|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー|シェルビー|総排気量|4,728cc|PP|535| |国籍|アメリカ|最高出力|390PS/6,750rpm|全長|4,610mm| |カテゴリ|プロトタイプレーシングカー/WSCC-GT Prototype|最大トルク|47.0kgfm/4,000rpm|全幅|1,753mm| |モデル|''高品質''|駆動形式|FR|全高|1,422mm| |ギャラリー|''対応''|吸気形式|NA|車両重量|1,043kg/50:50| |内装|再現|PWR|2.67kg/PS|TM|4速| |>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限| |ディーラー|Cr.450,000,000|カスタム|>|>|ペイント:可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可&br;ストライプは塗装したカラーリングによって変動する| |プレゼント|---|チューン|>|>|TM・エンジン・スーパーチャージャーのみ可| //-備考: ---- #ref(デイトナ.jpg,nolink) ---- -ル・マン24時間レースでの勝利を目指すシェルビー・アメリカンによって、僅か6台のみが製造されたレーシングカー。 -[[コブラMKIII>コブラ 427 '66]]でヨーロッパのレースを圧巻していたシェルビー陣営だったが、ル・マンではオープンボディ故の空気抵抗に悩まされた。 そのためフレームやエンジンを流用し、ボディをクローズドに、それに合わせてサスペンションの再設計を行ったのが本車である。 デビューが1964年のデイトナ2000kmだった事から、「シェルビー デイトナ」というニックネームが名付けられた。 -ウィークポイントである空気抵抗を改善したデイトナは、同年のセブリング12時間、そして目標としていたル・マンでクラス優勝を達成する。 翌年もル・マンこそ3位だったが、デイトナ2000km、セブリング12時間などビッグレースを次々勝利し、年間王者に輝いた。 -しかし1965年末、エンジンの供給元であるフォードに、「[[GT40>GT40 レースカー '69]]による打倒フェラーリ」を指示される。 シェルビー・アメリカンはGT40の改良に全精力を傾ける事となり、一線級の戦闘力を持っていたデイトナは僅か2年でその役目を終えた。 ---- #region(幻の存在と化したプロトタイプ(CSX2287)について。) -激戦によりボロボロになったプロトタイプは当初買い手が付かず、数年間放置された後にポルシェの2/3程度という安値で売却された。 その後、生産数6台という貴重性や華々しい実績が再評価されるも、既にプロトタイプは20年以上も行方不明であり、幻の存在と化していた。 アメリカ全土のコレクター達が血眼になって探し周り、2001年、遂に南カリフォルニア州で発見される。 オークションでは768万5000ドルという途方もない価格で落札されており、これは当時のアメリカ製自動車の最高額であった。 現在、このプロトタイプはフルレストアが行われ、フィラデルフィアの博物館で丁重に保管されている。 #endregion ---- |