|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c
|>|~分類|>|>|>|~性能|
|メーカー|トヨタ|総排気量|1,988cc|PP|373|
|国籍|日本|最高出力|150PS/6,600rpm|全長|4,175mm|
|カテゴリ|ノーマルカー/スーパーカー|最大トルク|18.0kgfm/5,000rpm|全幅|1,600mm|
|モデル|''高品質''|駆動形式|FR|全高|1,160mm|
|ギャラリー|''対応''|吸気形式|NA|車両重量|1,120kg/54:46|
|内装|再現|PWR|7.17kg/PS|TM|5速|
|>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限|
|ディーラー|Cr.16,000,000|カスタム|>|>|ペイント:可、ホイール交換:可、エアロ装着:可|
|プレゼント|---|チューン|>|>|---|
//-備考:

#region(←カラーバリエーションを表示)
|>|>|>|>|~カラーバリエーション|
|☆''Pegasus White''|''Thunder Silver''|''Solar Red''|---|---|
#endregion
----
#ref(2000GT前.jpg,nolink)
----
-1967年から1970年までの僅か数年のみ生産・販売された、実質的に国産自動車史上初のスーパーカー。
名称・メカニズム的な共通点・継承点を一切持たないものの、[[レクサス・LFA>LFA '10]]の始祖と呼べる車両でもある。

-トヨタとヤマハの技術提携によって誕生した車両だが、トヨタ側の開発担当は4人に過ぎず「共同開発」と呼ぶには諸説ある。
しかしヤマハ側は本車の開発について、「ヤマハの技術提携」と公式的に言及しているため、本項ではこのような表現とした。
何故ヤマハに製造を委託したかというと、当時のトヨタには少数生産用のラインを作るスペースが工場に無かったためである。
決してトヨタ単独で本車を開発する技術が無かった訳ではなく、むしろ技術的にはヤマハの方が不足していた。

-1964年に共同開発が始まり、翌年8月には試作車が完成するという、現代の目で見ても非常に速い開発ペースは驚嘆に値する。
オートバイ・楽器メーカーとして既に高い知名度を得ていたヤマハの技術力は、その完成度に大きく貢献する事となった。

-パワーユニットは150PSを発揮する当時最新鋭の2L 直6DOHCであり、これにフルシンクロメッシュの5速MTが組み合わせられた。
足回りは前後共にダブルウィッシュボーンサスが与えられ、また国産車としては初となる4輪ディスクブレーキを採用。 
更にはリトラクタブルライト、マグネシウムホイール、ラック・ピニオン式ステア等、当時としては極めて贅沢な装備を誇った。
デザインについては完全な5ナンバー規格に収まっているにも関わらず、その制約を感じさせない流麗なスタイリングを持つ。
特に、高級ピアノにも使用される高品質な木材を用いた内装は今なお評価が高く、現在でも熱烈なファンが存在する。

-当時の新車価格は238万円であり、これを現在の通貨価値に換算すれば1500万とも2000万とも言われている。
一般人にとっては想像を絶する超高級車であったが、開発・製造コストを考慮すればそれでも赤字だったと言う。
収録モデルの前期型と、1969年にマイナーチェンジされた後期型を併せた総生産台数は、試作車を含めても337台。
その内、日本国内に割り当てられた台数は、僅か218台に過ぎなかった。
----
//#region(派生モデルの解説)
//-書く場合はスラッシュを外してください
//#endregion
//----


    ホーム 一覧 単語検索 最終更新 バックアップ   ヘルプ   最終更新のRSS