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|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー|---|総排気量|-,---cc(-,---cc)|PP|---|
|国籍|---|最高出力|---PS/-,---rpm&br;(---PS/-,---rpm)|全長|-,---mm(-,---mm)|
|カテゴリ|---/---|最大トルク|--.-kgfm/-,---rpm&br;(--.-kgfm/-,---rpm)|全幅|-,---mm(-,---mm)|
|モデル|''高品質''/通常/簡易|駆動形式|MR/(--:--)|全高|-,---mm(-,---mm)|
|ギャラリー|''対応''/非対応|吸気形式|TB/NA/EV|車両重量/配分|-,---kg(-,---kg)/--:--|
|内装|再現/簡易|PWR|-.--kg/PS|TM|-速/CVT|
|メーカー|いすゞ|総排気量|4,200cc|PP|458|
|国籍|日本|最高出力|304PS/-rpm&br;(304PS/6,000rpm)|全長|4,630mm|
|カテゴリ|ノーマルカー/コンセプトカー|最大トルク|---kgfm/---&br;(43.7kgfm/4,000rpm)|全幅|1,910mm|
|モデル|''高品質''|駆動形式|MR|全高|1,349mm|
|ギャラリー|''対応''|吸気形式|NA|車両重量|---kg(1,500kg)/50:50|
|内装|再現|PWR|4.93kg/PS|TM|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限|
|ディーラー|Cr.---,---,---|カスタム|>|>|ペイント:可/不可、ホイール交換:可/不可、エアロ装着:可/不可|
|プレゼント|---|チューン|>|>|---|
-備考:
|ディーラー|Cr.30,000,000|カスタム|>|>|ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:不可|
|プレゼント|---|チューン|>|>|ボンネットのみ不可|
//-備考:

#region(←カラーバリエーションを表示)
|>|>|>|>|~カラーバリエーション|
|---|---|---|---|---|
|---|---|---|---|---|
#endregion
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#ref(.jpg,nolink)
#ref(.jpg,nolink)
#ref(4000.jpg,nolink)
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-いすゞ 4200Rは、89年の第28回東京モーターショー出品車に出展されたコンセプトカーである。
デザインを手掛けたのは、後にビークロスのコンセプトモデル(1993年)等を手掛けた中村史郎氏(現:日産自動車常務執行役員)である。

//↓---:---
-その車名は見ての通りエンジンの排気量4200ccに由来し、いすゞのフラッグシップである事を主張するRの文字が付加されている。
流麗なデザインの車体にV8 4.2リッターエンジン、ロータスとの共同開発による操縦安定性と乗り心地を両立したアクティブサスを搭載。
MRでありながら2+2(大人2人と子供2人)とし、最低限の実用性も確保した。

//#ref(.jpg,nolink)
-ところが、当時のいすゞ自動車はSUVメーカーに舵を切りつつあり、1993年には乗用車の自社生産から撤退を発表。
この波乱を受けて4200Rは役割を失い、製作された4200Rは解体されることとなってしまった。

-それから20年。カリフォルニアで行われたPebble Beach Concours d'Elegance”の審査員席で、中村史郎と山内一典が出会う事となった。
かつて幕張で4200Rの実車を目撃していた山内氏は、当時のエピソードを聞くや否や、「グランツーリスモ」を通じて4200Rを蘇らせようと提案。
1年以上に及ぶ制作期間の末に完成した収録モデルの4200Rは、中村氏本人の手による監修が微細に渡り行われているということである。
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-車両解説



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