• 追加された行はこの色です。
  • 削除された行はこの色です。
-総排気量:491x2cc
-最高出力:110ps(116ps)/7000rpm(7000rpm)
-最大トルク:13.30kgfm(13kgfm)/3500rpm(3500rpm)
-駆動形式:FR
-全長:4140mm
-全幅:1595mm
-全高:1165mm
-車両重量:940kg
-価格:Cr.7,333,000(走行距離1811km)
-Lv:0
-PP:342(348)
-備考:()内の数値はリフレッシュ・OHした際のもの
----
#ref(Mazda Cosmo Sport (L10A) 67.jpg,nolink)
#ref(Mazda Cosmo Sport (L10A) 67-2.jpg,nolink)
----

-コスモスポーツは、1967年5月に2シータークーペモデルとして発売された。世界初の実用・量産ロータ搭リーエンジンの搭載車であった。
-世界初のロータリーエンジン載車は旧NSUヴァンケル社(現・アウディ)のスパイダーである。そこに搭載されたロータリーエンジンは、ロータリーエンジン特有の多くの課題が未解決まま量産されており、いわば「見切り発売」であった。
-また、このロータリーエンジンは、単一ローターのエンジンであった。これらに対し、コスモスポーツに搭載された10A型エンジンは、それらの課題を克服して量産に耐えうるものであった。このため10A型エンジンは、世界初の実用・量産ロータリーエンジンである。また、10A型エンジンは、多気筒ロータリーエンジンとしても世界初であった。
-ロータリーエンジンの特性は、それまで各種のロータリーピストンエンジン理論において証明されていた。しかし、100年以上の理論的蓄積にもかかわらずロータリーエンジンは量産されるには至っていなかった。このため、10A型エンジンの搭載車であるコスモスポーツは、ロータリーエンジンを量産車のエンジンとして最初に搭載した記念すべきスポーツカーといえる。
-1968年8月には、東洋工業は、mazda110Sの名でコスモスポーツを擁してニュルブルクリンクで行われた84時間耐久レース「マラトン・デ・ラ・ルート」に挑戦した。このレースは、生産車のスピードと耐久性が競われる文字通りのマラソンレースで、ポルシェ・ランチア・BMW・SAAB・オペル・シムカ・ダットサンなどと激戦を展開した。結果は、完走を果たすのみならずポルシェ・ランチアに次ぐ総合4位(順位は84時間後の走行距離で決められる)入賞となった。参加59台中、完走はわずか26台であった。
-コスモスポーツに搭載された10A型エンジンは、それ以降ファミリアロータリークーペ、サバンナRX-3などに搭載された。10A型エンジンは5枚のハウジング構成から出来ており、開発目的がスポーツカーである為、エンジンは0813 13 101cの2台のローターハウジング迄含み全て総アルミニウム合金であった。コスモスポーツ以後の量産モデルでは、サイドハウジング(F・インターミディエイト・R)が鋳鉄に変更されている。コスモスポーツの10A型エンジンは炭素鋼が溶射されており高価かつ手の込んだものであるのに対し、10A型エンジンより後のエンジンでは、特殊鋳鉄を高周波焼入れ加工したものが採用され、量産化・低コスト化が図られている。また、加工法もコスモスポーツの砂型鋳造に対し金型鋳造とされ、大量生産された。
-コスモスポーツは、前期型(L10A型)が1967年に343台販売されたのを皮切りに、1972年までに後期型(L10B型)の最終販売車までの累計で1176台が販売された。コスモスポーツは後進のロータリーエンジン搭載車の礎となったモデルである。1975年のコスモAPの登場まで、後期型(L10B型)の販売終了によって一旦コスモの名が途絶えることとなった。
-市販までに、テストは各地のディーラーに委託されたコスモスポーツ60台により、1年の期間を費やして実施され、その間、試作車による10万kmに及ぶ連続耐久テストを含み、総距離300万kmにも達する走行テストが行われた。
-コスモスポーツの前期型L10Aには、10A型ロータリーエンジン(491cc×2)が搭載された。9.4の高圧縮比とツインプラグによって110ps/7000rpm・13.3kg/3500rpmを発生した。車重は940kgと比較的軽量であった。サスペンションは、フロントがウィッシュボーン・コイルの独立懸架、リアにはバネ下重量の軽減に効果的なド・ディオン式のリーフスプリングサスペンションが設定された。ステアリングにはクイックなラック&ピニオン形式を採用している。トランスミッションは4速フルシンクロで、ブレーキは前輪がダンロップ型ディスク、後輪はアルフィン・ドラムであった。なお油圧系統は前後独立のタンデム式となっており、どちらかが故障した場合に備えた安全性の高いものとなっていた。ロータリーエンジンは極力低く、そして後方に配され、のちのマツダのアイデンティティーともなるフロント・ミッドシップの発想が既に生かされていた。重量物であるバッテリーも前期型ではトランクに、後期型では室内の助手席後部に箱で蓋があり、回すツマミ式の開閉のタイプだった。
