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|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー|メルセデス・ベンツ|PP|691(---)|全長|4,700mm(---mm)|
|国籍|ドイツ|総排気量|4,973cc(---cc)|全幅|1,980mm(---mm)|
|カテゴリ|---/---|最高出力|720/7,000rpm&br;(---PS/-------rpm)|全高|1,050mm(---mm)|
|モデル|''高品質''|最大トルク|80.0kgfm/-------rpm&br;(103.9kgfm/6,000rpm)|車両重量/配分|839kg(---)/49:51|
|ギャラリー|''対応''|駆動形式&br;吸気形式|MR(--:--)/TR|トランスミッション|5速|
|メーカー|メルセデス・ベンツ|PP|691|全長|4,700mm|
|国籍|ドイツ|総排気量|4,973cc|全幅|1,980mm(---mm)|
|カテゴリ|プロトタイプレーシングカー/FISA-グループC|最高出力|720/7,000rpm&br;(---PS/-------rpm)|全高|1,050mm|
|モデル|''高品質''|最大トルク|80.0kgfm/-------rpm&br;(103.9kgfm/6,000rpm)|車両重量/配分|839kg/49:51|
|ギャラリー|''対応''|駆動形式&br;吸気形式|MR/TR|トランスミッション|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限|
|ディーラー|Cr.215,000,000|カスタム|>|>|ペイント:-、ホイール交換:-、エアロ装着:-|
|ディーラー|Cr.215,000,000|カスタム|>|>|ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可|
|プレゼント|---|チューン|>|>|---|
//-[[GT5での「---」についてはこちら>]]
//-備考はここ
#region(←カラーバリエーションを表示)
|>|>|>|~カラーバリエーション|
|---|---|---|---|
|---|---|---|---|
#endregion
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#ref(Benz SauberC9-F2.jpg,nolink)
#ref(Benz SauberC9-R2.jpg,nolink)
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-1993年から現在までF1コンストラクターとして活躍しているザウバーが、F1以前に参戦していた世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)において、メルセデス・ベンツと共に製作・使用したグループCカー。
--ちなみにザウバーのレーシングカーは初代から現在のF1に至るまで一貫して((2006-09年のBMW・ザウバー時代を除く))C○○という名称を使っているが、これはチームオーナーであるペーター・ザウバー氏の愛妻クリスティーヌ氏のイニシャルから取られている。
-メルセデスとのパートナーシップは1985年に始まり、C8と呼ばれるマシンで85年、翌86年を戦った。本マシンはその発展型で、87年のWSPCシリーズ第4戦・シルバーストンでデビューした。
--C8は、ザウバーがBMWとパートナーシップを結んでいた時期に製作されたC7と基本構造は同一で、エンジンだけをメルセデス製に換装。1955年以来のメルセデス復活という意味で記念碑的なマシンであった。
-89年のル・マン24時間レースでは61号車、62号車、63号車の三台体制で参加しGT収録の63号車が見事優勝。ザウバーチーム史上初、メルセデスにとっては37年ぶりのル・マン制覇であった。
--ちなみに予選は61号車が2位、62号車が1位、そして63号車が11位を獲得し、決勝は上記の63号車が61号車との1-2フィニッシュを決め、62号車が5位で完走した。
-同年のWSPCにおいても、全8戦中7戦で優勝、チーム・ドライバー(ジャン=ルイ・シュレッサー)のダブルタイトル獲得という快挙を成し遂げた。
-翌年のWSPCは後継車両のC11にスイッチしたが、開幕戦鈴鹿のみ2号車をC9が務めた。
--しかしその開幕戦、本命の1号車であるC11が予選でクラッシュしたために結局2台ともC9で出場することになった。急な出場の為に代理の1号車はグリッドでのガソリン漏れでピットスタートになる等完走さえも危ぶまれたが、終わってみれば1号車の優勝で見事1-2フィニッシュ。これが引退レースとなり、有終の美を飾った。
-メルセデスの代名詞でもあり、本マシンのカラーリングでもある『シルバーアロー』であるが、マシンの塗装は85年から88年まではスポンサーカラー(イブ・サンローラン傘下のブランドである"クーロス"カラーを纏った他、AEGが精密機械関連の会社ということで、IDチップを模したカラーリングを纏ったことも)であり、シルバーアローの復活は89年まで待つことになった。
-『ザウバー』の名が冠された最後のグループCマシンであり、翌'90年からはザウバーの名が外れ、名実ともにメルセデスワークスとなる。ただ、チーム運営は引き続きザウバー氏が行っており、それは車両に掲げられたCのイニシャルからも明白である。
--両者はグループC終焉後ともにF1への道を歩むこととなる。
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