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駆動力配分・重量配分・PWR・TM・カスタム/チューン制限

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|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー|プジョー|総排気量|1,775cc|PP|504|
|国籍|フランス|最高出力|350PS/8,000rpm|全長|3,825mm|
|カテゴリ|ラリーカー/WRC-グループB|最大トルク|44.9kgfm/5,000rpm|全幅|1,674mm|
|モデル|簡易|駆動形式|4WD(:)|全高|1,354mm|
|ギャラリー|非対応|吸気形式|TB|車両重量|940kg/:|
|内装|簡易|PWR|.kg/PS|TM|速|
|>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限|
|ディーラー|Cr.145,000,000|カスタム|>|>|ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可|
|プレゼント|---|チューン|>|>||
//-備考:

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-82〜84年までのグループB。ラリーフィールドに4輪駆動を持ち込んだ[[アウディ クワトロ>クワトロ '82]]がWRCを制していた。
これを間近で実感していたジャン・トッドは、「フロントエンジン・直結4WD」であるが故、クワトロが強アンダーに悩まされている事を見抜いていた。
彼は81年までWRCで活躍していたドライバーであり、また、新設されたプジョー・タルボ・スポーツのディレクターでもあった。
それまで使用してきたタルボ・サンバラリー(未収録)ではアウディに対抗できないと判断、新たなグループBマシンの製作を決定する。

-そうして生まれたのがこの「プジョー 205 ターボ 16」である。ドライバーはユハ・カンクネン、アリ・バタネン、ティモ・サロネン等。 
外観こそベース車の[[205>205 ターボ 16 '85]]だが、あくまで外観だけであり、その中身は直列4気筒エンジンをリアミッドシップに(無理矢理)ねじ込み、更にターボで過給するというとてつもない怪物であった。
当時のWRCは、ランチア 037(未収録)を筆頭にミッドシップ車こそ存在していたものの、4WD車はクワトロが初めて持ち込んだという時期である。
ミッドシップ4WDというレイアウトと駆動形式の組み合わせは、全くの未知の世界・前代未聞とも言えた。

-賭けとも言える試みであったが、結果は見事成功。成功しすぎてグループBの流れを完全に変えてしまった。
84年にデビューするや否や、1000湖ラリー・サンレモラリー・RACラリーと3連勝し、それまで無敵を誇っていたアウディを全く寄せ付けなかった。
その後ランチアが[[デルタS4>デルタ S4 ラリーカー '85]]を、フォードが[[RS200>RS200 ラリーカー '85]]を、アウディが[[クワトロS1>クワトロ S1 ラリーカー '86]]を投入し、プジョーも進化型の[[Evolution2>205 ターボ 16 エボリューション 2 '86]]を投入。
グループBは混沌の道を全力で突き進む事となる。

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//#region(派生モデルの解説)
//-書く場合はスラッシュを外してください
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