|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|340|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|220|CENTER:BGCOLOR(#e0e6eb):70|180|c |>|~分類|>|>|>|~性能| |メーカー|ベントレー|総排気量|4,000cc|PP|683| |国籍|イギリス|最高出力|632PS/6,000rpm&br;(796PS/6,000rpm)|全長|4,645mm| |カテゴリ|プロトタイプレーシングカー/FIA-LMGTP|最大トルク|77.5kgfm/4,000rpm&br;(97.7kgfm/4,000rpm)|全幅|1,992mm| |モデル|''高品質''|駆動形式|MR|全高|970mm| |ギャラリー|''対応''|吸気形式|TB|車両重量/配分|900kg/49:51| |内装|再現|PWR|1.13kg/PS|TM|6速| |>|~入手方法|>|>|>|~カスタム/チューン制限| |ディーラー|Cr.190,000,000|カスタム|>|>|ペイント:不可、ホイール交換:不可、エアロ装着:不可| |プレゼント|---|チューン|>|>|ターボキットのみ可| //-備考: ---- #ref(スピード8前.jpg,nolink) #ref(スピード8後ろ.jpg,nolink) ---- -1998年にベントレーがフォルクスワーゲン社に買収され、レース活動の再開を認められた後、99年のル・マンでアウディが作り上げたもう一つの[[R8>R8 レースカー '01]]と呼べるクローズドプロトタイプ・アウディ R8Cをベースに製作された。 -細いトレッド幅のタイヤの使用や、大径リストリクターの使用が認められていたことを利用するため、当時のル・マンでは唯一のクローズドプロトタイプであった。 更にR8を使用するプライベーターチームに対し明確なアドバンテージを得るため、R8の3.6Lに対して4Lにまで排気量を上げている。 --この排気量拡大と引き換えに燃費性能が悪化してしまったが、「増えたピット回数分のロスタイムを向上したラップタイムで補う」というやや強引な手法で挽回してしまったのは見事。 -ル・マン優勝三ヶ年計画の集大成となった2003年、ベントレーはアウディのワークス活動終了を契機に「ル・マン優勝請負人」と名高いTeam Joestとタッグを組む。 -プライベーター中心のアウディ側がトラブルに苦しむ一方、ベントレー側はほぼノントラブルで走り続けた。唯一8号車がバッテリー交換の為長時間ピットストップを強いられたが1930年以来のル・マン通算6勝目の勝利を、''"フロントロー独占・8号車のファステストラップ・7号車と8号車の1-2フィニッシュ"''という最高の形で手に入れ、ベントレーは再びモータースポーツの表舞台から姿を消した。 --優勝車7号車のチームクルーはT.クリステンセン/R.カペロ/G.スミスで377LAP、2位8号車はJ.ハーバート/M.ブランデル/D.ブラバムの元F1トリオで375LAPを走りきり両車完走。 -またこの年のル・マン参戦時、7号車と8号車はウイングの形状が異なっている。興味がある人は調べてみると良いだろう。 --簡単に書けば8号車のリアウィングは[[アウディR8>R8 レースカー '01]]に近い形状となる。ベントレー陣営(Team Joest)は7号車を"ダウンフォース重視"、8号車を"最高速重視"という異なるセッティングを採用していた、ということ。 #hr #region(以下余談) -GT.comでGT6収録車種が発表になった際、当初ベントレーSpeed 8は"Exp Speed 8"となっていた。このExp Speed 8というネーミングは2002年まで使われていたネーミングである。 -肖像権がクリアできたのか、ボディサイドのドライバー名が優勝車7号車のチームクルーの実名となっている。 -ちなみにこのスピード8、見た目の印象が"[[TS020>GT-One レースカー (TS020) '99]]"に似ていると思った方は少なくない(これは前年型の方が顕著)かもしれないが、実は2車"まったくの無関係"という訳ではない。 それは"空力を煮詰めたら似通った型になった"というものではなく、スピード8の生まれた施設に関係がある。その施設とは元トヨタGBの施設(トヨタがF1集中に切り替えたため売却)であり、その施設がトヨタTS020の生まれ故郷でもある為なのだ。 この車は"アウディR8"がクローズドプロトタイプだったなら"というifのほかに"トヨタが2000年以降もル・マンに参戦続けたなら"という2つの可能性を秘めた車である。 -ベントレーは高級GTである"ベントレー コンチネンタルGT"をベースにFIAが定めるグループGT3規格のレースカーを開発、この2003年のSpeed 8以来となる約10年ぶりのサーキット復帰を2013年に表明した。 #endregion ---- |