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未確認項目:重量配分・PWR・TM・カスタム/チューン制限
分類 | 性能 |
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メーカー | いすゞ | 総排気量 | 1,584cc | PP | 342 | 国籍 | 日本 | 最高出力 | 120PS/6,400rpm | 全長 | 4,280mm | カテゴリ | ノーマルカー/スポーツカー | 最大トルク | 14.5kgfm/5,000rpm | 全幅 | 1,600mm | モデル | 簡易 | 駆動形式 | FR | 全高 | 1,320mm |
ギャラリー | 非対応 | 吸気形式 | NA | 車両重量 | 1,050kg/: |
ギャラリー | 非対応 | 吸気形式 | NA | 車両重量 | 1,050kg/54:46 |
ディーラー | Cr.3,890,000 | カスタム | ペイント:可/不可、ホイール交換:可/不可、エアロ装着:可/不可 |
ディーラー | Cr.3,890,000 | カスタム | ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:不可 |
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カラーバリエーション |
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☆Blue Bell | Salvia Red | Adonis Yellow | Magnolia White | Astra Silver |
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- 現在は乗用車生産から撤退してしまったいすゞ自動車だが、他のメーカーに勝るとも劣らない非常に魅力的な車を作っていた。
その中でも「もっとも美しい日本車」とまで言われたのがこの117クーペである。
- 現在は乗用車生産から撤退してしまったいすゞ自動車だが、他メーカーに決して劣らない非常に魅力的な車を作っていた。
その中でも「最も美しい日本車」とまで言われたのがこの117クーペである。
- この車をデザインしたのはジョルジョット・ジウジアーロ。初代アリストや初代ゴルフなどのデザインを手がけたイタリアの工業デザイナーである。
- 本車をデザインしたのはジョルジョット・ジウジアーロ。初代アリストや初代ゴルフ等のデザインを手がけたイタリアの工業デザイナーである。
- プロトタイプである117スポルトは1966年3月のジュネーヴ・モーターショーで発表され大きな反響を呼んだ。
収録されているのは1968年12月に発売された「ハンドメイド117」と言われる初期型である。
117スポルトをなんとか発売したいとスポルトのデザインを量産向けにジウジアーロがリデザインした。
しかし本来はコンセプトカーとしてデザインされたものであり、当時のいすゞの製造技術では全ての外板をプレス機で作り出すのは非常に難しく、また経営状態も芳しくなかったことから設備投資をする余裕もなかった。
そこでいすゞは大まかなラインをプレス機で出し、残りのトリミングや穴あけなどは手作業で行なうことを決め、117クーペの市販化にこぎつけた。
これが「ハンドメイド117」と呼ばれる所以である。
このことから販売価格は当時としては破格の172万円(現在の貨幣価値で換算するとおよそ1000万円ほど)と高額で、月産台数も最大で50台となった。
しかし本来はコンセプトカーとしてデザインされたものであり、当時のいすゞの製造技術では全ての外板をプレス機で作り出すのは非常に難しく、また経営状態も芳しくなかった事から設備投資をする余裕もなかった。
そこでいすゞは大まかなラインをプレス機で出し、残りのトリミングや穴あけ等は手作業で行なう事を決め、117クーペの市販化にこぎつけた。
このため、収録モデルである総生産台数2458台の最初期型は「ハンドメイド117」と呼ばれた。
以上の理由から販売価格は当時としては破格の172万円(現在の貨幣価値でおよそ1000万円)と高額で、月産台数も最大で50台となった。
- エンジンはいすゞ初の量産DOHCとなる1600cc G161W型エンジンで120psを生み出した。
このエンジンは設計にデザイナーが関わっているため車体の美しさに負けない非常に美しい形のエンジンである。画像:GW161型エンジン
このエンジンは設計にデザイナーが関わっているため車体の美しさに負けない非常に美しい形のエンジンである(画像)。
- トランスミッションは発売当初は4速MTのみであったが後に5速MTと3速ATが追加された。GT6に収録されているのは4速MTモデルである。
- 内装は上質な発泡レザートリムや台湾楠のウッドパネル、送風式のリアウィンドーデフォッガ、ダイヤルで開閉する三角窓、センターコンソールに備えられたクーラースイッチなど豪華なもの。
- 製造プロセスの自動化率は最後まで上がらず、初期型の総生産台数は2458台と少ない。
- 発売以後10年間、1台も廃車が出なかったという記録が残っている。
全てのモデルを合わせた総生産台数は86,192台と少ないが現在でも根強い人気を持っており、多くの愛好家の手によって保有・維持されている。
- 2度のモデルチェンジを経て1981年にピアッツァが後継者として登場するまでいすゞ自動車のフラッグシップを担った車であり、日本の車の歴史を語るうえで外せない車であることは間違いない。
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