|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c
|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー|フェラーリ|総排気量|2,419cc|PP|413|
|国籍|イタリア|最高出力|195PS/7,600rpm|全長|4,235mm|
|カテゴリ|ノーマルカー/スポーツカー|最大トルク|23.0kgfm/5,500rpm|全幅|1,700mm|
|モデル|''高品質''|駆動形式|MR|全高|1,135mm|
|ギャラリー|''対応''|吸気形式|NA|車両重量|1,080kg/46:54|
|内装|再現|PWR|5.56kg/PS|TM|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限|
|ディーラー|Cr.9,000,000|カスタム|>|>|ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可|
|プレゼント|---|チューン|>|>|ダート走行不可&br;ボンネットのみ不可|
//-備考:

#region(←カラーバリエーションを表示)
|>|>|>|>|~カラーバリエーション|
|''Bianco Polo''|''Avorio Safari''|''Argento Auteuil Met.''|''Grigio Ferro Met.''|''Azzourro Met.''|
|''Blu Celeste Met.''|''Blu Chiaro Met.''|''Azzourro Cielo''|''Blu Dino Met.''|''Blu Sera Met.''|
|''Azzourro Dino''|''Blu Montecarlo''|''Blu Scuro Dino''|''Prugna''|''Rosso Cordoba''|
|''Rosso Rubino Met.''|''Rosso Bordeaux''|☆''Rosso Chiaro''|''Rosso''|''Rosso Dino''|
|''Nuovo Giallo''|''Giallo Senape''|''Verde Germoglio''|''Verde Medio Met.''|''Verde Scuro''|
|''Verde Pino Met.''|''Nero''|''Marrone Dino Met.''|''Oro Chiaro''|''Nocciola Met.''|
|''Viola Met.''|---|---|---|---|
#endregion
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#ref(ディーノ.jpg,nolink)
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-フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの長男で1956年に夭折したアルフレード・フェラーリ(愛称:ディーノ)が病床でアイデアを出したとされる65度V型6気筒DOHCエンジンを持ち、V型12気筒の既存車種とも区別するため、新しく長男の名前で「ディーノ」ブランドが与えられた。
当時のF2用エンジンホモロゲートの条件となる台数確保のために、フェラーリが設計しフィアットが製作協力をしてエンジンを作成しフィアットはスパイダー、クーペの2車を、フェラーリは1967年から1969年に206GTを製造し、両社合わせてエンジンのホモロゲートの台数をクリアし、レースに出場が可能となった。またその後ホモロゲートの必要はなくなったが、ポルシェ・911が2.4Lに拡大して対抗するためフィアットの意見を聞き、より実用スポーツとするとともにコストダウンし、1969年より1974年に246を製造した。246のエンジンは後にカムをラリー用に変更しランチア・ストラトスに流用された。
小林彰太郎は「ディーノ246ほど、ワインディングロードを速く、安全に飛ばせる車はない。操縦性、ロードホールディングは文句なく絶品で、しかも視界がサルーン並みによいからだ。ドライビングの楽しさでは、ディーノは(同月号でテストされた1973年型)カレラRSに勝るかもしれぬ」と絶賛している[1]。また福野礼一郎は、日曜日のゴルフ用に妥協を重ねた結果という前置き付きながら、その名称とレーシングカー的なディメンションを物証にフェラーリのロードカーに対して冷淡だったエンツォが最も愛した市販車だったのではないかと考察した[2]。
2487台のGTと1274台のGTS、合計3761台が作られた。
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//#region(派生モデルの解説)
//-書く場合はスラッシュを外してください
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