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|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー|アウディ|総排気量|2,144cc|PP|400|
|国籍|ドイツ|最高出力|203PS/5,500rpm|全長|4,404mm|
|カテゴリ|ノーマルカー/スポーツカー|最大トルク|29.5kgfm/3,500rpm|全幅|1,723mm|
|モデル|簡易|駆動形式|4WD(35:65)|全高|1,344mm|
|ギャラリー|非対応|吸気形式|TB|車両重量|1,290kg/59:41|
|内装|簡易|PWR|6.38kg/PS|TM|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限|
|ディーラー|Cr.9,036,000|カスタム|>|>|ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可|
|プレゼント|---|チューン|>|>|---|
//-備考:

#region(←カラーバリエーションを表示)
|>|>|>|>|~カラーバリエーション|
|☆''Diamond Silver Metallic''|''Gobi Metallic''|''Alpine White''|''Mars Red''|''Helios Blue Metallic''|
|''Lhasa Metallic''|---|---|---|---|
#endregion
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-1980年に登場した本車は、アウディのフルタイム4WDシステム「クワトロ」の名を冠するスポーツカーで、アウディがWRCで勝つ為に作製され、'91まで販売された。
その後各車にクワトロが搭載されていったため、混同を防ぐためにドイツ語でオリジナルを意味するUr-を頭に付けUr-クワトロと呼ばれる事も多い。
マイナーチェンジは'83、'85、'87、'89と初回以降2年ごとだった。収録モデルは'82なので最初期型のラストイヤーとなる。
-'80年に登場した本車は、アウディのフルタイム4WDシステム「クワトロ」の名を冠するスポーツカー。
アウディがWRCで勝つ為に作られ、'91年まで販売された。その後、各車にクワトロが搭載されていき、
混同を防ぐためにドイツ語でオリジナルを意味するUr-を頭に付けUr-クワトロと呼ばれることも多い。
MCは'83年、'85年、'87年、'89年と初回以降2年ごとだった。収録は'82年式なので最初期型の最終年度。

-フレームこそアウディ 80(GT6未収録)と同じだが、様々なモディファイが加えられている。
具体的に言うとフロントサスペンションはメンバーから専用の物を採用していた他、リアサスペンションはオリジナルのトーションビームからストラット式に作り替えられていた。
WRカーかと思うようなレベルである。
-フレームこそアウディ 80(GT6未収録)と同じだが、様々なモディファイが加えられているのが特徴である。
具体的に言うとフロントサスペンションはメンバーから専用の物を採用していた他、リアサスペンションは
オリジナルのトーションビームからストラット式に作り替えられていたというWRカーかと思わせるレベル。

-エンジンはアウディ 200用の2.1L 直列5気筒SOHCを搭載。そこにターボチャージャーを加え、最高出力は200psを超した。
--収録モデルからは外れるが、'87からは2.2Lにスープアップし低速トルクを向上、'89からはDOHCヘッドに積み替え220psを達成している。
-エンジンはアウディ 200(GT6未収録)用の2.1L 直5SOHCターボを搭載。最高出力は200psを超す。
--収録モデルからは外れるが、'87年のMCで2.2Lに排気量をアップさせ、低速トルクを向上させた。
'89年のMCではDOHCヘッドに積み替え、最終的に220psを達成するなど進化し続けている。

-ラリーでの活躍は著しいものがある。1981年にWRCのグループ4に出力を300ps以上まで上げられたマシンで参戦。
初戦のモンテカルロではトラブルによりリタイアしたものの、2位以下を6本のSSで6分以上引き離した。そして2戦目以降は着実に勝利を重ねている。
--広告スローガンでは「雪の中でクワトロをつかまえようとしてはいけません」とフルタイム4WDによる悪路での速さを表現している。
-肝心のラリーでは、'81年にWRCのグループ4に最高出力を約300psまで引き上げられたマシンで参戦。
初戦モンテカルロはトラブルでリタイアしたが、2位以下を6本のSSで6分以上引き離すなど速さを見せる。
その為、広告では「雪の中でクワトロをつかまえようとしてはいけません」というスローガンを採用している。

-当時のラリーカーは2WDが主流でありフルタイム4WDなど重くてまともに戦えないと思われていた。
しかし本車の圧倒的な速さにより、一変して4WDが主流となったことは言うまでもない。ラリーの世界に革新をもたらした1台である。
-当時は2WDが主流でフルタイム4WDなど重くてまともに戦えないと思われていたが、本車の圧倒的な速さで
一変して4WDが主流となった。パイクスピーク版は[[こちら>クワトロ S1 パイクスピーク '87]]。グループB版は[[こちら>クワトロ S1 ラリーカー '86]]。
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#region(その後のクワトロ)
-'83からはGr.Bのホモロゲモデルとしてスポーツ・クワトロが登場。完全2シーター化に加え、320mmも短縮したホイールベースを持つ、元のクワトロとは異なり過ぎるエボリューションモデルを登場させたのだが、なんと勝利は1勝にとどまっている。この年のドライバーズタイトルを取っているのにも関わらずである。
-'83年からはグループBのホモロゲーションモデルとしてスポーツ・クワトロが登場。完全2シーター化に加え、
320mmも短縮したホイールベースを持つ、元のクワトロとは異なり過ぎるエボリューションモデルを登場させた。
だがこのマシンでの勝利は1勝に留まっている。この年のドライバーズタイトルを取っているのにも関わらずである。

-理由としては直結4WD故に酷いアンダーステアに悩まされた事が上げられている。そのためこの年のほとんどはGr.4仕様のクワトロを改良したクワトロA2(GT6未収録)で走っていた。
結局このハンドリングの悪癖は[[S1>クワトロ S1 ラリーカー '86]]になっても治ることはなかった。
-理由としては直結4WD故に酷いアンダーステアに悩まされた事が上げられている。その為、この年のほとんどは
グループ4仕様のクワトロの改良版、クワトロ A2で走っていた。このハンドリングはS1になっても治らなかった。
#endregion
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