- 総排気量:2997cc
- 最高出力:280ps(347ps)/5600rpm(5500rpm)
- 最大トルク:46.00kgfm(56kgfm)/3600rpm(3500rpm)
- 駆動形式:FR
- 全長:4520mm
- 全幅:1810mm
- 全高:1275mm
- 車両重量:1510kg
- 重量バランス:60対40
- 価格:Cr.4,380,100(走行距離450km)
- Lv:7
- PP:471(478)
- 備考:トランスミッションは6速
- 備考:()内の数値はリフレッシュ・OHした際のもの
- 1993年5月にフルモデルチェンジを果たして、4代目(国内においては2代目)となったスープラは「THE SPORTS OF TOYOTA」をキャッチコピーに掲げ、走りのパフォーマンスが徹底的に磨き上げられた。
- 1993年5月にフルモデルチェンジを果たし4代目(国内においては2代目)となったJZA80型スープラ(以下、80スープラ)は、「THE SPORTS OF TOYOTA」をキャッチコピーに掲げ、走りのパフォーマンスが徹底的に磨き上げられた。
しかも、他車種(Z30型ソアラやS147型アリスト等)とプラットフォームが共通化される事で設計の自由度が制限された中での本モデルのパフォーマンスは充分評価に値する。
- 他社の各種スポーツカーとは違い、直列6気筒エンジン + FRレイアウトというある種古典的な構造でありながら、開発主査の都築功が目指したニュー・スープラは以下の条件を満たすというものだった。
「アウトバーンを時速300km/h以上で手放し運転できるほどの直進安定性と、コーナーリングで意のままに操れる運動性能の両立」を有しつつ「パフォーマンス」と「優しさ」を両立させるという非常に困難な挑戦であった。
これはトヨタ製スポーツカーを名乗るにあたって上層部を納得させるために満たさなければいけない条件でもあった。
また他車種(JZZ30型ソアラやJZS141型アリスト)とのシャシーやエンジンの共通化を前提とした開発となったことで、上述の目標達成はさらに難しくなった。
- 80スープラの心臓部である直6エンジンは、ターボモデルに搭載された2JZ-GTE型で最高出力280ps、最大トルクは44kgfmに達した。これは当時の国産車では最強と言えるスペックであった。
また、日本では馬力の国内自主規制「280ps制限」があったが、自主規制がない北米仕様と欧州仕様では更に高出力化されそれぞれ320ps、330psを達成した。
元々2.5Lの1JZ-GTEの時点で280psを達成していたため、海外仕様で出力が高められたというよりは、日本版のみ封印されていたという表現の方が正しい。
組み合わせられるトランスミッションは、当時国産車としては初採用のドイツのゲドラグ社と共同開発した6速MTがRZに採用された。
ATモデルも用意されており、ステアマチック機能(MT感覚でシフト操作可能なもの)が付いた4速ATであるECT-iEをRZ-Sで採用。SZは電子制御4速ATを採用した。
- 開発にあたってトヨタのテストドライバー選出が行われた。S2ライセンスを持つ10人の中から選抜し、選ばれた成瀬弘、原口哲之理、大道政義の3人はトップガンと言われ開発に対してほぼすべての権限を与えられた。このトップガン制度は今でも続いている。
その中でも特に有名なのが成瀬弘氏であろう。2000GTやトヨタ7、MR2、LFAなどの開発に携わり、300人を超えるトヨタのテストドライバーのなかで頂点に位置するドライビングテクニックを持っていた。
10mから20m車を走らせただけで「この車はここが悪い、ここをこうしたほうがいい」と指摘したという。微細な車の挙動だけではなく、何が原因で解決するにはどうすればいいかまで的確に分析したという。
また成瀬氏以外のトップガンたちもレーシングドライバーよりも早く走ることができ、エンジニア顔負けの知識を持っていた。
「ガードレールに5mmのスキマを開けてドリフトして見せた」
「普通のドライバーなら分からないような左右のコーナリングの違いを感じ取り、調べてみたら空気圧が左右で違っていた、あるいはブッシュの硬度が違っていた」
「サスペンションのセッティングを決める際。ダンパー無しのバネだけを取り付けて路面を走り、そこから計算して必要なダンパーの減衰値を導き出してみせた」
などの逸話が残っている。
