバルであるフェラーリからは330P4が4台、412Pが3台エントリーした。予選ではJ-6に乗るブルース・マクラーレンとシャパラルのフィル・ヒルがポール争いを繰り広げる。最終的にはマクラーレンがポールポジションを獲得し、2位のシャパラルを除く3~6位までをフォード勢が占め、1位のマークIVはフェラーリ勢よりラップタイムで4秒ほど上回るなど、Mark IVはル・マン連覇へ確実に近づいていた。
- レースではMark II Bの1031号車がトップに立つ。約1時間の間ハイペースで周回を重ねたがその後トラブルにより失速する。それ以降はJ-5が首位をキープしラップを重ねた。
- 日付が変わり、午前3時過ぎにマリオ・アンドレッティのJ-7がマシントラブルでコースアウト。土手で跳ね返りコース上を塞いでしまう。
不運にもこれを避けようとしたMark II 1047号車もコースアウトしクラッシュ、さらにコースを塞いだ2台を避けようとしたMark II 1015号車もよけきれずクラッシュを起こし、一度に3台のフォード勢が消える大きなアクシデントとなった。
- 午前10時過ぎ、Mark II 1031号車がエンジントラブルのためリタイヤした。さらにその直後、Mark IV J-6のリアカウルが走行中に吹き飛ぶというトラブルが発生したが、こちらは修理の結果、4位でレースに戻る事ができた。
- レース終盤、後続のフェラーリ勢がペースを上げてきたが、トップを走っていたMark IV J-5は大きなトラブルもなく安定した走りで1位のまま24時間を走り切り優勝を飾った。
2位のフェラーリ 330P4とは5周もの差をつけての圧勝であった。
- 翌1968年以降のチャンピオンシップは、生産義務のないプロトタイプレーシングカーは3リッターまで、生産義務のあるグループ4(スポーツカー)は5リッターまでという規定に変更。
これにより、プロトタイプレーシングカーのMark IVやMark II、330P4は排気量の規定をクリアできず、サーキットを去ることになった。
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| | Mark II→IV?
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- 66年のMark IIの後継機が67年デビューのMark IV。その間の「Mark III」は無かったのか?と思われるだろうが、ちゃんと存在する。
それはホモロゲーションモデルとしてロードカーとして作られた。ヘッドライトの造型が若干変更されているが、給油口の位置などは完全にレースカーのそれ。
31台が生産されたとされている。
- このMark IIIの存在によって、Mark Iは4.7Lエンジンが使えるグループ4として出場が可能となり、2年連続で同じシャーシによるル・マン優勝という快挙を達成したのであった。
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