分類 | 性能 |
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メーカー | トヨタ | 総排気量 | 1,331cc | PP | 368 |
国籍 | 日本 | 最高出力 | 135PS/6,400rpm | 全長 | 3,790mm |
カテゴリ | ノーマルカー/3ドアハッチバック | 最大トルク | 16.0kgfm/4,800rpm | 全幅 | 1,625mm |
モデル | 簡易 | 駆動形式 | FF | 全高 | 1,400mm |
ギャラリー | 非対応 | 吸気形式 | TB | 車両重量 | 920kg/63:37 |
内装 | 簡易 | PWR | 6.86kg/PS | TM | 5速 |
入手方法 | カスタム/チューン制限 |
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ディーラー | Cr.1,430,000 | カスタム | ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可 |
プレゼント | --- | チューン | --- |
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カラーバリエーション |
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☆Bluish Silver Metallic | Purplish Blue Mica Metallic | Black Metallic | Super White II | --- |
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- スターレットの始まりは1973年にパブリカの上級車種として発売されたパブリカスターレットである。
車重が755kgと軽量でFRだったことからモータースポーツに広く用いられた。
スターレットの型式のPはパブリカのPである。スターレットの後継車種として登場したヴィッツにもPの文字は受け継がれている。
全モデルを通して軽量でコンパクトであり運動性能が高かったこと、車両価格が比較的安価でアフターパーツも豊富であったこと、ワンメイクレースが1981年から毎年開催されていたことなどから「ボーイズレーサー」と呼ばれ若者からの人気が高かった。
- スターレットのワンメイクレースは1999年まで開催され2000年からはNetz Cup Vitz Raceとなり以後毎年開催されている。
- 名前の由来はその名の通り「星」であり、「小さい車でも星のように光る存在になってほしい」という思いが込められている。
- 1973年にパブリカの上級車種「パブリカ・スターレット」として発売され、以降はトヨタの最小モデルとなったスターレット。
名前の由来はその名の通り「星」であり、「小さい車でも星のように光る存在になってほしい」という思いが込められている。
初代の時点ではスポーティな車種であったが、1978年の2代目からは実用的な大衆車の路線を付与し、幅広い層に人気を得た。
- 1978年に2代目となるP60系にモデルチェンジ。車名もパブリカが外れ単にスターレットとなった。
排気量が1300ccになったことから「1300スターレット」と呼ばれた。
アフターパーツが豊富にあったことや、猫も杓子もFFと化していった中で貴重なライトウェイトFRであったことからモータースポーツに広く用いられた。
かの土屋圭市氏もKP61型スターレットで腕を磨いたという。
ちなみにこのKP61型スターレットだが、ビジネスグレードとなるDX-Aに「エコランシステム」という国産市販車初のアイドリングストップシステムを搭載していた。またエコランシステム搭載車は高速巡航時の燃費改善のために5速MTが搭載されていた。
- 1996年1月に登場した5代目スターレット(P90系)は、衝突安全ボディ「GOA」をトヨタ車として初採用した事が話題となった。
収録された『グランツァ V』はスポーツグレード「グランツァ」のターボモデルで、先代の「GT」グレードの直系にあたる。
エンジン等のメカニズムは先代の流用だが、駆動系保護の為に1速でのみ過給圧を抑える機構や、各種安全装備が追加された。
先代からやや重くなったものの車格に見合わぬ過激な性能は健在で、ジムカーナやダートトライアルでも引き続き活躍した。
- 1984年にP70系にモデルチェンジ。この代からFF化された。
FFとなったがその性能はより一層過激になり「かっとびスターレット」の異名を持った。
モータースポーツ向けに自然吸気のRiとターボのターボRというグレードが用意された。快適装備類が削られ改造が容易となっている。
- 1989年にP80系にモデルチェンジ。「青春のスターレット」をキャッチコピーとしFFモデルがEP82、4WDモデルがEP85、ディーゼルエンジンモデルがNP80となった。
排気量は1300ccのままだったがSOHC12バルブからハイメカツインカムDOHC16バルブの4E型となった。最大のトピックは最高出力135psを発揮する4E-FTEエンジンを搭載したGTである。
ただでさえ800kgそこそこの軽量ボディで135psを発生し、その暴力的な加速力と高い運動性能により2000ccクラスや2500ccクラスのスポーツカーをカモってしまうこともあった。
現在でもジムカーナやダートトライアルで人気が高く、富士スピードウェイで行われるアマチュアレース「富士チャンピオンレース」のN1400クラスは2014年現在このEP82型スターレットNAモデルのワンメイク状態となっている。
歴代のスターレットの中では最も高い運動性能を持ち、現在でもカスタムパーツが新規開発されるほど人気が高い。
- 1996年に最後のスターレットとなるP90系スターレットにモデルチェンジした。
衝突安全ボディ「GOA」を当時のラインナップで最小モデルとなるスターレットにトヨタ車として初採用したことも話題となった。
GT6に収録されているモデルがこのP90系スターレットの最上級モデルとなるEP91型スターレット グランツァVである。先代のターボモデルであるGTはグランツァVと名称が変更された。
安全性への配慮や駆動系を保護するために1速では過給圧が抑えられる機構が備わっている。
ややボディが重くなったものの、それでも過激な性能は健在でEP82と同じくジムカーナやダートトライアルで人気がある。
- エスティマなどのミニバン系やステーションワゴン系の人気が高まり、徐々にスターレットの販売台数は下がっていった。
モデル展開を絞るなどして販売台数を維持しようとしたが、対応が後手に回ってしまった。
最終的にスターレットの時代に止めを刺したのは日産のK11型マーチである。販売台数が追いつかれスターレットの役目は終わったと判断され、新型車開発のGOサインが出た。
その新型車がCP10型ヴィッツである。万が一、失敗した時の保険としてスターレットの生産も継続することとなった。
そして1999年、ヴィッツは予想を遥かに上回る大成功となり、スターレットはヴィッツに完全に引き継がれたと判断された。
1999年7月26日に最後の1台が生産され、スターレットは26年の歴史に幕を閉じた。総生産台数はトヨタ車9位の350万台。
スターレットの生産終了には世間からだけではなく社内からも惜しむ声が多かった。トヨタ上層部もそれを理解しており、乗用車としては異例の引退式典が行われた。
- 販売ではミニバンやステーションワゴン、ライバルの日産・マーチに客層を取られ苦戦し、歴代最短の約3年半で生産を終了。
1999年1月に登場したヴィッツと約半年間併売された後、同車両に統合される形でスターレットは26年の歴史に幕を閉じた。
スターレットのモデル廃止に関しては関係各所から惜しむ声が挙げられ、当時の乗用車としては異例の引退式典も行われた。
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| | 車重に関する矛盾
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- 収録モデルの920kgという車重は、競技用モデル『グランツァ V モータースポーツパッケージ』と同数値である。
実車の標準仕様の『グランツァ V』の車重は950kgなので、モデリングとグレード名に矛盾が発生している*1。
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