孫策
- ズェ! --
- 無双乱舞ww編集してくれた人、乙だズェ! --
- 愛を感じる --
- 生き様が無双武将の最高ランクで劉備や曹操と肩を並べ、天下無双と疾風迅雷持ち。嬉しい優遇っぷり --
- 今作の天下無双はNPCが使っても非常に強力であり、敵で遭遇した場合には猛虎連掌の〆に気をつけよう。範囲が狭いからと油断していると最後にぶっ飛ばされる --
- 実は三国時代では、三顧の礼したのは、劉備より孫策のが先だったり --
- 弟に才なくばあなたが国政を取ってくれと張昭に頼んだのも孫策だしな。10万本の矢同様に三顧の礼は孫策のエピソードをモデルに作った話なんじゃないのか。演義では有名だが、正史に三顧の礼ってあったっけ? --
- 出師表に書かれてるよ --
- 1.02の時に部下で進めたんだが、その頃のNPCが侵略脳で方針に口出せなかったから、口調も相まってケンカバカのド暗君に見えた思い出がある… --
- 孫策大好きだけど、君主だと大喬・小喬といった慈愛もちがレギュラーメンバーだったりしがちでかなり問題児なんだよな…。配下だとガンガン襲撃かけてくれるし人材スカウトしたり紹介したりするし、戦では無双するしで本当に優秀なんだけどねぇ… --
- でも、戦力にはなるよ。周瑜、大喬、小喬あたりは初期レベルが高いし。 --
- でも、戦力にはなるよ。周瑜、大喬、小喬あたりは初期レベルが高いし。 --
- 策兄様を登用したら、いきなり太主にしてくれと賄賂差し出されたんだけど、なんぞこれ。その時のプレイヤーの人徳値は−2だったけど、兄様は普通だった。これって仕様?にしても兄様らしくない・・・ --
- 人徳マイナスじゃない武将から賄賂もらったことはないな。その時配下に一人もマイナスの武将がいなかったりした?そういう時でも賄賂系称号取れるようにそんな仕様になってるのかなと思ったんだが --
- 賈充が義兄弟だったからマイナスは他にもいたよ。人徳マイナスじゃない人から貰ったのはこれが初めて。おかげで「争乱の暴君」になってしまった。何だったんだろう、バグかな? --
- 義兄弟の賈充以外にもマイナスの人いた?義兄弟から賄賂もらったことはないんだが、もし義兄弟は賄賂を贈らないようになっているとすると、「人徳マイナスの人(賈充)がいるので賄賂イベント発生」「でも義兄弟は賄賂イベントの贈賄者にならない」「他に人徳マイナスの人がいない」「人徳関係なくランダムに贈賄者を選択」という処理の流れで、孫策が選ばれたとかかね --
- 他にはマイナスはいなかったかも。賈充は軍師だったから何も言ってこなかったんだと思ったが、義兄弟からは貰えなかったっけ?機会があったら検証してみるわ。 --
- 義兄弟も賄賂くれるよ~。義兄弟からお金貰うのどうかとも思うけどねwww --
- 何かすごい人らしいけど早くに死んだからイマイチ凄さが分かり辛いな。無双でも性能は特別言い訳じゃないし --
- たった6年しかも本人は20代前半の若さで揚州の半分をほぼ孫家の物にした快進撃を考えれば、小覇王の名も伊達じゃないと思われ --
- 若干17歳で跡を継ぎ、二十歳そこそこでたった千の兵で独立に向けて動き出し、あっというまに数万の兵力と後の呉の中心となる人材と地盤を作り上げたんだから、中国史のみならず世界史レベルで見てもめちゃくちゃ優秀だと思うが --
- もう少し長生きしてたら曹魏は呉にもっと苦戦してたとは思う --
- 問題点を挙げるとしたら快進撃過ぎて色々軽はずみな行動をしてたり、苛烈な進撃の裏にある怨みを買ってしまってる事か。ただ統一した後そこら辺にフォローを入れるかどうかとか、君主としての器を図る前に死んでしまったので、そこがイマイチ凄さが分かり辛い点なのかもしれない。 ただ、「天才は早死にする」という言葉通り、孫策もその類の人物だったというのは確か。 --
- 確かに孫策は軽はずみだったが、曹操や劉備も20代の頃は結構やらかしてるから運も大きいと思うわ。張昭・張紘・周瑜・虞翻など君主相手でも臆せずに物を言う人材を積極的に身近に置いてた所から見ても、器の片鱗は見えるし、錚々たる面子が孫策時代に加入してる所から曹操に負けず劣らず人材を集める才もあった。それだけに数多いる三国志の登場人物の中でも特に「もしもあの時生き延びていたら…」を想像せずにいられない --
- 孫策が長生きして、更に曹丕と息子も長生きしてれば凄い熱い展開になってたかもだねえ。 --
- 孫策が長生きしたらまず曹操と激突しただろうから、どういう展開になったのかと考えると興味深い。 --
- 孫策が官渡の隙を突いて許昌まで攻め上がり、守っていた荀イクと援軍の夏侯惇を撃破するも戦死するという展開をやってたのは6だっけ?名曲ウェルカムトゥチャイナの初出がこの許昌侵攻戦だったのは覚えてる。この展開は完全なIFだけど、実際に孫策は死の直前、袁紹に呼応して許昌を攻める準備をしていたという話があるし、郭嘉が孫策の死を予見していたという逸話と絡めて、孫策の急死は郭嘉が裏で糸を引いた暗殺だなんてトンデモ話もあるね。そんな話が出るくらい曹操にとって危険な相手だったのは間違いないんだろう --
- ↑その展開は5の陸遜伝と尚香伝だな --
- ↑周瑜伝を忘れるんじゃねぇずぇ --
- ↑5周瑜伝は孫策死亡回避して孫策生存ルートだったろ --
- 北方三国志は程イクが糸引いたハニートラップだったね。上手く孫策の心の隙間を突いた暗殺。 --
- 官渡の真っ最中にじゃなかった?亡くなったタイミングから言っても --
- ↑続き、色々噂が立つのはさけられない。。。 --
- 于吉の人気に嫉妬してたいした理由も無く処刑したってのは演義だったっけか? --
- 演義は嫉妬じゃなくて、張角とかの同類と考えた(病気を治して人々から尊敬を集めて一種の勢力を形成しつつあったのを危険視した)のが大きかったような。この話のオリジナルは演義じゃなくて捜神記っていう東晋の頃に作られた怪談集で、その捜神記自体も別の本の記載とかをベースにした話も収録しているそうなので原典は分からない。ちなみに、史書に記載のある道士の于吉は孫策より前の時代の人 --
- 常々思ってたんだけど、その嫉妬で~の話、全然信憑性ないよな。于吉に嫉妬するような男が周瑜みたいな名家の出木杉イケメンと義兄弟になるわけないだろうに。三国志ってそういう明らかにおかしい話も結構混ざってるよな --
- 嫉妬と表現すると語弊があるだけで、宗教的指導者の人望の高さを君主が危険視するのは割とよくあることだよ。民衆はもちろん、家臣たちまで靡かれたら、相手がその気になればいつでも国家を崩されてしまう危険があるということ。演義での孫策勢力の描写がまさにそんな感じで、家臣たちが孫策との宴会より通りがかった于吉への挨拶を優先するほどだった。面子とかプライドの問題というより、そこまで自分の身内の心に入り込んできているのが怖いって感じ。特にこの時代の場合、直前に張角っていう極悪な前例もある訳だしさ。ああなる前に潰しておこうと考える、という設定自体は別におかしくないよ --
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