スープラはソアラなどとの共通化が前提だが、リアサスペンションだけは独自のものが使用されている。
これは成瀬氏の進言によるものであり、これによりロール時に下向きの力が加わるような新たなサスペンション・ジオメトリーが与えら直進安定性とコーナーリング性能の向上と両立に役立った。
- エクステリアは徹底して空力を煮詰めてデザインされた。コーナリング性能だけではなく、直進安定性を高めるためにも空力を煮詰める事は必要不可欠であった。
80スープラの特徴の一つである巨大なリアスポイラーは、空力性能もさることながら後方視界の妨げにならない機能性をも備えていた。またフロントには車速によって可変するフロントアクティブスポイラーが装着されていた。
- 一見すると70スープラに比べて大型化した印象を受けるかもしれないが、ボディサイズは全幅を除いて全てA70型から小型化されており、エンジンのサイズアップがありながらも車重がA70型とほとんど変わっていないことは特筆すべき点であろう。
- 速く走るためには高性能のエンジンが不可欠であった。北米からはV6エンジンを搭載してほしいと要望が出されていた。
しかし都築氏は振動や重量の問題から3,000ccの直列6気筒エンジンを選択した。
こうしてスープラの心臓に選ばれた2JZ-GはシーケンシャルツインターボとNAの2種類で、ターボモデルは最高出力280ps、最大トルクは44kgfmに達した。これは当時国産最強のエンジンであり(三菱のGTOが43.5kgfm、日産のR32スカイラインGT-Rが36.0kgfm)これを超えるのは2代目センチュリーの1GZ-FE(49kgfm)を待たなければならない。
また北米仕様と欧州仕様ではさらに出力が高められそれぞれ320ps、330psを達成した。
- 1994年には発売当時は認可が下りなかった17インチホイール及び大径ブレーキキャリパー(北米モデルと同等品)が追加。
1996年にも小規模なマイナーチェンジが実施され、エクステリアが小変更を受けたほか、RZにレカロシートが標準装備されたのが特徴である。
- 1989年に東京モーターショーに出展した4500GTにおいて6速MTの開発経験を持っていたトヨタだが、量産市販車となると話は別で容易なことではなかった。
また座るのはいつも後部座席、運転してもATという当時のトヨタ上層部を納得させることもまた容易ではなかった。都築氏は説得を続け6速MTの採用許可が下りた。
そんな中でドイツのゲトラーグ社がトヨタの予算に近い見積もりと要求されるスペックを実現する技術を持っているという報告があり、6速MTの開発はトヨタとゲトラーグの共同となった。
こうしてスープラには国産初の6速MTが採用されることとなった。
ATモデルも用意されており、電子制御フレックスロックアップ付き4速ATであるECT-iEをRS-Zで採用。これはMT感覚の操作を可能にしたステアマチックを採用したもの。SZは電子制御4速ATを採用した。
- 1997年8月に行われた最後のマイナーチェンジは特に大規模なものとなった。
改良されたポイントは様々であるが、トピックとなるのは連続可変バルブタイミング機構(VVT-i)とサスペンションに搭載されたREASの採用であろう。
ターボモデルのみVVT-iが採用されたことで、280psの最高出力はそのままだったが、最大トルクが46kgfmまで上昇している。
ヤマハとトヨタの共同開発によるREASとは、左右のダンパーをオイルラインで結び、走行状況に応じてオイルを左右に循環させ減衰力を発生させるもので、上級グレードのRZ、SZ-Rに採用された。
より高いスタビリティと快適な乗り心地を両立し、更なる走行性能の向上を図った。
- こうして開発がすすめられ試作車が完成した。試作車はトヨタ本社の東富士・士別テストコースはもちろん、世界中のサーキットや道路を走った。
そうして一つ一つ問題点を解決していった。特に磨き上げられたのは軽量化とボディ剛性であった。
ただ硬いだけではなく立ち上がりの微妙な力の伝達など徹底してボディが磨き上げられた。またボディ剛性を高めるにつれて車重が増えるのを抑えるために徹底して軽量化が行なわれた。それは製造方法の変更や素材の変更にまでおよんだ。
また前後重量配分を改善するためにフロント周りにアルミ素材が多く使われた。
- 2002年、平成12年度排出ガス規制に対応できなかったため、BNR34型GT-RやFD3S型RX-7等と共に生産を終了した。
