分類性能
メーカートヨタ総排気量3,600ccPP667
国籍日本最高出力608PS/-rpm
(775PS/7,500rpm)
全長4,840mm
カテゴリプロトタイプレーシングカー/FIA-LMGTP最大トルク66.3kgfm/-rpm
(83.7kgfm/6,000rpm)
全幅2,000mm
モデル簡易駆動形式MR全高1,125mm
ギャラリー非対応吸気形式TB車両重量900kg/50:50
内装簡易PWR1.16kg/PSTM6速
入手方法カスタム/チューン制限
ディーラーCr.170,000,000カスタムペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可
プレゼント---チューンターボキットのみ可

  • TS020は、1998年と1999年にル・マン24時間レース参戦を目的として開発された、グループGT1規格のグランドツーリングカーである。
    しかしその実態はほぼ完全なプロトタイプレーシングカーであり、98年はLM-GT1クラス、99年はLM-GTPクラスから参戦した。
  • トヨタがル・マン24時間レースへの参戦を目的として1998年に開発した、グループGT1規格のグランドツーリングカー、TS020型『GT-One』。
    主な設計はプジョー・905等を手がけたアンドレ・デ・コルタンツによるもので、その実態はほぼ完全なプロトタイプレーシングカーである。
  • かつてプジョー 905等を手がけたアンドレ・デ・コルタンツ設計によるTS020は、レギュレーションの間隙を突いて運転席後部の燃料タンク部分(100L、99年は90L)をホモロゲーション取得用のロードカーでは敢えて50リットルに削減し、余った隙間を「これはトランクである」と言い切った。
    これにより完全にトランクスペースをなくすことに成功し、従来のGTカーに比べて空力性能が大幅に改良された。
    • もちろんそのロードカーは存在していただけで市販されなかったのは言うまでもない。
      また英国の車検基準は少数販売車に対して緩く、その基準で通してるというのもあり、車検場では「あれは無しだろ」「うちの国では通らない」という声があちこちから上がってたとか。
  • エンジンはかつてのターボ時代のグループCカーの流れを持つ3.6L・V8ツインターボで、最高出力は1998年は約600ps・翌年は約700psを発揮。
    運転席後部の燃料タンクはホモロゲーション取得用のロードカーでは半減させ、余った隙間をレギュレーション上必要な「トランク」とした。

    これにより空力性能が従来から大幅に改良され、その形状はベントレー・スピード8などの後のプロトタイプレーシングカーに影響を与えた。

    各レギュレーションの穴を突いた設計は、名ばかりの「GTカー」と化していたLM-GT1クラスを事実上撤廃させる契機になったとも言われる。
  • 搭載されたエンジンはかつてのターボ時代のグループCカーの流れを持つ3.6リッターV型8気筒ツインターボで、1998年仕様のR36Vで600ps、1999年仕様のR36V-Rでは700psに達していたと言われる。
    余談だが、98年に登場したこの車が、ダウアー962LM等を切っ掛けとした怪物級GTカーが主流になり名ばかりのGTクラスと化していたLM-GT1クラスを事実上撤廃させ、'99年からのLM-GTPクラスへ改定される契機となった車だと言われている。
  • ル・マンでは1998年のLM-GT1クラスに3台が参戦。全車ともミッショントラブルに悩まされ、1台は一時トップになるも最上位は9位に終わる。
    1999年はLM-GTPクラスに参戦し予選から驚異的な速さを見せたが、決勝ではBMW勢のチームプレイや最終盤のタイヤバーストなどに襲われた。

    総合優勝こそ叶わなかったが、3号車(片山右京・鈴木利男・土屋圭市)が総合2位で「日本人3人でLM-GTPクラス優勝」という功績を残した。

    1999年のル・マン後は「ル・マン富士1000km」にも参戦したものの、トラブルやペナルティが災いしまたも2位でのフィニッシュに終わった。

    以後トヨタはF1参戦へと舵を切り、TS020はF1参戦に向けてのテスト車両として使用された後、トヨタやその関係者等により保管されている。
  • 1998年のル・マンでは3台がエントリー。序盤から2台がトップ争いに関わるが、3台ともミッショントラブルに悩まされる。特にトップを快走していた29号車はゴール2時間前にミッショントラブルが再発し、トップ走行中にリタイヤとなってしまう。結果的には9位で終わる。
  • 1999年のル・マン本戦、トヨタ・チーム・ヨーロッパは3台のTS020をル・マンへと送り出し、予選から驚異的な速さを見せ付けたものの、決勝では周回遅れのBMWのプライベーターマシンから進路妨害同然のブロックを受けたり、328kmの速度で突然タイヤバーストを起こしたりと不幸が次々とトヨタチームに襲った。
    結局トップを独走していたBMW V12 LMRが優勝。TS020 3号車は総合2位でチェッカーを受けた。

    一応「LM-GTPクラス優勝」であるが、何故かあまり話題にならなかった。それだけ総合優勝に期待がかかっていたということだろうか。
  • ル・マン後は99年に行われた「ル・マン富士1000km」に参戦するが、ペナルティやトラブルが災いしまたも2位でのフィニッシュに終わる。
    99年以後トヨタはF1参戦へと舵を切り、TS020は自身の最高位を2位としてワークスマシンとしての役目を終えることとなった。
  • なお、本車はスタンダードモデルの中でも、比較的クオリティが高い車両の内の1台である。

+  余談



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