- 追加された行はこの色です。
- 削除された行はこの色です。
-総排気量:4973cc
-最高出力:720ps(987ps)/7000rpm(7000rpm)
-最大トルク:80.00kgfm(109kgfm)/---rpm(6000rpm)
-駆動形式:MR
-全長:4700mm
-全幅:1980mm
-全高:1050mm
-車両重量:893kg
-重量バランス:49対51
-価格:Cr.515,654,400(走行距離7232km)
-Lv:23
-PP:721(728)
-備考:トランスミッションは5速
-備考:()内の数値はリフレッシュ・OHした際のもの
----
#ref(ザウバーメルセデスC9 フロント.jpg,nolink)
#ref(ザウバー後ろ.jpg,nolink)
//-解説
&color(red,white){写真はGT6のものです。GT5ではスタンダードカーです。};
----
#ref(SAUBER-C9-89-1.jpg,nolink)
#ref(SAUBER-C9-89-2.jpg,nolink)
ウィキメディア財団は、オプト・インの画像各自遮蔽機能
の開発と使用に対する情報を集めるため、利用者投票を行っています。
詳細をご覧になり、見解をご提供ください。[翻訳にご協力ください!]
ザウバー・C9出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
メルセデスベンツ・ミュージアムにて
1988年 シルバーストン1000kmザウバー・C9は1987年、スイスのペーター・ザウバー率いるザウバーチームにより、グループC規定により作成されたレーシングマシン。前年型のC8の発展型である。
-93年から現在までF1コンストラクターとして活躍しているザウバーが、F1以前に参戦していたWSPCにおいて、メルセデスと共に製作・使用したグループCカー。
--ちなみにザウバーのレーシングカーは初代から現在のF1に至るまで一貫して((2006-09年のBMW・ザウバー時代を除く))C○○という名称を使っているが、これはチームオーナーであるペーター・ザウバー氏の愛妻クリスティーヌ氏のイニシャルより取られている。
目次 [非表示]
1 概要
2 プライベート参戦
3 ワークス宣言
4 シルバーアローの復活
概要 [編集]メルセデス製5L V8 ツインターボM117を1988年まで搭載し、1989年からはアルミヘッド化されたM119が搭載され、他のグループCカーと異なり重低音のサウンドを轟かせ、大排気量・低ブーストで走らせていた。1989年の世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)のチャンピオンマシンとなった。
-メルセデスとのパートナーシップは85年に始まり、C8と呼ばれるマシンで85年、翌86年を戦った。本マシンはその発展型で、87年のWSPCシリーズ第4戦・シルバーストンでデビューした。
--C8は、ザウバーがBMWとパートナーシップを結んでいた時期に製作されたC7と基本構造は同一で、エンジンだけをメルセデス製に換装。
1955年以来のメルセデス復活という意味で記念碑的なマシンであった。
プライベート参戦 [編集]ザウバーが初めてメルセデスエンジンを搭載するグループCを製作したのは1985年のC8である。当初は、プライベートで参戦するザウバーチームがシャシー製造、メルセデスがエンジン供給・技術支援を行うという形での参戦であった。それまで1955年のル・マン24時間レースで起こした大事故によりモータースポーツから遠ざかっていたメルセデスを再び呼び戻したのは、ペーター・ザウバーに他ならないものと言える。プライベート参戦であったこともあり、メインスポンサーとして1986〜87年については、クーロス(KOUROS)が付いた。
-89年のLM24では61・62・63号車の3台体制で参加し、収録の63号車が見事優勝。ザウバーチーム史上初、メルセデスにとっては37年ぶりのLM24制覇であった。
--ちなみに予選は61号車が2位、62号車が1位、そして63号車が11位を獲得し、決勝は上記の63号車が61号車との1-2フィニッシュを決め、62号車が5位で完走した。
--61号車はレース中に400km/hを記録し、今後絶対に破られないであろう記録として残った。
--優勝ドライバーの1人であるスタンレー・ディケンズはエンジンは強力、ハンドリングは高速コーナーでは良いが低速コーナーで神経質。乗り心地は振動が多く、そのためチームはマッサージ師を用意して、マシンを降りるたびにマッサージを受けていたと語っている。
