- 総排気量:4000cc
- 最高出力:632ps(836ps)/6000rpm(6000rpm)
- 最大トルク:77.59kgfm(102kgfm)/4000rpm(4000rpm)
- 駆動形式:MR
- 全長:4645mm
- 全幅:1992mm
- 全高:970mm
- 車両重量:900kg
- 重量バランス:49対51
- 価格:Cr.553,656,000(走行距離7424km)
- Lv:23
- PP:706(715)
- プレゼントカー入手:配信イベント・PP500/ブリティッシュ ライトウェイトをクリア
- 備考:()内の数値はリフレッシュ・OHした際のもの
- 備考:トランスミッションは6速
- 1998年にベントレーがフォルクスワーゲン社に買収され、レース活動の再開を認められた後、99年のル・マンでアウディが作り上げたもう一つのR8と呼べるクローズドプロトタイプ・アウディ R8Cをベースに作り上げられた。乱暴な言い方をするならば"中身はまんまアウディR8"とでも呼べる車である。
- 1998年にベントレーがフォルクスワーゲン社に買収され、レース活動の再開を認められた後、99年のル・マンでアウディが作り上げたもう一つのR8と呼べるクローズドプロトタイプ・アウディ R8Cをベースに作り上げられた。
- 当時、スピード8はル・マン参戦車両の中で唯一クローズドプロトタイプであった(細いトレッド幅のタイヤの使用や、大径リストリクターの使用が認められていたことを利用するため)。更にR8を使用するプライベーターチームに対し明確なアドバンテージを得るため、R8の3.6Lに対して4Lにまで排気量を上げている。
- 細いトレッド幅のタイヤの使用や、大径リストリクターの使用が認められていたことを利用するため、当時のル・マンでは唯一のクローズドプロトタイプであった。
更にR8を使用するプライベーターチームに対し明確なアドバンテージを得るため、R8の3.6Lに対して4Lにまで排気量を上げている。
- この排気量拡大と引き換えに燃費性能が悪化してしまったが、「増えたピット回数分のロスタイムを向上したラップタイムで補う」というある種強引な手法で挽回してしまったのは見事としか言いようが無い。
- ル・マン優勝三ヶ年計画の集大成となった2003年、ベントレーはアウディのワークス活動終了を契機に「ル・マン優勝請負人」と名高いチーム・ヨーストと手を組む。
- プライベーター中心のアウディ側がトラブルに苦しむ一方、ベントレー側はほぼノントラブルで走り続け、1930年以来のル・マンでの勝利を、フロントロー独占、8号車のファステストラップ、7・8号車の1-2フィニッシュという最高の形で手に入れ、再びベントレーはモータースポーツの表舞台から姿を消したのだった。
- 優勝車7号車のチームクルーはT.クリステンセン/R.カペロ/G.スミスで377LAPを走りきり、2位8号車はJ.ハーバート/M.ブランドル/D.ブラバムの元F1トリオで375LAPを走りきった。
- ちなみにこのスピード8という車、見た目の印象が"トヨタTS020"に似ていると思った方は少なくない(これは前年型の方が顕著)かもしれないが、実は2車は"まったくの無関係"という訳ではないのである。
それは"空力を煮詰めたら似通った型になった"というものではなく、ベントレースピード8の生まれた施設に関係がある。その施設とは元トヨタGBの施設(トヨタがF1集中に切り替えたため売却)であり、その施設がトヨタTS020の生まれ故郷でもあるためなのだ。
この車は"アウディR8がクローズドプロトタイプだったなら"というifのほかに"トヨタが2000年以降もル・マンに参戦続けたなら"という2つの可能性を秘めた車なのである。
- 余談ではあるが、この年のル・マン参戦時、7号車と8号車はウイングの形状が異なっている。
- なお、マシン横のイギリス国旗の下のロゴがポリフォのものに変更されている。
- また、ベントレーのルマンでの輝かしい功績から、販売車種のラインアップにアルナージュ、ミュルサンヌといった、サルトサーキットのコーナーの名を冠した車種がある。
- 更なる余談。レーシングカーデザイナーである"由良拓也"氏がル・マンのテレビ中継の時の解説で当車の形状を"某公国軍量産型機動兵器"に例えたのは非常に有名。
ちなみにこの発言は2012年現在も由良拓也氏のサイト"ゆらたく屋"にて見る事が出来ます。
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