なお、NAとターボ共に同一型式エンジンを搭載する*1S161アリストは販売が継続されたため、国内においてスポーツカーというマーケットが縮小している現実が如実に示されている。
- その後、16年後の2018年3月6日、スイスで行われているジェネーブ国際モーターショーでGRスープラ レーシングコンセプトが発表された。
- ロングノーズとショートデッキの伝統を受け継ぐ、フロントエンジン・リアドライブ(FR)の2ドアクーペ。
コンパクトなボディには、レースの最前線で使われている軽量かつ高剛性なカーボン・コンポジット材等を採用。左右に大きく張り出したフェンダーや大型リアウィング等は優れた空力と走行性能獲得のためにデザインに取り込んだ。
- サスペンションやホイール、ブレーキなどはレース専用の装備となり、インテリアは後方確認用モニターが付いたダッシュボートやレーシングシート、パドルシフト式ステアリングホイール、コラム、ペダル、ロールゲージ等、各種レース用装備が組み込まれている。
LM-GTE規定に合わせて製作されたとのこと。
残念ながら、市販バージョンは発表無し。まずはレーシング仕様の発表と言ったところか。
- 2019年1月、デトロイトモーターショーにてスープラの市販モデルが公開された。
- エクステリアは徹底して空力を煮詰めてデザインされた。コーナーリング性能だけではなく、直進安定を高めるためにも空力を煮詰めることは必要不可欠であった。
巨大なリアスポイラーもその一つであったが、のちにこのリアスポイラーは物議を醸すことになった。余りにも大きかったため運輸省が待ったをかけたのである。
既にリアスポイラー取付用の穴をあけたトランクの製造も始まっていた時期であり、都築氏は生きるか死ぬか悩んだという。
都築は運輸省の担当者を説得し、スープラに試乗して決めてもらうことにした。試乗の日、スープラを見た担当者は「これか!」と言って乗ってみたものの、何も言わずに帰ってしまった。
理由は簡単、運輸省が危惧したのは大きなリアスポイラーが後方視界の妨げにならないかというものであった。しかしスープラのリアスポイラーはリアウィンドウの形に合わせて造形されていたため、運転席から後ろを見ても真後ろから見てもリアスポイラーが見えなかったのである。
- GT5収録モデルは以下の通り。太字はプレミアムカー。
- 市販モデル(国内仕様)
1997年式後期型RZ(本車)、1997年式後期型SZ-R
- レースカー(JGTC/SUPER GT-GT500出場モデル)
カストロール トムス(1997年式、2000年式、2001年式)
デンソー サード(2000年式)
auセルモ(2001年式)
WOODONE トムス(2003年式)
イエローハットYMS(2005年式)
- エクソンモービルのブランド統一で「ESSO」のロゴ、名称が使えなくなったためか、GT4に収録されていた車種のうちエッソウルトラフロースープラ '01は収録が見送られている(正確にはPSP版GTの時点で既に収録されていない)。
ただし、TS020はロゴを「Exxon」に差し替えての収録。
- インテリアは高速走行時にメーターを視認しやすいように配置された。あえて多連装メーターを避けたのもそれが理由である。
デジタルメーターを採用しなかったのは「電子制御を排除したスポーツカー」を表現するためである。
ステアリングやシフトレバーの位置はミリ単位で配置が調整され、自然に操作できるように配慮されている。
- トヨタの持つテストコース、日本国内外のサーキット、そして世界中の公道。トップガンたちによって膨大なテストが行われた。トヨタのテストコースだけでもルマン5レース分に相当する距離を走行したという。
都築氏も自らステアリングを握り、300km/h以上の高速走行で手放し運転ができることとコーナーで意のままに操れることを確認した。
最後の仕上げはニュルブルクリンクで行われたが、これは最終的な仕上がりを確認するだけであり、スープラはニュルでは鍛えられたわけではない。
他社のスポーツカーがニュルブルクリンクでの開発やタイムを宣伝材料とする中、スープラもニュルで作ったと言われるのはスープラ開発陣にとっては心外だという。
「基本をしっかりと合わせたら、ニュルにもバッチリ合った」と成瀬氏は語っている。
FRレイアウトとしてはどうしてもオーバースペックとなってしまうパワーに対して、基本を煮詰め根幹を磨き上げ最低限の電子制御によってドライバーの安全性を確保。しかし意のままに280psを操ることを可能にした。
