分類 | 性能 |
---|
メーカー/国籍 | 日産/日本 | 総排気量 | 2568cc | 全長 | 4,545mm | カテゴリー1 | N300 | 最高出力 | 311PS/6,800rpm | 全幅 | 1,755mm | カテゴリー2 | ノーマルカー/スポーツカー | 最大トルク | 39.9kgfm/4,500rpm | 全高 | 1,340mm | 内装 | あり | 駆動形式 | 4WD | 車両重量 | 1,500kg | 年式 | 1994 | 吸気形式 | TB | TM | 5速 | 入手方法 | セッティング他 |
---|
ディーラー | Cr.5,290,000 | 制限 | --- | その他 | --- | 特記 | デフォルトでダウンフォースが存在(0:20固定) |
+
| | ←カラーバリエーションを表示
|
カラーバリエーション |
---|
Crystal White | Spark Silver Metallic | ☆Gun Gray Metallic | Black Pearl(M) | Red Pearl Metallic |
|
- 所謂ケンメリから16年後の1989年、遂にR32型(8代目スカイライン)でスカイラインGT-Rが復活を果たした。
- エンジンは形式こそRB型ながら事実上新開発のRB26DETTを搭載し、Z32型フェアレディZに続いて最高出力280psを達成した。
駆動系には「アテーサE-TS」と呼称される4WDシステムを搭載、重い車体ながら当時としては非常に高い旋回性能を誇った。
これは通常はFR状態だが、Gセンサーや車輪速センサーからの信号によってフロントに自在に駆動力を配分できるシステムである。
- R32型GT-Rは日産車で初めてニュルブルクリンクでテストを行ったクルマとして知られる。
最初はシルビアに偽装されたテスト車両が持ち込まれたが、5km地点でタービンブロー。
その周回を終えるまでに20分も掛かり、ニュルの厳しさを思い知らされたというエピソードが残っている。
- そうした困難を乗り越え、更には当時のグループA基準を徹底的に研究した結果、完成したR32型GT-Rは国内レース界を席巻した。
全日本ツーリングカー選手権で戦った1990年の初戦から1993年の最終戦までの29連勝は、今なお語り継がれる伝説である。
しかし、その強さゆえにJTCクラス1が事実上のワンメイク状態になってしまい、グループA自体が消滅する大きな要因ともなった。
- 当モデルはVスペック IIと呼ばれる、グループAの4連覇を記念した、実質的な最終モデルである。
Vスペックが設定された当時では認可されなかった245/45R17という幅広タイヤを装備している(Vスペックは225/50R17)。
- 8代目スカイラインの登場から4年後の1993年、スカイラインは9代目となるR33型へとフルモデルチェンジした。
しかしR32型GT-Rの生産は続き、1995年、R33型GT-Rの登場と共に生産を終了する。
日本のスポーツカーの歴史を語る上で欠かせないモデルとなったR32型GT-R、その総生産台数は43,934台にも上る。
+
| | 余談
|
- グランツーリスモ生みの親、山内一典氏がSCE入社直後に購入・所有していたが、半年で全損させてしまったとのこと。
- 本車の4WDシステムは、かのポルシェ959の4WDシステムをお手本にしたという文献がある。*1
- グループA参戦車両のベースグレードになっているのはGT-R NISMO '90。GT2まで収録されていた。
フロントに通称ニスモダクトと呼ばれる2連ダクト、リアにトランクガーニースポイラーが付属しているのが外見上の大きな特徴。
グループAの追加ホモロゲーションを取得するためのスポーツエボリューションモデルとして限定500台で販売され、即完売した。
あまりにも人気が出たので、外見をそれっぽくする人が続出したが、NISMOはリアワイパーレスとなっているために判別可能。
- WRCに1戦だけ参加したことがある。
さすがにサーキットでは無敵とはいえ、ライバルのスープラ同様場違いな所に現れたこともあり、成績は残せていない。
- また、パイクスピークやダートトライアルにも参戦しており、パイクスピークではクラス優勝を果たせた模様。
|
|