|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー|童夢|総排気量|2,800cc|PP|402| |国籍|日本|最高出力|145PS/-rpm&br;(165PS/6,500rpm)|全長|3,980mm| |カテゴリ|ノーマルカー/コンセプトカー|最大トルク|---kgfm/---&br;(22.9kgfm/4,000rpm)|全幅|1,770mm| |モデル|簡易|駆動形式|MR|全高|980mm| |ギャラリー|非対応|吸気形式|NA|車両重量|920kg/50:50| |内装|簡易|PWR|5.57kg/PS|TM|5速| |>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限| |ディーラー|Cr.50,000,000|カスタム|>|>|ペイント:不可、ホイール交換:可、エアロ装着:不可| |プレゼント|---|チューン|>|>|ダート走行不可&br;ターボキット、ウィンドウ、ボンネット以外可| //-備考: #region(←カラーバリエーションを表示) |>|>|>|>|~カラーバリエーション| |☆銀|---|---|---|---| #endregion ---- #ref(.jpg,nolink) #ref(.jpg,nolink) ---- -童夢-零とは、童夢が製作した試作ミッドシップスポーツカーである。 当時スーパーカーブームは下火になりつつあったが、排気ガス規制が厳しかったため、コンパクトで、(当時のスポーツ走行に重きをおいたクルマとしては)小排気量の零の登場は大いに話題となった。零は、[[フェラーリ>512 BB '76]]や[[ランボルギーニ>カウンタック LP400 '74]]などの大型スーパーカーというよりは、[[ロータス・エスプリ>エスプリ ターボ HC '87]]をはじめとする、操作性に優れ俊敏に走る中型スーパーカークラスの性能で、価格も1000万円程度を想定していた。 -室内は直線を基本に設計されている。ステアリングホイールは革巻きだが、逆V字型スポーク下側部分のみプラスチック。メーターはデジタルで、ステアリング同様、近未来的なイメージとなっている。室内にバックミラーはなく、ビタローニ製のサイドミラーでしか確認できない。なお林みのる曰く「世界で一番車高の低い車」を売り文句とすべく、車高を980mmとする前提で設計を始めたことから、完成した車は室内が非常に狭くなってしまい、身長175cm程度がまともに乗車できる限界となってしまった -尚、パワーユニットについては、当初は量産F1エンジンの最高傑作と誉れ高いフォードコスワースDFVを市販車レベルまでデチューンしたものを企画していた。もっとも、かなり早い段階で「市販を確実なものにするために」当時国産最強であった日産製L28に変更されており、DFV搭載は企画段階で幻に終わっている。 -ジュネーブ・ショー発表後、国内の型式認定を取得するためにさまざまなテスト走行が繰り返された。 しかし、国内での型式認定取得を前提に法規に合わせて製作されていたにもかかわらず、許可を受けるどころか、申請さえ受け付けられなかった。((これは、車の完成度に問題があった訳ではなく、完全に当時のお役所事情が原因。当時唯一のスポーツカー"[[日産フェアレディZ>フェアレディ Z 280Z-L 2シーター (S130) '78]]"がかろうじて生き残れたのは「主力車種が2by2で尚且つ''遅かったから''」と言われても仕方無いレベルだったから。現に「Zより速いクーペ」は多数あった訳で、それほどまでに"スポーツカー"というカテゴリそのものが役所に嫌われていた時代だった。時代が違っていたら普通に認可されていたはずである。))そのため、童夢-零はお蔵入りとなってしまった、知る人ぞ知る国産スーパーカーである。 尚、その後アメリカでの市販を目指した童夢 P-2が制作されるも、童夢がレースへと活動の場所を移したため、こちらも市販されることはなかった。 --P-2の2号車(赤)は、現在童夢の元本社で現在は童夢経営のカフェ「De PLUS CAFE」に展示されている。 ---- //#region(派生モデルの解説) //-書く場合はスラッシュを外してください //#endregion //---- |