- スープラ発売後も成瀬氏はスープラの改良を続けていた。やり残したことをやるために。
成瀬氏が改良したスープラは超高速コースとして名高いヤマハ袋井テストコースで大雨の中で200km/hでのテストを実施。ハイドロプレーニング現象を起こしながらも直進安定性を保ち続けた。
厳冬の北海道士別テストコースではスタッドレスタイヤを履いての走行だが最高速度180km/hを達成。圧雪路面であるにもかかわらず自由自在なドリフトコントロールができたという。
- 本車は日本国内だけでなく北米でも人気がある車種なのだが、GT5でのプレミアム化には至っていない。
黄金期時代のスポーツカーが多数プレミアム化を果たしているため、このクルマのプレミアム化を望む声は多かった。
- その後、2作後のグランツーリスモSPORTにおいて、ようやく本車のプレミアム化は果たされることとなった。
- またスープラはビッグパワーでありながら癖のないハンドリング特性を持つことから、発売から10年以上経ってもテストドライバーの訓練車として活躍している。東富士のテストコースには未だに大量のJZA80スープラがあるという。
- GT3までは本車のカラーバリエーションには「スーパーブライトイエロー」が用意されていたが、GT4以降は選べなくなっている。このカラーが設定されたのは1998年からなので、収録モデルの97年式では選べない方が正解。
- 一応、本作では他のトヨタ車(例えばセリカ)からSuper Bright Yellowのペイントアイテムを入手できるので、それで再現はできる。
- 1994年には発売当時は認可が下りなかった17インチホイール及び大径ブレーキキャリパー(北米モデルと同等品)が追加、1996年にも小規模なマイナーチェンジが実施されたが、その中でも大規模なマイナーチェンジとなったのは1997年8月に行われた最後のマイナーチェンジであった。
- 1997年のマイナーチェンジで改良されたポイントは様々であるが、トピックとなるのは連続可変バルブタイミング機構(VVT-i)とリアサスペンションに搭載されたREASの採用であろう。
- ターボモデルのみVVT-iが採用されたことで、280psの最高出力はそのままだったが、最大トルクが46kgfmまで上昇している。
- ヤマハとトヨタの共同開発によるREASとは、左右のリアダンパーをオイルラインで結び、走行状況に応じてオイルを左右に循環させ減衰力を発生させるもので、上級グレードのRZ、SZ-Rに採用された。
より高いスタビリティと快適な乗り心地を両立し、さらなる走行性能の向上を図った。
- またこの他にも、骨組みにマグネシウム、グリップにカーボンを用いたステアリングの採用や、GOAボディの採用、6速MTのギア比の変更など、実に細かな部分にまで渡っており、スポーツカーとしての熟成を図っている。
この力の入れ方こそまさに、スポーツオブトヨタを代表するモデルである。
- だが同時に不満も残った。どれだけ徹底して磨き上げトヨタのフラッグシップモデルとなったとしても、ソアラとのシャシーの共通化という前提条件があった。
サスペンションの完全新設計、トランスアクスルレイアウトの採用による前後重量配分のさらなる適正化、ゲトラーグ社の6速MTのシフトフィーリングの改善など、犠牲となった理想は数えきれない。
都築氏は「スープラでやり残したこと」と語っている。
- 2002年、平成12年度排出ガス規制に対応できなかったため、日産 スカイライン GT-Rやマツダ RX-7などと共に生産を終了した。
なお、NAおよびターボともに同一型式エンジンを搭載するアリストは販売が継続されたため、国内においてスポーツカーというマーケットが縮小している現実が如実に示されている。
- その後、各種コンセプトカーなどでスープラ後継車と思しき車体が登場するも、未だ後継車の正式なアナウンスはない。
復活が待ち遠しい一台である。
- カラーバリエーション:
Silver Metallic Graphite,Grayish Green Mica Metallic,Black,Super White II,Super Red IV,Blue Mica Metallic
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