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-総排気量:2393cc
-最高出力:150ps(157ps)/5600rpm(5500rpm)
-最大トルク:21.00kgfm(21kgfm)/4800rpm(5000rpm)
-駆動形式:FR
-全長:4305mm
-全幅:1690mm
-全高:1285mm
-車両重量:1010kg
-重量バランス:60対40
-価格:Cr.4,770,000(走行距離26544km)
-Lv:0
-PP:371(384)
-備考:()内の数値はリフレッシュ・OHした際のもの
-備考:トランスミッションは5速
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//-ここに解説を書き込み
-[[ダットサン フェアレディ>日産 フェアレディ 2000 (SR311) '68]]の後継機として1969年11月誕生したのが初代フェアレディZである。
-このようなマシンを求めていたのはアメリカだった。そもそもアメリカからの発案に日本国内のメーカーが反応するなどということは稀であったが、日産は重い腰を上げて開発に着手。
先代はインパクトが不十分だということで、アメリカの「オープンカーよりもラグジュアリなGTを」というニーズに応えるべくZの開発がされていったのだった。開発を指示した当時の米国日産社長の片山豊は「[[ジャガーEタイプ>ジャガー E-TYPE クーペ '61]]」のような車を造ってくれ」と要望を出し、スタイリングも長いノーズ等、Eタイプに準じたものとなった。
-あまりコストはかけられないため、重いL型水冷直列6気筒エンジンを搭載。最高時速は約180km/h。性能は比較的よいものだったが、当時からハイスペックだったヨーロッパ製GTを超えるような能力は得られなかった。
-しかし、「コストをかけすぎない」というのが効を奏した。ヨーロッパ製GT並みのスペック&魅力あるスタイルにもかかわらず、他のGTカーに比べて非常に廉価(最低84万円(当時レート)で買えた。)だったため、
兼ねてからの要望元であるアメリカ市場を中心に大ヒット、「ダッツン・ズィー」の愛称で親しまれた。高度経済成長期真っただ中の日本でも8万台を販売。
1978年のモデルチェンジまでの9年間に世界総販売台数55万台という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立した。
まさに時代の先端を駆けぬけたフェアレディZは世界に日産の名を知らしめた、伝説のクルマとなった。

-GT5収録の本車は240Zの中でも最上級グレードの240ZGというモデル。240Zは元々輸出専用で、2.4LのL型エンジンを搭載。240Zの海外での人気を耳にした日本のファンからの要望で1971年から日本でも販売された。
「グランドノーズ」(通称Gノーズ)と呼ばれるFRP製のフロントバンパー一体型のエアロパーツとオーバーフェンダーが装着された。最高時速も当時の日本車トップとなる210km/hに達した。
当時の価格は150万円と高かったが、それでも高い人気を誇った。
-レース活動では、特にラリー系のレースを中心に参戦している。1971年にはサファリラリーでは1-2フィニッシュを達成した上、総合、クラス、チーム優勝の3冠を獲得する活躍を魅せた。1973年には、その年からスタートしたシリーズ「WRC」にも参戦している。
-フェアレディZは現在でも北米で人気が高い車種となっている。
-ドラマ「西部警察」に登場している。中でもジャンプしてクラッシュするという名シーンを演じている。

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//-カラーバリエーション:
-カラーバリエーション:Grand Prix Maroon,Grand Prix Red,Grand Prix White



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