|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):60|330|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|250|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):100|140|c
|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー|---|PP|---(---)|全長|---mm(---mm)|
|国籍|---|総排気量|---cc(---cc)|全幅|---mm(---mm)|
|カテゴリ|---/---|最高出力|---/-------rpm&br;(---PS/-------rpm)|全高|---mm(---mm)|
|モデル|''高品質''/簡易|最大トルク|---kgfm/-------rpm&br;(--kgfm/-------rpm)|車両重量/配分|---kg(---)/--:--|
|ギャラリー|''対応''/非対応|駆動形式&br;吸気形式|---(--:--)/---|トランスミッション|-速|
|>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限|
|ディーラー|Cr.---|カスタム|>|>|ペイント:-、ホイール交換:-、エアロ装着:-|
|プレゼント|---|チューン|>|>|---|
//-備考はここ
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|>|>|>|~カラーバリエーション|
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|---|---|---|---|
#endregion
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車両解説
-'63デビューのコブラMKIIIでヨーロッパのレースを荒らしまわっていたシェルビー陣営だったが、ルマンではオープンボディ故の空気抵抗に悩まされた。そのためフレームやエンジンを流用し、ボディをクローズドに、それに合わせてサスペンションの再設計を行ったのが本車である。
デビューが'64のデイトナ2000kmだったことからデイトナというニックネームが名づけられている。

-これがばっちり決まったデイトナは同年のセブリング12時間、そして目標としていたルマンでクラス優勝を達成する。
翌年もルマンこそ3位だったが、デイトナ2000km、セブリング12時間などビッグレースを次々勝利。年間王者に輝く。

-しかし65年末、エンジンを供給してもらっていたフォードより[[GT40>GT40 レースカー '69]]をどうにかしてくれないかという打診を受ける。これに全精力を傾ける事となり、一線級の戦闘力を持っていたデイトナは2年でその役目を終える。

-…と、ここからデイトナは数奇な運命をたどる。激戦によりボロボロになってしまったマシンは当初買い手が付かず、数年間放置されたあとにポルシェの2/3程度という安値で売却される。
が、全部で6台しか生産されていないという貴重性、ルマンを勝ったという実力が後年評価され、2000年にはなんと400万ドルという超高値で売却される。これは当時のアメリカ製自動車の最高値であった。
最初に製作されたプロトタイプは途中20年間行方不明となっていたため、アメリカ国内のヒストリックカーコレクターが血眼になって探していたというエピソードがある。現在では博物館に納まっている。


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