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-総排気量:6064cc
-最高出力:636ps/7400rpm
-最大トルク:66.40kgfm/5600rpm
-駆動形式:MR
-全長:4288mm
-全幅:1820mm
-全高:1140mm
-車両重量:1140kg
-重量バランス:46対54
-価格:Cr.100,000,000
-Lv:17
-PP:611
-備考:トランスミッションは6速
-備考:[[空力ブレーキシステム搭載>車両の特徴一覧#h5cb1196]]
-備考:ダート走行不可
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-↓エアブレーキシステム:高速走行からのブレーキング時に作動する

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-[[ブガッティ ヴェイロン>ブガッティ ヴェイロン 16.4 '09]]が登場するまでの長い期間、全ての車の頂点に立ち続けた伝説とも言えるマシン。
尚、ヴェイロン登場まで「世界で最も出力の高い自動車」としてギネスブックに登録されていた。
価格は当時としては超高額の約1億円だが、それでも赤字だったという。現在ではプレミアにより約3億円以上の値が付いている。

-[[ヴェイロン>ブガッティ ヴェイロン 16.4 '09]]が登場するまでの長い期間、全ての車の頂点に立ち続けた伝説とも言えるマシン。本作でも市販車最強クラスの性能を持っている。
--尚、ヴェイロン登場まで"世界で最も出力の高い車"としてギネスブックに登録されていた。
-フロント3シーターという変則的な3人乗りだが、これはドライバーを中心に位置する事で、重量バランスの最適化を図ったためである。
エンジンベイを放熱効率の良さを求めて一面を金で覆う、ワイパーフィンにカーボンを採用する等一切の妥協も図られ無かった事が伺える。

-販売当初は約1億円だったが今では約3億円以上の価格がついている。
-車体下部にサクションファンを搭載しているファンカーであるが、サイズの小ささ故に強力なダウンフォースはなく、効果は整流程度である。
また、ダウンフォースを生み出すと同時にエンジンを冷却する効果も持つ。

-変則的な3人乗りだが、ドライバーが真ん中に位置することで重量バランスの最適化を図る為であり、エンジンベイを放熱効率の良さを求めて一面を金で覆う、ワイパーフィンにカーボンを採用するなど一切の妥協も図られ無かったことが伺える。
-速さと同時に快適性も確実に両立し、今までのスーパーカー・スポーツカーの概念を大きく塗り替え、後のマシンに多大なる影響を与えた。
特に運転のしやすさはスーパーカーとは思えないほど優れている。66.3kgfm以上のトルクを4000rpmから7000rpmの全域で発生させるトルクフルなエンジン。
軽い踏力で特別意識しなくても扱えるクラッチ。シフトフィーリングに優れ扱いやすいトランスミッション。
横幅1820mmという扱いやすい車体サイズ。ドライバビリティに優れた点を挙げればきりがない。
6.1Lという排気量と可変バルブタイミング機構のおかげでアイドリング時でもトルクは必要十分で発進も容易。
6速に放り込めば2000rpmで100km/h巡航ができ、高級セダンよりも穏やかに運転できてしまう。
シフトダウンしスロットルを踏み込めばF1でのみ許された世界を体験できる。レスポンスも抜群で、全開走行は自制心との戦いとまで言われた。
しかし、ABS等の一般的な電子制御機器はほぼ未搭載であり、技術の低いドライバーでは乗りこなせない、というレースカー的側面も持っている。

-車体下部にサクションファンを搭載しているファンカーであるが、サイズの小ささ故に強力なダウンフォースはなく、効果は整流程度である。また、ダウンフォースを生み出すと同時にエンジンを冷却する効果も持つ。
-尚、設計者のマーレイ氏によると、当初はホンダにエンジン供給を依頼していた模様。
しかし[[初代NSX>ホンダ NSX '90]]により赤字を出していたホンダ側の固辞により実現せず、その後、いすゞ自動車と交渉をするも決裂。結果、市販予定であったものの、お蔵入りしてしまったBMW M8に搭載予定であったBMW製V12エンジンに落ち着いた、という経緯がある。
88年〜92年のF1グランプリにおいて、エンジンサプライヤーとしてホンダはアイルトン・セナを通じてマクラーレンと親密な関係にあった。
また、マーレイ氏がF1の開発に際してNSXを所有し、快適性を備えたスーパーカーの指標としていた事も無関係ではないと思われる。