ワークス宣言 [編集]1988年、メルセデスベンツは公式にモータースポーツ活動再開を宣言する。チーム名も「チーム・ザウバー」から「チーム・ザウバーメルセデス」となった。同じドイツ系のエレクトロニクスメーカー・AEGが新スポンサーに付き、エレクトロニクスメーカーらしいICチップをモチーフとしたカラーリングとなった。WSPC開幕戦ヘレス(スペイン)でいきなり勝利を上げ、以降ジャガー・XJR-9と激しくシリーズを争うことになる。しかし第5戦ル・マンでは予選中にミシュランタイヤが原因不明のバースト、安全性を重視し決勝レースは撤退する。ル・マン以降も参戦を継続し、第10戦富士でザウバーメルセデスとしては初来日する。この年は全11戦中5勝を上げシリーズ2位となった。
-同年のWSPCにおいても、全8戦中7戦で優勝、チーム・ドライバー(ジャン=ルイ・シュレッサー)のダブルタイトル獲得という快挙を成し遂げた。
シルバーアローの復活 [編集]1989年、ザウバー・メルセデスは、それまでのスポンサーカラーからメルセデス伝統のシルバーカラーへと改められ、ドイツのレースマシンの代名詞ともいうべき、シルバーアローが復活することとなった。シルバーアロー初レースのWSPC開幕戦鈴鹿では1-2フィニッシュの完勝を遂げる。この年WSPCシリーズからは外れたが、世界3大レースのひとつでもある、ル・マン24時間にも優勝した。メルセデスにとっては37年ぶりのル・マン制覇となった。WSPCでは8戦中7勝と圧倒的な力を見せシリーズを制覇する。
-翌年のWSPCは後継車両のC11にスイッチしたが、開幕戦鈴鹿のみ2号車をC9が務めた。
--しかしその開幕戦、本命の1号車であるC11が予選でクラッシュしたために結局2台ともC9で出場することになった。急な出場の為に代理の1号車はグリッドでのガソリン漏れでピットスタートになる等完走さえも危ぶまれたが、終わってみれば1号車の優勝で見事1-2フィニッシュ。これが引退レースとなり、有終の美を飾った。
「ザウバー・C9」は、自動車に関連した書きかけ項目です。
この記事を加筆・訂正下さる協力者を求めています(自動車ポータル/自動車PJ/乗用車PJ)。
-メルセデスの代名詞でもあり、本マシンのカラーリングでもある『シルバーアロー』であるが、マシンの塗装は85年から88年まではスポンサーカラー(イブ・サンローラン傘下のブランドである"クーロス"カラーを纏った他、AEGが精密機械関連の会社ということで、IDチップを模したカラーリングを纏ったことも)であり、シルバーアローの復活は89年まで待つことになった。
[隠す]表・話・編・歴 ザウバー
創設者 ペーター・ザウバー
チーム関係者 モニシャ・カルテンボーン | ジェームス・キー
元チーム関係者 ジャッキー・エッケラート | マックス・ウェルティ | 後藤治 | ウィリー・ランプ
現在のF1ドライバー 小林可夢偉 | セルジオ・ペレス | エステバン・グティエレス
主な過去のF1ドライバー カール・ベンドリンガー | J.J.レート | ハインツ=ハラルド・フレンツェン | アンドレア・デ・チェザリス | ジャン=クリストフ・ブイヨン | ジョニー・ハーバート | ニコラ・ラリーニ | ジャンニ・モルビデリ | ノルベルト・フォンタナ | ジャン・アレジ | ペドロ・ディニス | ミカ・サロ | キミ・ライコネン | フェリペ・マッサ | ジャンカルロ・フィジケラ | ジャック・ヴィルヌーヴ | ペドロ・デ・ラ・ロサ | ニック・ハイドフェルド
F1マシン C12 | C13 | C14 | C15 | C16 | C17 | C18 | C19 | C20 | C21 | C22 | C23 | C24 | C29 | C30
主なスポンサー クラーロ | テルメックス | ディセンサ | NEC | ホセ・クエルボ | インタープロテクション
| サーチナ | エミール・フレイ | マッドクロック
主なスポーツカードライバー ジャン=ルイ・シュレッサー | マウロ・バルディ | ヨッヘン・マス | カール・ベンドリンガー | ミハエル・シューマッハ | ハインツ=ハラルド・フレンツェン
スポーツカー C1 | C2 | C3 | C4 | C5 | C6 | C7 | C8 | C9 | C11 | C291 | C292
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%A6%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BBC9」より作成
カテゴリ: プロトタイプレーシングカー | メルセデス・ベンツの車種
隠しカテゴリ: 自動車関連のスタブ項目
個人用ツールログインまたはアカウント作成 名前空間ページ ノート 変種表示閲覧 編集 履歴表示 操作検索 //-解説
-『ザウバー』の名が冠された最後のグループCマシンであり、翌'90年からはザウバーの名が外れ、名実ともにメルセデスワークスとなる。
ただ、チーム運営は引き続きザウバー氏が行っており、それは車両に掲げられたCのイニシャルからも明白である。
--両者はグループC終焉後ともにF1への道を歩むこととなる。
----