|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):60|330|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|250|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):100|140|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー|シボレー|PP|470|全長|---mm| |国籍|アメリカ|総排気量|---cc|全幅|---mm| |カテゴリ|コンセプトカー|最高出力|319PS/6,200rpm|全高|---mm| |モデル|''高品質''|最大トルク|40,7kgfm/4,700rpm|車両重量/配分|---kg(1,150kg)/50:50| |ギャラリー|''対応''|駆動形式&br;吸気形式|FR/NA|トランスミッション|4速| |>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限| |ディーラー|Cr.50,000,000|カスタム|>|>|ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可| |プレゼント|[[グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード>スペシャルイベント#j3b59d26]]|チューン|>|>|---| ---- #ref(ヘマソラール.jpg,nolink) #ref(ヘマソラール_1.jpg,nolink) ---- //-車両解説 -[[C1コルベット>コルベット コンバーチブル (C1) '54]]はデビューしてからMuleと呼ばれたチューニングV8エンジンを積み込んだマシンで、様々なレースに参戦していた。 --1956年にはセブリング12時間ではコルベットSRと呼ばれるマシンでクラス優勝した。 --その後、改良型のSR2で1957年のデイトナでのレースでジャガー・Dタイプ(GT6未収録)に続く総合2位で完走した。 --その後継機として市販のC1コルベットとは全く無関係のコルベットSSでレース活動をしようとしていた。 -ところが1957年、NASCARで大クラッシュが起こったことにより、当時の自動車協会であるAMAはメーカーに一切のワークスでのレース活動を禁止した。 これによりコルベットSSでのレース活動は不可能になってしまった。 -C3コルベットまでの開発メンバーのビル・ミッチェル氏が、コルベットSSと同時期に新規制作されたMuleをわずか1ドルで買い取り、後に[[コブラデイトナクーペ>コブラ デイトナクーペ '64]]をデザインするビート・ブロック氏がデザインしたボディを換装したのがこのスティングレイレーサーである。 -ところがこのクルマ、レーシングカーとしては考えられないほど性能が低かった。 LSDは採用されず、ブレーキも4輪ドラムなのだ。 このためコーナーでは内側のタイヤがホイールスピンし、レース後にはフェードを起こすというありさまだった。 --もっとも、ブレーキに関してはGM側からディスクブレーキの使用を認められなかった((ディスクブレーキに関し「ホントにこんなので止まれるの?(意訳)」と当時のGMの首脳陣は思ったらしい。))のが原因と言われている。 -その後、このクルマは[[C2コルベット>コルベット クーペ (C2) '63]]のデザインの基礎となった。 |