分類性能
メーカー日産総排気量2,393ccPP378
国籍日本最高出力150PS/5,600rpm全長4,305mm
カテゴリノーマルカー/スポーツカー最大トルク21.0kgfm/4,800rpm全幅1,690mm
モデル簡易駆動形式FR全高1,285mm
ギャラリー非対応吸気形式NA車両重量1,010kg/59:41
内装簡易PWR6.73kg/PSTM5速
入手方法カスタム/チューン制限
ディーラーCr.5,500,000カスタムペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:不可
ディーラーCr.5,500,000カスタムペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可
プレゼント---チューン---
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  • ダットサン フェアレディの後継機として1969年11月誕生したのが初代フェアレディZである。
    このようなマシンを求めていたのはアメリカだった。そもそもアメリカからの発案に日本国内のメーカーが反応するなどということは稀であったが、日産は重い腰を上げて開発に着手。

    先代はインパクトが不十分だということで、アメリカの「オープンカーよりもラグジュアリなGTを」というニーズに応えるべくZの開発がされていったのだった。開発を指示した当時の米国日産社長の片山豊は形が「ジャガーEタイプ」のようなセドリックを造ってくれ」と要望を出し、スタイリングも長いノーズ等、Eタイプに準じたものとなった。
  • ダットサン フェアレディの後継機として、1969年11月に誕生したのが初代フェアレディZである。
    「先代はインパクト不足」という当時の米国日産社長・片山豊氏の要望により、ダットサンの北米市場拡販のために製造された。

    片山氏の要望は「ジャガー E-TYPEのようなセドリックを造ってくれ」というもの。スタイリングも長いノーズ等、E-TYPEに準じたもの*1となった。
  • あまりコストはかけられないため、重いL型水冷直列6気筒エンジンを搭載。最高時速は約180km/h。
    性能は比較的よいものだったが、当時からハイスペックだったヨーロッパ製GTを超えるような能力は得られなかった。

    しかし、「コストをかけすぎない」というのが効を奏した。ヨーロッパ製GT並みのスペック&魅力あるスタイルにもかかわらず、他のGTカーに比べて非常に廉価*2だったため、兼ねてからの要望元であるアメリカ市場を中心に大ヒット、「ダッツン・ズィー」の愛称で親しまれた。

    高度経済成長期真っただ中の日本でも8万台を販売。1978年のモデルチェンジまでの9年間に世界総販売台数55万台という、当時のスポーツカーとしては風前の灯を樹立した。

    まさに時代の先端を駆けぬけたフェアレディZは世界に日産の名を知らしめた、伝説のクルマとなった。
  • あまりコストは掛けられないため、重いL型水冷直列6気筒エンジンを搭載。最高時速は約180km/h。
    性能は比較的良好だったが、当時からハイスペックだった欧州製GTを超えるような能力は得られなかった。

    しかしそれが効を奏し、欧州製GT並みの性能&魅力あるスタイルにも関わらず、他のGTカーに比べて非常に安いスポーツカーとなった。

    兼ねてからの要望元であるアメリカ市場を中心に大ヒットし、「ダッツン・ズィー」の愛称で親しまれた。

    高度経済成長期真っただ中の日本でも8万台を販売。1978年のモデルチェンジまでの9年間に世界総販売台数55万台を記録した。

    まさに時代の先端を駆けぬけたフェアレディZは世界に日産の名を知らしめた、伝説のクルマとなったのである。
  • 収録モデルの本車は240Zの中でも最上級グレードの240ZGというモデル。
    240Zは元々輸出専用で、2.4LのL型エンジンを搭載。240Zの海外での人気を耳にした日本のファンからの要望で1971年から日本でも販売された。

    「グランドノーズ」(通称Gノーズ)と呼ばれるFRP製のフロントバンパー一体型のエアロパーツとオーバーフェンダーが装着され、最高時速も当時の日本車トップとなる210km/hに達した。

    240Zは元々輸出専用で、240Zの海外での人気を耳にした日本のファンからの要望で1971年から日本でも販売された。

    「グランドノーズ」、通称Gノーズと呼ばれるFRP製のフロントバンパー一体型のエアロパーツとオーバーフェンダーを装着。

    2.4LのL型エンジンを搭載し、最高時速は当時の日本車トップとなる210km/hに達した。
    当時の価格は150万円と高かったが、それでも高い人気を誇った。
  • レース活動では、特にラリー系のレースを中心に参戦している。
    1971年にはサファリラリーでは1-2フィニッシュを達成した上、総合、クラス、チーム優勝の3冠を獲得する活躍を魅せた。
    1973年には、その年からスタートしたシリーズ「WRC」にも参戦している。
  • なお、本車はスタンダードモデルの中でも、特にクオリティが高い車両の内の1台である。
  • なお、本車はスタンダードモデルの中でも、極めてクオリティが高い車両の内の1台である。



*1 1964年まで日産とヤマハで共同開発していたとされる「日産・2000GT」の開発の中で製作された「ヤマハ・A550X」というプロトタイプのデザインを若干参考にしているといわれる。
*2 当時のレートで最低84万円から購入できた

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