• 追加された行はこの色です。
  • 削除された行はこの色です。
-総排気量:---cc
-最高出力:500ps/6500rpm
-最大トルク:60.00kgfm/5000rpm
-最高出力:500ps(525ps)/6500rpm(6500rpm)
-最大トルク:60.00kgfm(65kgfm)/5000rpm(5000rpm)
-駆動形式:MR
-全長:4293mm
-全幅:1778mm
-全高:1016mm
-車両重量:998kg
-価格:1,958,010,000(走行距離4199km)
-重量バランス:43対57
-価格:Cr.1,958,010,000(走行距離4199km)
-Lv:17
-PP:574
-PP:574(581)
-プレゼントカー入手:[[B-Lv.28 インディ500マイル>Bスペック Endurance Series#qf78df51]]をクリア
-備考:トランスミッションは5速
-備考:()内の数値はリフレッシュ・OHした際のもの
----
#ref(GT40前.jpg,nolink)
#ref(GT40後ろ.jpg,nolink)

-フォードが耐久レース用に開発したレーシングマシン。正式名称は「''フォードGT マークI''」。GT40というのはこのマシンの車高が40インチ(≒1メートル)しかないことに驚いた人々が非公式に付けた「あだ名」のようなものである。
-シャーシ開発はイギリスの中堅ワークス、ローラ社との提携で行われ、搭載するエンジンはアメ車の魂であるフォード社製OHV・V8エンジンが選ばれた([[マスタング>フォード マスタング マック 1 '71]]と同様のものである)。
-マーク1はアメリカ車初のル・マン24時間耐久レース優勝というフォードの悲願を背負って1964・65年のル・マンに出走したものの、結果は両年とも全車リタイヤという空しいものに終わった。フォードはマーク1によるル・マン制覇を諦め、翌年からはエンジン排気量を拡大した改良型のマーク2を投入した。
-しかし1968年、そんなマーク1に転機が訪れる。1966年の伝説的なマーク2の1-2-3フィニッシュとその翌年の[[マーク4>フォード Mark IV レースカー '67]]優勝を受け、あまりにも強すぎるフォードを食い止めようとル・マンのレース運営側がエンジン関係のレギュレーションを変更し、排気量に物を言わせて戦っていたマーク2とマーク4はレースの出場自体が不可能となってしまった。そこでプライベーター・チームのJWオートモーティブエンジニアリングは、1967年のル・マンに投入したマーク1の独自改良型「ミラージュM1」をレギュレーションに合致する元のマーク1へと再度改造して1968年のル・マン24時間レースに参戦。ワークス体制のポルシェ、アルピーヌ、アルファ・ロメオなどのマシンを退け、見事6号車のマーク1が優勝をもぎ取った。
-さらにJWオートモーティブエンジニアリングは翌年1969年にも続けてマーク1の2台体制で参加し、序盤に発生した多重アクシデントにも関らず昨年度と同じ6号車が優勝。このシャシーナンバーP1075のマーク1はル・マン24時間2連続優勝という戦績を称えられ「栄光のフォードGT40」と呼ばれた。
-なお、この特徴的なカラーリングは、フォードGTを運用していたプライベーターチームのJWオートモーティブエンジニアリングが、ル・マン参戦時に使用した「ガルフカラー」と呼ばれる有名なものである。
#ref(GT40RaceCar69-1.jpg,nolink)
#ref(GT40RaceCar69-2.jpg,nolink)

-GT5に収録されているのはまさにそのシャシーナンバーP1075のフォードGTである。ちなみにGT3ではロードカー版の「フォードGT マーク3」も収録されていたが、[[TS020>トヨタ GT-ONE レースカー (TS020) '99]]ロードカーと共にGT4で姿を消してしまった。理由は未だに分からないが、両方とも貴重なクルマのため、再現に必要なデータを十分に集められなかったからではないかと思われる。
-フォードが耐久レース用に開発したレーシングカー。正式名称は「''フォードGT マークI''」。GT40というのはこのマシンの車高が40インチ(≒1メートル)であることに驚愕した人々が付けた渾名である。