-速さと同時に快適性も確実に両立し、今までのスーパーカー・スポーツカーの概念を大きく塗り替え、後のマシンに多大なる影響を与えた。&br;しかし、ABSやTCSなど一般的な電子制御機器はほとんど搭載されていないため、技術の低いドライバーでは乗りこなせない、というレーシングカー的側面も持っている。
-丁度マクラーレンF1が登場した頃、当時のGTレース界はプロトタイプから市販GT車に回帰していた時期でもあった。
そのハイスペック及び出自からサーキットでの活躍を期待されたマクラーレンF1は周囲の期待通りに95年の国際格式のレースシリーズである「BPR GT選手権」に現れ、いきなりの快走を見せると同年のル・マンにも現れた。
近年希に見る荒天に見舞われたル・マンで見事本車はデビューウィンを達成、その優勝クルーの一人関谷正徳はル・マン日本人初優勝者となった。

-尚、この車を設計したゴードン・マーレイ氏によれば当初はホンダにエンジン供給を依頼していた模様。ホンダ側の固辞により実現せず、BMW製のV12ユニット(お蔵入りとなったBMW・8シリーズ(未収録)の"M仕様"用に用意されていた物)に落ち着いた、という経緯がある。
--1988年〜92年のF1グランプリにおいて、エンジンサプライヤーとしてホンダはアイルトン・セナを通じてマクラーレンと非常に親密な関係にあった。&br;また、ゴードン・マーレイ氏がF1の開発に際して[[NSX>ホンダ NSX '90]]を所有し、快適性を備えたスーパーカーの指標としていたことも無関係ではないと思われる。
-このレースを境にGTレース界は一気呵成に盛り上がり、ポルシェ 911 GT1、メルセデス CLK-GTR、[[日産 R390 GT1>日産 R390 GT1 レースカー '98]]といった化け物級GTカーが誕生する契機にもなった。
その波は当時GTレース界からは身を離していたフェラーリさえもF50のレーシングモデルを開発するに至っている((しかし、どう足掻いてもマクラーレンを上回ることができないと悟ると一転して開発を凍結))。その後のロードユースをメインにした車両もマクラーレンを意識した(ペダル等の軽い操作性を追及した)車両開発を始めて、これらの一連の流れが"マクラーレンF1ショック"と表現されるほど、本車は影響力が強かったのである。
尤も、デザイナーであるマーレイ氏は当初からマクラーレンF1をサーキット車としてはいない。
'95年のル・マンも信頼性に問題があるから(ギアボックスが保たないと言われていた。実際には荒天でスローペースなレース展開が優勝をもたらしたとされる)という理由で走らせたく無かった模様。
#hr
-余談
-この車で"グランツーリスモ・ラリー"に参加した際(パワーリミッターを使えば中級ターマックに出場可能)、''助手席にナビゲーターがいないのにどこからかナビの音声がする''。

-丁度マクラーレンF1が登場した頃、当時のGTレース界はプロトタイプから市販GT車に回帰していた時期でもあり、そのハイスペック及び出自からサーキットでの活躍を期待されたマクラーレンF1は周囲の期待通りに1995年の国際格式のレースシリーズである"BPR・GT選手権((後のFIA-GT選手権))"に現れ、いきなりの快走を見せると同年のル・マンにも現れた。近年希に見る荒天に見舞われたル・マンで見事マクラーレンF1はデビューウィンを達成(その優勝クルーの一人はル・マン日本人初優勝となった関谷正徳氏)している。
その時のレースカーは収録されていないが、[[ステルスモデル>マクラーレン マクラーレン F1 ステルスモデル]]が当時のレースカーに良く似ている(そのものではない)。
--このレースを境にGTレース界は一気呵成に盛り上がり、ポルシェ911GT1、メルセデスベンツCLK-GTR、[[日産R390GT-1>日産 R390 GT1 レースカー '98]]といった化け物級GTカーが誕生する契機にもなった。その波は当時GTレース界からは身を離していたフェラーリさえもF50を開発するに至っている。俗にこの一連の流れを"マクラーレンF1ショック"と表現される事がある。それまでに影響力の強い車なのである。
---尤も、デザイナーであるマーレイ氏は当初からマクラーレンF1をサーキット車としてはいない。'95年のル・マンも信頼性に問題があるから(ギヤボックスが保たない、と言われていた。実際には荒天でスローペースなレース展開が優勝をもたらせた、とされる)走らせたく無かった模様。
-本車の空力ブレーキシステムは、本来なら高速時に少しだけリフトアップし、ブレーキング時にはフル展開するという仕組みになっているのだが、本作では高速時のリフトアップは再現されていない。

