>このページは未完成です 馬力・トルク・重量配分・PWR・カスタム/チューン制限 |CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー|アウディ|総排気量|3,596cc|PP|679| |国籍|ドイツ|最高出力|608PS/7,200rpm&br;(PS/,rpm)|全長|4,650mm| |カテゴリ|プロトタイプレーシングカー/ACO-LMP900((1999年LMP→2000〜2003年LMP900→2004〜2005年LMP1))|最大トルク|71.4kgfm/6,500rpm&br;(.kgfm/,rpm)|全幅|2,000mm| |モデル|簡易|駆動形式|MR|全高|1,080mm| |ギャラリー|非対応|吸気形式|TB|車両重量|900kg/:| |内装|再現|PWR|.kg/PS|TM|6速| |>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限| |ディーラー|Cr.192,500,000|カスタム|>|>|ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可| |プレゼント|---|チューン|>|>|| //-備考: #region(←カラーバリエーションを表示) |>|>|>|>|~カラーバリエーション| |☆レッド(1号車)|イエロー(2号車)|---|---|---| #endregion ---- -オープンプロトのR8RとクローズドプロトのR8Cが1999年のアメリカン・ルマン・シリーズとル・マン24時間レースに向けて投入された。 実はこの両車、エンジンが同じというだけでモノコックはまるで別物だったりする。 ぶっちゃけるとR8Cの方は間に合わせで、重要視されていなかったとのこと。 -前年まではポルシェの別働隊としてLMPカーを走らせていた名チーム、チームヨーストと契約した1999年のル・マンでは、マシンとしては初参戦なのにも関わらず8号車のR8Rが総合3位に入るという結果を残した。 -好感触を覚えたアウディはそこからレギュレーション上有利と踏んだR8Rの改良に力を入れた、2000〜2002年のル・マンではアウディワークスが3連覇するという快挙を成し遂げた。 ワークス撤退後の2003年もプライベーターに託されたR8を3-4位に送り込みつつ、姉妹車であるR8Cの進化形(参考にされただけで完全新設計という事実が発覚したが)、チームオペレーションは昨年までR8を走らせていたチームヨーストが操る、実質的にはアウディワークスである[[ベントレーSpeed8>Speed 8 '03]]が優勝。チームヨーストがDTMに専念するため、本当の意味でワークス不在となった2004年と2005年もプライベーターの手によって連覇するなど、長い間LMPクラスを牛耳った。 -収録モデルのR8は、2001年のル・マンで1号車と2号車でワンツーフィニッシュを飾ったものである。 そのためか、カラーバリエーションという形で1号車と2号車の両方が収録されている。 この年度からエンジンが直噴、アウディ流に言うとTFSIエンジンへと切り替わった。ルマン終了までは伏せられていたが、その後に公開されている。 -非常に悪く言えば枯れた、良く言えばコンベンショナルなマシンであり、[[R10 TDI '06]]のように他を引き離すような技術を持っているわけでも無いこのマシンがどうしてここまで勝てたのかというと、色々な部分がモジュール構造になっていて、まとめて外して付け直す事により作業時間が信じられないほど早かったのである。 これは部品が壊れる事の多いラリーでの経験を十二分に活かした結果である。 例えばミッショントラブルが起こってしまった際、他のチームがミッションを外すためにリアデフを外すためにサスペンションを外したりと20分以上ガレージで作業となってしまうが、R8ではミッションからリアのサスペンションユニットまでセットになっているモジュールを丸ごと交換、結果作業時間5分、ラップにして2〜3ラップ分で復旧させてしまう。 さすがに他チームの抗議もあり、このやり方はミッションケース交換が禁止となる形でレギュレーション違反とされてしまったが、サスペンションアームなどの壊れやすい部分は一括で取り外せるというモジュールシステムは、その後のルマンでは常識となった。 -2006年に[[R10>R10 TDI '06]]にバトンタッチする形で引退。 ---- #region(余談) -ラリーフィールドの経験から生まれた本車から始まり、栄光を築いて来たアウディのLMPマシン達。 今に至っても何が起ころうが、ピットに辿り着けばすぐに送り返す、直しやすい車作りは変わっていない。 2012年ル・マン本戦、R18 ultraがクラッシュでフロント部分が大破、片方のサスペンションアームもポッキリ。誰もがリタイアだと思っていた中ドライバーは干渉しているカウルを力ずくでもぎ取り、根性でピットに帰還。 それでもこのダメージは修復出来ないだろうと思われていたが、ものの数十分で修復してコースに戻してしまった。 他にもこの年はR18 e-tron quattroも#1#2ともにクラッシュしていたが、これも3分ちょっとで戻している。 そんな突貫工事を行いまくったおかげで、アウディチームには''ゾンビ''という愛称が付けられてしまった。 それ故に2013年ルマンのピットに40分釘付け(原因はオルタネータートラブル)や、2014シルバーストーンのリタイヤ(ピットには戻ったがサスペンションピックアップ付近でモノコックが破損したためにリタイヤ)の2件がやたらと驚かれたのであった。 2014年ル・マンにおいても、R18 e-tron quattro#1が予選でマシン粉々、ドライバーのロイック・デュバルは病院送り(欠場は余儀なくされたが幸運にも軽症で済んだ)となる大クラッシュが発生、誰の目にも#1の決勝欠場は確実視されたがアウディチームはファクトリーに戻ることなく新車を1台組み上げてしまい無事決勝出走、しかも総合2位フィニッシュさせるという離れ技を演じきった。 #endregion ---- |