-シャーシ開発はイギリスの中堅ワークス、ローラ社との提携で行われ、搭載するエンジンはアメ車の魂ともいえるフォード社製OHV・V8エンジンが選ばれた([[マスタング>フォード マスタング マック 1 '71]]と同様のものである)。

-マーク1はアメリカ車初のル・マン24時間レース優勝というフォードの悲願を背負って1964年のル・マンに出走したが、結果は両年とも全車リタイヤという空しいものに終わった。フォードはマーク1によるル・マン制覇を諦め、翌年からはエンジン排気量の拡大などを施した改良型のマーク2を投入した。このマーク2は翌1966年、伝説的な1-2-3フィニッシュという偉業を達成することとなり、さらに1967年には、マーク2と同型のエンジンを搭載した[[マーク4>フォード Mark IV レースカー '67]]は、ル・マン初の「オール・アメリカン」チーム優勝を現実のものとした。

-しかし1968年、FIAは当時のル・マン24時間レース参戦車両のレギュレーションのうち、トップカテゴリーとも言えたグループ6プロトタイプカー規定に大幅な改定を断行した。その内容はこれまで無制限であったエンジン排気量を当時のF1規定と同じ3.0リットルにまで制限する(公道走行可能なモデルを50台、12か月にわたって生産した場合のみ4.0リットルまで排気量の拡大が許されていた)という厳しいもので、この改正によって7.0リットルのシボレー製V8エンジンを搭載していた[[シャパラル2D>シャパラル 2D レースカー '67]]・2Fや、ストリート仕様の車両を生産していなかった[[フェラーリ330 P4>フェラーリ 330 P4 レースカー '67]]など、数多くのマシンがこの1968年を境に姿を消した。

-改正以前のグループ6規定に基づいて設計され、7リットル近い大排気量に物を言わせて戦っていたマーク2とマーク4も当然のことながらこの大幅な改定の影響を受け、レースの出場自体を阻止されてしまう。フォードはこれ以降ル・マンでのワークス活動を断念することとなった。

-そこでプライベーター・チームのJWオートモーティブエンジニアリングは、1967年のル・マンに投入したマーク1の独自改良型「ミラージュM1」をレギュレーションに合致する元のマーク1へと再度改造を施し、グループ6より一つ格下のクラスであるグループ4スポーツカー規定車両として1968年のル・マン24時間レースに参戦した。フォードGT40はこの年から投入された新グループ6規定のポルシェ908、アルピーヌ220Aなどのマシンを相手にレースを戦い、見事9号車のシャシーナンバーP1075マーク1が優勝をもぎ取った。

-さらにJWオートモーティブエンジニアリングは翌年1969年にも続けてマーク1の2台体制で参加し、序盤に発生した多重アクシデントにも関わらず昨年度と同じシャシーナンバーP1075(6号車)が優勝する。このシャシーナンバーP1075のマーク1はル・マン24時間2連続優勝という戦績を称えられ「栄光のフォードGT40」と呼ばれた。

-GT5に収録されているのはまさにそのシャシーナンバーP1075のフォードGTである。ちなみにGT3ではロードカー(公道生産仕様のマーク3ではない)も収録されていたが、[[TS020>トヨタ GT-ONE レースカー (TS020) '99]]ロードカーと共にGT4で姿を消してしまった。理由は未だに分からないが、双方とも貴重なクルマのため、再現に必要なデータを十分に集められなかったからではないかと思われる。

-このカラーリングはフォードGTを運用していたプライベーターチームのJWオートモーティブエンジニアリングがル・マン参戦時に使用したもので、スポンサーロゴの名称から「ガルフカラー」と呼ばれている。
#hr
-余談だが、このクルマはスタンダードカーの中で一番高額なクルマである。
ホットカーディーラーでは[[XJ13>ジャガー XJ13 レースカー '66]]や[[X2010>グランツーリスモ Red Bull X2010]]などと同様に、20億Cr.で売られていた。

-余談だが、GT3まではフロントにもガルフロゴが貼ってあるなどの相違点がある。
----



    ホーム 一覧 単語検索 最終更新 バックアップ   ヘルプ   最終更新のRSS