>このページは未完成です 重量配分・PWR・TM・カスタム/チューン制限 |CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー|日産|総排気量|2,393cc|PP|378| |国籍|日本|最高出力|150PS/5,600rpm|全長|4,305mm| |カテゴリ|ノーマルカー/スポーツカー|最大トルク|21.0kgfm/4,800rpm|全幅|1,690mm| |モデル|簡易|駆動形式|FR|全高|1,285mm| |ギャラリー|非対応|吸気形式|NA|車両重量|1,010kg/:| |内装|簡易|PWR|.kg/PS|TM|速| |>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限| |ディーラー|Cr.5,500,000|カスタム|>|>|ペイント:可/不可、ホイール交換:可/不可、エアロ装着:可/不可| |プレゼント|---|チューン|>|>|| //-備考: #region(←カラーバリエーションを表示) |>|>|>|>|~カラーバリエーション| |☆''Grand Prix Maroon''|''Grand Prix Red''|''Grand Prix White''|---|---| #endregion ---- #ref(.jpg,nolink) #ref(.jpg,nolink) ---- -[[ダットサン フェアレディ>フェアレディ 2000 (SR311) '68]]の後継機として1969年11月誕生したのが初代フェアレディZである。 このようなマシンを求めていたのはアメリカだった。そもそもアメリカからの発案に日本国内のメーカーが反応するなどということは稀であったが、日産は重い腰を上げて開発に着手。 先代はインパクトが不十分だということで、アメリカの「オープンカーよりもラグジュアリなGTを」というニーズに応えるべくZの開発がされていったのだった。開発を指示した当時の米国日産社長の片山豊は「[[ジャガーEタイプ>E-TYPE クーペ '61]]」のような車を造ってくれ」と要望を出し、スタイリングも長いノーズ等、Eタイプに準じたものとなった。 -あまりコストはかけられないため、重いL型水冷直列6気筒エンジンを搭載。最高時速は約180km/h。 性能は比較的よいものだったが、当時からハイスペックだったヨーロッパ製GTを超えるような能力は得られなかった。 しかし、「コストをかけすぎない」というのが効を奏した。ヨーロッパ製GT並みのスペック&魅力あるスタイルにもかかわらず、他のGTカーに比べて非常に廉価(最低84万円(当時レート)で買えた。)だったため、 兼ねてからの要望元であるアメリカ市場を中心に大ヒット、「ダッツン・ズィー」の愛称で親しまれた。高度経済成長期真っただ中の日本でも8万台を販売。 1978年のモデルチェンジまでの9年間に世界総販売台数55万台という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立した。 まさに時代の先端を駆けぬけたフェアレディZは世界に日産の名を知らしめた、伝説のクルマとなった。 -収録モデルの本車は240Zの中でも最上級グレードの240ZGというモデル。 240Zは元々輸出専用で、2.4LのL型エンジンを搭載。240Zの海外での人気を耳にした日本のファンからの要望で1971年から日本でも販売された。 「グランドノーズ」(通称Gノーズ)と呼ばれるFRP製のフロントバンパー一体型のエアロパーツとオーバーフェンダーが装着された。最高時速も当時の日本車トップとなる210km/hに達した。 当時の価格は150万円と高かったが、それでも高い人気を誇った。 -レース活動では、特にラリー系のレースを中心に参戦している。 1971年にはサファリラリーでは1-2フィニッシュを達成した上、総合、クラス、チーム優勝の3冠を獲得する活躍を魅せた。 1973年には、その年からスタートしたシリーズ「WRC」にも参戦している。 -なお、本車はスタンダードモデルの中でも、特にクオリティが高い車両の内の1台である。 ---- //#region(派生モデルの解説) //-書く場合はスラッシュを外してください //#endregion //---- |