-大の自動車好きとして知られるローワン・アトキンソン(Mr.ビーンのビーン役などで有名)もこのクルマを所有しており、2度事故を起こして(一度目は追突、二度目は自損事故)大破させた。
--一度目は小破程度だったらしいが、''全身カーボン製''というこの車の性質上修理費用は高額で、ほぼ新車購入額並の代金を請求されたというのは有名な逸話。
--ローワン・アトキンソンの現在のマクラーレンF1は16台目である。
#hr
-余談。この車には他に別の仕様があり、ひとつがル・マン用にロングノーズ・ロングテール、ワイドボディを纏った"[[F1-GTR>BMW マクラーレン F1 GTR レースカー '97]]"、もうひとつがル・マン優勝記念車の"F1-LM"。
このうち後者のF1-LMは2008年F1王者ルイス・ハミルトンの憧れの車として有名。ロン・デニス元代表は「ワールドチャンピオンに3回なったらプレゼントする」という約束をしていた・・・が、ハミルトンがマクラーレンを離れた今、この約束がどうなっているかは不明。
-派生モデルの解説
-本車には幾つかの仕様があり、1つがル・マン用にワイド/ロングボディを纏った[[F1-GTR>BMW マクラーレン F1 GTR レースカー '97]]、もう1つがル・マン優勝記念車のF1-LM。
このうち後者は4度のF1王者ルイス・ハミルトンの憧れの車として有名。ロン・デニス元代表は「ワールドチャンピオンに3回なったらプレゼントする」という話をしており、その言葉通り、ワールドチャンピオンを3回達成したが、ロン・デニスが代表を退任しハミルトンがマクラーレンを離れた今、この約束がどうなっているかは不明。
また、XP3、XP4、XP5やGT、LMXP1、High Downforce Packageなどの仕様もある。
-ちなみに、この車にはMcLaren F1 Mercedes-Benz V12 Prototypeというマニアックなプロトタイプもあった。
-大の自動車好きとして知られるローワン・アトキンソン(Mr.ビーンのビーン役などで有名)もこのクルマを所有しており、2度事故を起こして(一度目は追突、二度目は自損事故)大破させた。

-小ネタ。この車で"グランツーリスモ・ラリー"に参加した際(パワーリミッターを使えば中級ターマックに出場可能)、''助手席にナビゲーターがいないのにどこからかナビの音声がする''。
-日本のJGTCにも1996年にチーム郷からラーク・マクラーレンが投入され、圧倒的な速さでシーズンを席巻したが、外国車潰し(というかマクラーレン潰し)とも言われかねないえげつないレギュレーションの改変が決まり、チーム郷は怒りを表し暮れのオールスター戦をボイコットするなどの騒動になった。
その後、チームTAKE ONEやヒトツヤマレーシングよりエントリーしていた車両が長らく参戦していたが、善戦こそしたものの、年々進化度合を増し純レーシングカー化が進むGT500クラスにおいて、国内三大ワークスを切り崩すには至らなかった。
-2001年のJGTC最終戦MINEラウンドにてSOKマクラーレンGTRが果たした優勝が、GT500クラスで最後に外国車が優勝したレースにしてマクラーレンF1GTR最後の優勝となった。
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-カラーバリエーション:Jet Black Metallic,Carbon Black,XP Dark Green Metallic,Marlboro White,Base Silver,Magnesium Silver,Mercedes Brilliant Silver,Platinum Silver,Historic Orange



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