-ロータリーエンジン搭載用に専セミモノコック方式用設計されたボディはであった。ボディは開口部以外には継ぎ目がなく、ハンドメイドのスペシャルカー然としていた。全ての開口部は来たるべき高速時代を見越して、車両進行方向に対し後ろ開きとされた。デザインにあたっては革新的なロータリーエンジンにふさわしい、大胆かつ斬新なスタイルが望まれた。当時の社長である松田恒次から「売り出すつもりのないイメージカーだ」といわれたからこそ、この思い切ったスタイリングが生まれたともいわれる。全高は1165mmと低かった。
-「軽量コンパクトなロータリーエンジンでなければ成しえないデザインを」という、学芸大卒業のマツダ初のデザイナー小林平治の意図はその低さに結実し、伸びやかなリア・オーバーハング、ボディー中央を走るプレスラインとあいまって、コスモスポーツの未来的なイメージをさらに強調している。ボンネット・フードの小ささ、低さはロータリーエンジンの小ささを暗示する。また、バンパーを境に上下に分けたテールライトも特徴的である。
-アルミニウムのダッシュパネルは黒で統一艶消し塗装で、無反射ガラスの7連メーター(時計・燃料計・電流計・速度計・回転計・油温計・水温計の順)が整然と並ぶ。フルパッド室内は体の通気性を考慮してあたる部分のみを白と黒の千鳥格子柄のウールを使用している。前期型L10Aにはヘッドレストがない。前後に調節可能な3本スポークのウッドステアリング(一部、1970年〜1971年車:ナルディ社製Φ380ステアリング)が標準となっている。車内は真っ赤な絨毯で、シフトノブは自然に手を下ろした位置で操作できるショートストロークとなっている。クラリオン製オートラジオ、トグルスイッチの上下に作動させるタイプのセミオート・アンテナ、メーター照度調整、ホーン音質切替え(市街地用・高速用)、2スピードワイパー(途中で切っても自動的に原点復帰するタイプ。高速時の浮き上がりを防止するフィンも付いていた)、さらにマップ・足元(ドア開閉連動)・グローブボックス・トランクの各ライトなども標準で装備されていた。ドアは二段チェッカーであり、スマートに乗り降りできるように考えられていた。座席の後ろには手荷物を置くためのスペースが設けられ、固定用ベルトも装備されていた。リアガラスには非常に曲率の大きなものが用いられ、室内の開放感を高めた(現行RX-8およびRX-7のリアガラスは、このオマージュとされる)。助手席側サンバイザー裏面には鏡、足元にはフットレスト、前方のグローブボックス脇にはアシストグリップも装備された。
-価格は148万円で、同じような性格の車で比較すると117クーペの172万円ほどではないが、フェアレディ2000の88万円、スカイライン2000GT-Bの94万円と比べるとはるかに高価で、スポーツカーというより二人の乗員のための高級グランドツーリングスポーツの趣きであった。
-ロータリーエンジンの走りは、レシプロエンジンとはまさに異次元的な感覚をもたらした。当時、ほとんどのレシプロエンジン搭載の国産車は4000rpmを過ぎたあたりから騒音・振動がひどくなり、100km/hを超える高速走行では会話すら困難となり、怒鳴りあうようにしなければならぬこともままあった。しかし、ロータリーエンジンはレッドゾーンの7000rpmまで静粛かつスムーズに吹けあがった。
-カーグラフィック誌のテストによると、

    コスモスポーツ (L10A):8.3km/L(試験距離:公道998km、サーキット108km)
    カペラロータリークーペGS:7.07km/L(試験距離:4300.6km)
    サバンナRX-7リミテッド (SA22C):7.68km/L(試験距離:1555km)
    [[サバンナRX-7 GT-X (FC3S):5.0km/L(試験距離:1007km)
    アンフィニRX-7 type R (FD3S):5.2km/L(試験距離:970km)

各年代の道路事情・テスト条件の相違などから一概に結論付けられないが、以上の車の中で燃費性能でトップの値を記録している。



    ホーム 一覧 単語検索 最終更新 バックアップ   ヘルプ   最終更新のRSS