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|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー|SRT|総排気量|7,986cc|PP|608|
|国籍|アメリカ|最高出力|---PS/---&br;(596PS/6,500rpm)|全長|4,548mm|
|カテゴリ|レーシングカー/FIA-LMGTS|最大トルク|---kgfm/---&br;(71.8kgfm/3,500rpm)|全幅|1,933mm|
|モデル|簡易|駆動形式|FR|全高|1,142mm|
|ギャラリー|非対応|吸気形式|NA|車両重量|1,150kg/47:53|
|内装|簡易|PWR|1.92kg/PS|TM|6速|
|>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限|
|ディーラー|Cr.145,000,000|カスタム|>|>|ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可|
|プレゼント|---|チューン|>|>|エンジンチューン・ターボキットのみ可|
//-備考:

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-当初オープントップのみの展開だったバイパーにクローズドの設定が追加されるとほぼ同時に発表されたサーキット仕様のバイパーがGTS-Rである。
--ちなみにバイパーはGTS-R登場以前もオープントップのRT/10(収録はGT2まで)をベースにGT1クラスで戦っていたが、当時の印象としては"大きく鈍重なGT"であり、またプライベーター主体だったこともあり目立った戦績は残せていない。((収録もされていないが、GT1、2で収録されていたRT/10をレーシングモディファイすればGT1クラス時の外観にはなった。))

-参戦当初はLM-GT1カテゴリで参戦していたバイパーGTS-Rだったが、[[マクラーレンF1>マクラーレン F1 GTR レースカー '97]]などに圧される形で目立つ戦果は残せていなかった((それでもGTS-R初見参となった1996年ル・マンでは総合10位、参戦4台中3台完走という結果を残している。))。1997年以降GTS-RはLM-GT2クラスへと転向するも当初は熟成され尽くされていた911GT2の後塵を拝していたが、フランスのレースコンストラクターである"チーム・オレカ"によって熟成が重ねられた結果圧倒的パフォーマンスを発揮するようになる。
-参戦当初はLM-GT1カテゴリで参戦していたバイパーGTS-Rだったが、[[マクラーレンF1>マクラーレン F1 GTR レースカー '97]]などに圧される形で目立つ戦果は残せていなかった((それでもGTS-R初見参となった1996年ル・マンでは総合10位、参戦4台中3台完走という結果を残している。))。
1997年以降GTS-RはLM-GT2クラスへと転向するも当初は熟成され尽くされていた911GT2の後塵を拝していたが、フランスのレースコンストラクターである"チーム・オレカ"によって熟成が重ねられた結果圧倒的パフォーマンスを発揮するようになる。
すでに限界に近いパフォーマンスだった911GT2を凌駕したGTS-RはGT2クラス敵無しの状況となり、ついに1999年にはGTSクラスが創設されるまでになるが、[[コルベット>コルベット C5-R (C5) '00]]が参戦してくるまでの間オレカ・バイパーは長らく市販車クラス最強の座にあり続けた(下記参照)。

-この#51号車は2000年ルマン24時間GTSクラス仕様車であり、本戦では333Lapを走りきって見事総合7位、GTSクラス優勝を飾っている。
僚友#53も総合9位に入りクラス1-2フィニッシュを遂げている。
--ちなみにALMSでクラス優勝を飾った[[#91>バイパー GTS-R (Team Oreca) #91 '00]]とは広告のステッカーに違いがみられるが、同じドライバー陣営(K.ベンドリンガー/O.ベレッタ/D.デュパイ組)なので''"ナンバー違いの同じ車"''なのかもしれない(シャシーNO.までは確認出来ず)。
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#region(その他のバイパー GTS-Rの活躍)
-主戦場に定めたALMSでは1999、2000年とチームチャンピオンを獲得。

-ル・マン24時間では1998年(LM-GT2)1999、2000年(LM-GTS)と3連覇を達成している。

-ニュルブルクリンク24時間ではかつてF1にも参戦していたザクスピード(Zakspeed)の手により1999、2001、2002年と3度総合優勝に輝いている。

-FIA-GT選手権では1997、1998(GT2)、1999、2001、2002年とタイトルを手中に収めている。

-JGTC・GT500クラスにも1997年から2000年の途中までチーム・タイサンの手で参戦していたバイパーGTS-Rであったが、JGTCのレギュレーションが大排気量エンジンに厳しかったこともあり、GT500での勝利は得られなかった。
GT300クラス転向後の2003年に待望の初勝利を挙げたものの、残念ながらその年限りでバイパーは撤退してしまった。
--1999年にはチーム・オレカのサポートも受けている(GT2で収録)。
#endregion
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