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|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー|日産|総排気量|2,568cc|PP|554|
|国籍|日本|最高出力|550PS/7,600rpm|全長|4,545mm|
|カテゴリ|ツーリングカー/JTC-クラス1((FIA-グループA))|最大トルク|50.0kgfm/6,000rpm|全幅|1,755mm|
|モデル|簡易|駆動形式|4WD(35:65)|全高|1,320mm|
|ギャラリー|非対応|吸気形式|TB|車両重量|1,260kg/54:46|
|内装|簡易|PWR|2.29kg/PS|TM|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限|
|ディーラー|Cr.100,000,000|カスタム|>|>|ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可|
|プレゼント|---|チューン|>|>|センターデフ・エンジンチューン・ターボキットのみ可|
//-備考:

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-1993年の全日本ツーリングカー選手権クラス1(排気量2500CC以上)のチャンピオンマシン。
星野一義/影山正彦 組のドライブで9戦中4勝を記録、影山正彦がチャンピオンを獲得している(星野一義はF3000でのクラッシュの影響により1戦欠場)。
星野一義/影山正彦 組のドライブで9戦中4勝を記録、影山正彦氏がチャンピオンを獲得している(星野一義氏はF3000でのクラッシュの影響により1戦欠場)。

-1990年にグループAレースを勝利する為に投入されたR32型GT-Rは、圧勝劇を演じた衝撃のデビュー戦からカテゴリーが終了する1993年までに''無敗の29連勝''を記録した。
(といっても、初年度の活躍を目の当たりにしたライバルチームが翌年から撤退、もしくはGT-Rへ乗り換えをした故に実質ワンメイクレース状態になったうえの記録ではあるが)

-国内レースだけでなく、スパ・フランコルシャン24時間総合優勝やマカオグランプリ、バサースト1000kmなどの海外のツーリングカーレースでも数多くの成果を上げており、まさに一時代を築いたレースカーである。

-ちなみにウィングとトランクガーニーのせいでリアのダウンフォースは十分であったが、逆にフロントのダウンフォースが不足しすぎて、[[富士スピードウェイ]]のホームストレッチではフロントがスッカスカだったらしい(長谷見曰く「リアウィング取りたかった」)。ただその状態で(GT2まで収録されていたR32スカイラインGT-R NISMO '90)グループAの公認を取っていたため、ウィングもガーニーも外す事が出来ず、苦肉の策として、トランクとウィングの間にワッシャーを挟みウィング自体を後傾させ、少しでもアタックアングルを減らしていたとか。
-ベースはスカイライン GT-R NISMO。通常のウイングに加えてトランクガーニーを装備していたためリアのダウンフォースは十分であったが、逆にフロントのダウンフォースが不足しすぎて、[[富士スピードウェイ]]のホームストレッチではフロントがスッカスカだったらしい(ハセミモータースポーツでドライバーを務めていた、長谷見昌弘氏曰く「リアウィング取りたかった」)。ただその状態でグループAの公認を取っていたため、ウィングもガーニーも外す事が出来ず、苦肉の策として、トランクとウィングの間にワッシャーを挟みウィング自体を後傾させ、少しでもアタックアングルを減らしていたとか。

-Gr.Aのレギュレーションは「サスペンションアームは変更OK、ただしダンパーの取付位置やサスペンション形式は変更不可」なはずだが、足回りがダブルウィッシュボーンに作り変えられていた。一見サスペンション形式が変わってるように思えるが、マルチリンクがダブルウィッシュボーンの派生形式とされたために出来た荒業である。
-Gr.Aのレギュレーションは「サスペンションアームは変更OK、ただしダンパーの取付位置やサスペンション形式は変更不可」なはずだが、本車の足回りはダブルウィッシュボーンに作り変えられている。一見サスペンション形式が変わっているように思えるが、マルチリンクがダブルウィッシュボーンの派生形式と見なされたために出来た荒業である。
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//#region(派生モデルの解説)
//-書く場合はスラッシュを外してください
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