|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):60|330|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):90|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー|---|総排気量|-,---cc(-,---cc)|PP|---| |国籍|---|最高出力|---PS/-,---rpm&br;(---PS/-,---rpm)|全長|-,---mm(-,---mm)| |カテゴリ|---/---|最大トルク|--.-kgfm/-,---rpm&br;(--.-kgfm/-,---rpm)|全幅|-,---mm(-,---mm)| |モデル|''高品質''/通常/簡易|駆動形式|FF/FR/MR/RR/4WD(--:--)|全高|-,---mm(-,---mm)| |ギャラリー|''対応''/非対応|吸気形式|TB/NA/EV|車両重量/配分|-,---kg(-,---kg)/--:--| |内装|再現/簡易|PWR|-.--kg/PS|TM|-速/CVT| |>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限| |ディーラー|Cr.---,---,---|カスタム|>|>|ペイント:可/不可、ホイール交換:可/不可、エアロ装着:可/不可| |プレゼント|---|チューン|>|>|---| -備考: ---- #ref(.jpg,nolink) #ref(.jpg,nolink) ---- -2006年シーズンのSUPER GT GT300において山野哲也/井入宏之のコンビにより、 シリーズチャンピオンを獲得したマシンである。 最終戦富士でのNo.2 プリヴェチューリッヒ紫電との激しいタイトル争いは多くのファンを魅了した。ドライバーの山野哲也はこれでGT300クラス3連覇という偉業を成し遂げている。 -2007年シーズンは、山野にかわって若手の折目遼を迎え入れたが、一度も表彰台を獲得できず苦しいシーズンとなってしまった。 -2008年は新たに小倉クラッチがメインスポンサーとなる。ドライバーは昨年と同様のラインナップとなり、開幕戦の鈴鹿で見事優勝を飾った。 他にも第4戦セパンと第6戦鈴鹿でも3位表彰台を獲得している。 -2009年はドライバーに谷口信輝を迎え入れ、折目とのコンビとなった。 この年、RX-7は新たにタイヤ無交換作戦というギャンブルを行い、開幕戦岡山から第4戦セパンまで、4戦連続表彰台という大偉業を成し遂げた。 --最終戦となったもてぎで大逆転のチャンピオンに向け、4番手スタートから谷口が序盤で[[No.19 ウェッズスポーツIS350>ウェッズスポーツIS350 '08]](織戸学)と[[No.43 ARTA Garaiya>ARTA ガライヤ '08]](新田守男)の2台を一気にパス、トップのNo.81 ダイシン アドバンFerrari(藤井誠暢)を追っていく。 しかし、立ち上がりのパワー差があまりにも大きく、谷口をもってしても差を詰めることができない。ピットワークで逆転を狙うも、セルモーターが回らず大幅にタイムロスをしてしまう。 その後、ポルシェがオイル漏れを起こしたためSCが入り、折目はトップのダイシンFerrariとの差を一気に詰めることができた。 しかし、やはりパワーで大幅に勝るFIA-GT2規定のダイシンFerrariをパスするに至らず2位でチェッカーとなり、シリーズランキング2位となっている。 -ラストイヤーとなった2010年も谷口と折目のコンビ。黄砂交じりの雨が降った開幕戦では、ポールポジションを取りながら谷口がオープニングラップのデグナーでコースオフするもタイヤ無交換作戦でトップに立ち、優勝を飾った。第4戦セパンでも優勝し、これでRX-7はセパン10戦5勝となった。 --最終戦もてぎまでタイトル争いに加わるが、この時点でポイントリーダーだったガライヤとともに苦戦してしまい、ラストイヤーをチャンピオンという有終の美で飾ることはできなかった。 -2011年は残念ながら撤退。このため、ドライバーの谷口信輝はグッドスマイルレーシングに、折目遼は新規チームであるSG Changiにそれぞれ移籍。 -ちなみにこの車、マツダからのサポートが全く受けられない状態で走っていた。マツダスピードも名前だけとなっていたために、当然3ローターのエキセントリックシャフトを新造して貰える状況でもなく、20B-REWが積まれていたコスモの廃車や解体部品屋を探しに探し、状態のいいエンジンを見つけてきて確保していたほど厳しい状況であった |