分類 | 性能 |
---|
国籍/メーカー | フランス/プジョー | PP | 678.46 | 総排気量 | 1,775cc |
カテゴリー | Gr.B/WRC-グループB | 最高出力 | 455PS/8,000rpm | 最大トルク | 50.0kgfm/5,500rpm |
カータイプ | #レーシングカー | 吸気型式 | TB | 駆動型式 | 4WD(30:70) |
年式 | 1996 | 車両重量 | 910kg/45:55 | TM | 5速 |
入手方法 | セッティング他 |
---|
レジェンド | Cr.100,000,000(1,243km) | 制限 | --- |
その他 | メニューブック No.37 | 特記 | --- |
#ref(): File not found: ".jpg" at page "205 Turbo 16 Evolution 2 '86"
マキールによる評価
| プジョー 205 Turbo 16は “究極のラリーカー”とも いわれています
世界ラリー選手権の伝説的カテゴリー “Gr.B"で勝利するために誕生したモデルです
Gr.B規定が正式に始まったのは 1983年
Gr.Bでは ベース車両の最低生産規定台数が とても少なく抑えられていました
ベース車を大量に生産する必要がないからこそ 自動車メーカーは 思い切った車両開発ができた
そこで プジョーが選んだのは……
強力なターボエンジンをミッドシップに積み 駆動方式に 4WDを組み合わせること
Gr.Bでは まだ誰も手をつけていなかったメカニズムで 時代を先取るラリーカーだったのです
205 Turbo 16の実戦デビューは 1984年シーズンの半ばでした
すぐに頭角を表し 1985年 1986年の2年連続で 世界ラリー選手権タイトルを手にしています |
- 半ば伝説化し、狂気とまで言われたグループB最後の2年間にて、ドライバーズ・マニュファクチャラーズの両タイトルを制した最強のラリーカー。
収録モデルは進化型の「Evolution 2」であり、代表的なドライバーはユハ・カンクネン、ティモ・サロネン、ブルーノ・サビー等。
ライバルである「ランチア デルタS4」とほぼ一騎打ち状態の激戦を繰り広げ、見事両タイトルを制した。
- ベースとなった205の面影を残してはいるものの、それはあくまで外観だけの話である。
ホモロゲーションモデルとのメカニズム的な共通点が一切存在しないモンスターマシンであり、実質プロトタイプレーシングカーと言える。
巨大なエアロパーツを装着し、エンジンは前年型から更にチューンして450PSにアップ、末期にはブースト圧を上げて540PSを絞り出した。
更に軽量化のため、車両後部の鋼管パイプフレーム+モノコック構造を完全なパイプフレーム構造に変更している。
そのコンパクトなボディからは想像もできないほどの凄まじいパワーと性能を持ち、悪路を弾丸のように走り回った。
- グループBは、見る者全てを熱狂の渦に巻き込む圧倒的な迫力を持っていたが、同時に数々の惨劇も生み出した。本車もその内の1台である。
1985年、ラウンド8のラリー・アルゼンチンにて、アリ・バタネン操る205T16E2が下り坂で猛スピードで横転し大破。
運悪くシートがシャーシから外れてしまい、ほぼシートベルトが意味をなさなくなり車の中で振り回されたバタネンは重傷を負ってしまう。
人間が制御しうる限界をマシンが超えてしまっていたがための事故だが、熱に浮かれた観客の支持もあり、何ら対策はされなかった。
結果、更なる惨劇が生まれる事になる。
+
| | 余談
|
- グループB廃止によりWRCという戦場を無くした205T16は、その後いくつかのレースイベントに参戦している。
- その1つが、アメリカ、コロラド州で開催される「パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム」。
グループB仕様よりも更に巨大なエアロパーツを装着し、スペックも大きく向上、正に怪物というべき車両であった。
現在のアンリミテッドクラスに相当するオープンラリークラスに参戦するも、ターボ圧低下のトラブル等により、グループB時代に葬り去ったアウディに惜しくも敗れている。
その後、改良型の「405 ターボ 16」を投入。88年・89年と2連覇を成し遂げた。
- もう1つが、世界一過酷なモータースポーツとされる「パリ・ダカールラリー」。
マラソンレイド用の巨大なガソリンタンクを搭載するためにホイールベースを延長し、夜間走行用にフロントライトの増設、入念な防塵処置等、大幅な改造を施した「205 ターボ 16 グランレイド」で参戦した。
こちらは改良型の405T16GRと併せて4連覇を達成しており、「砂漠のライオン」の異名と共に他チームに恐れられた。
|