|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c
|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー|トヨタ|総排気量|1,998cc|PP|404|
|国籍|日本|最高出力|200PS/7,000rpm|全長|4,170mm|
|カテゴリ|ノーマルカー/スポーツカー|最大トルク|21.0kgfm/6,000rpm|全幅|1,695mm|
|モデル|簡易|駆動形式|MR|全高|1,235mm|
|ギャラリー|非対応|吸気形式|NA|車両重量|1,220kg/44:56|
|内装|簡易|PWR|6.03kg/PS|TM|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限|
|ディーラー|Cr.2,360,000|カスタム|>|>|ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可|
|プレゼント|---|チューン|>|>|ターボキットのみ不可|
//-備考:

#region(←カラーバリエーションを表示)
|>|>|>|>|~カラーバリエーション|
|☆''Super White II''|''Beige Mica Metallic''|''Orange Mica Metallic''|''Super Red II''|''Dark Purple Mica''|
|''Black''|---|---|---|---|
#endregion
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-1989年10月、国産初のミッドシップ[[AW11型MR2>MR2 1600 G '86]]は初のモデルチェンジを行いSW20型MR2となった。先代AW11がカローラ/スプリンターをベースにしているのに対し、セリカ/コロナ/カリーナをベースにした。
後に数回のマイナーチェンジが行われたため、区別するために初期型はI型と言われる。このI型はフォグランプがオレンジ色であるため簡単に見分けられる。

-エンジンは2,000cc直列4気筒DOHCの3S-GTEおよび3S-GEが採用され、ステアリングの切れ角に応じて光軸が移動するステアリング連動フォグランプも話題となった。
しかしこのI型はエンジンパワーに対して足回りやブレーキが負けており、非常にピーキーな車になってしまった。
また、当時の運輸省が60扁平までしか認めなかったことや、採用された3S-G型エンジンが鋳鉄製のため非常に重い(約180kg、スープラの2JZ-GTEが220kg、アルテッツァAS200の1G-FEが160kgほど)こと、その重いエンジンやABSシステム、インタークーラーなどが右側に寄っているため左右重量差が大きいことなども、MR2を難しい車としていた。

-テストドライバーは後に[[LFA>LFA '10]]などにも関わった成瀬弘技師。レーサーよりも速く走れてメカニックよりも車のことが分かっていると言われた人物である。
たった10m走らせただけで車の問題点と解決方法が言え、1000分の1Gの違いも見逃さなかった。そして世界からマイスター・オブ・ニュルブルクリンクと讃えられていた。
その成瀬弘技師が生前、本モデルを「世界最高のマシン」と語るほど強く愛情を注ぐクルマでもあった。

-MR2はI型〜V型と特別仕様車が存在しており、本作に収録されているのは最終モデルであるV型のNAモデル「Gリミテッド」(本車)と[[ターボモデル「GT-S」>MR2 GT-S '97]]である。
このV型ではシャシーや足回りの熟成が進み、I型の頃のようなピーキーさは無くなった。
またリアスポイラーが3段階の調整式のものに変更され、最大で50kgのダウンフォースを発生させる。リアスポイラー変更に伴いトランクの補強が行われたためリアのボディ剛性も向上している。
NAモデルであるGリミテッドでは3S-GE型エンジンがBEAMS搭載のものへ変更され、200psを発生し、リッター100psを実現。エンジンパワーとシャシー性能のバランスが良く、MR2のベストモデルと言われている。

-I型〜V型まで以外に特別仕様車が存在しており、「MR2スーパーエディション」やMR2誕生10周年記念特別仕様車G-Limited『ビルシュタインパッケージ』装着車という長い名前のモデルなどがある。

-1999年に後継車[[MR-S>MR-S S エディション '99]](アメリカでは[[MR2スパイダー>MR2 スパイダー '99]]として販売)にバトンタッチし生産終了した。
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#region(余談)
-CR-XデルソルとSW20型MR2のリアウィンドウ周りの意匠はほぼ同じである。
これについては「MR2のリアウィンドウを取り払って走らせてみると気持ち良かった。だからデルソルにリアウィンドウの電動格納機能を装備した」とホンダのデルソル開発陣が語っている。

-トヨタテクノクラフトがこの車の屋根をぶった切ってオープン化した「MR-スパイダー」を販売していた。全国に92台しか存在しない激レア車。

-足回りが負けている最大の理由は、実はデザインのためにフロントノーズを低くした結果、サスペンションも短くなり性能に見合うサスストロークが得られなくなったからである。
また、当時の運輸省が60扁平までしか認めなかったことや、採用された3S-G型エンジンが鋳鉄製のため非常に重い(約180kg、[[スープラ>スープラ RZ '97]]の2JZ-GTEが220kg、アルテッツァAS200の1G-FEが160kgほど)こと、その重いエンジンやABSシステム、インタークーラーなどが右側に寄っているため左右重量差が大きいことなども、MR2を難しい車としていた。
--ちなみに問題とされたI型では、左右の重量配分を考慮した結果バネレートが左右で異なり、急ブレーキ時にバランスを崩しやすいという欠点があった。

#endregion
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#region(レース活動)
-1996年後半から1999年まで全日本GT選手権GT300クラスに参戦していた。
参戦初期の96年はJTCCのエクシブ譲りの2L NAエンジン、3S-GEを搭載し戦っていたが、翌年からターボ化している。
--96年と97年にファーストレーシングチーム走らせるバーディークラブMR-2に元タレントにして現参議院議員の三原じゅん子が参戦していたのは有名な話である。

-98年と99年につちやエンジニアリングがチームタイトルを獲得。特に98年はシリーズ全6戦中5勝してのチャンピオン獲得であり、20年経った現在もこの記録は破られていない。また、GT300クラスにおいて同一チームが連覇を果たしたのはつちやエンジニアリングが唯一である。
-2000年シーズンから同チームはGT500クラスへステップアップ。99年に共同戦線を組んでいたアペックス改めaprは独立。後継車としてMR-Sを選択し、MR-2は退役となった。

-1995年から1997年までにルマンのGT1クラスにサードが投入したMC8Rのベースは本車両であるが、本車のキャビン部分を残し、骨格の他の部分は新規製造。エンジンを当時のセルシオ用の4L V8にターボを装着したものにするなど、原型をとどめない魔改造レベルの物となっていた。
--ロードモデルとしてMC8という車両も制作された。

-ルマンは96年のみ完走。他にも95年と96年はBPR(FIA-GT選手権の前身シリーズ)の1戦扱いの鈴鹿1000kmに参戦したが目立った成績は残せず(95年は完走、96年はリタイア)、97年にはFIA-GT選手権の1戦に組み込まれた鈴鹿1000kmに2台体制で参戦したがやはり良い結果を残せずこの年限りで撤退した。
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