• 総排気量:2936cc
  • 最高出力:485ps/7000rpm
  • 最大トルク:58.80kgfm/4000rpm
  • 駆動形式:MR
  • 全長:4430mm
  • 全幅:1981mm
  • 全高:1130mm
  • 車両重量:1100kg
  • 車両重量:1100kg(1352kg)/Ver.1.05?→---kg(1352kg)
  • 重量バランス:50対50*1
  • 価格:Cr.45,000,000
  • Lv:11
  • PP:527
  • PP:520
  • プレゼントカー入手:B-Lv.14 ラ・フェスタ・キャバリーノをクリア
  • 備考:トランスミッションは5速
  • 備考:エアロパーツ装着不可
  • 備考:ダート走行不可

F40前.jpg
Ferrari-F40-1.jpg
アールヴァイラー 小路.jpg
  • F40は、フェラーリ創立40周年を記念して1987年に製作されたフラッグシップカーである。
    本モデルは、フェラーリのクルマ作りにおける基本理念である「そのままレースに出られる市販車」そのものであり、歴代フェラーリ生産車の中でも根強い人気を誇る車種のひとつである。

    また、フェラーリの創始者であるエンツォ・フェラーリが存命中、最後に携わった車種としても知られている。
  • 創立40周年を記念して1987年に製作され、且つ創始者エンツォ・フェラーリ氏が存命中に最後に携わったスーパーカー。
    「そのままレースに出られる市販車」という車作りの基本理念を具現化した、歴代フェラーリ生産車の中でも高い人気を誇る車種である。

    派生車としては「コンペティツィオーネ」「LM」「valeo」「LM Barchetta」等が存在する。
  • ミッドシップに搭載されたV8ツインターボエンジンは「288GTO」及び改良型の「288GTOエボルツィオーネ」から引き継がれたエンジンであったが、最高出力は485psにまで高められ、レーシングカーさながらのスペースフレーム方式の軽量な車体が支えていた。
    その出力特性はいわゆるドッカンターボのそれで、パワーバンドに入ると同時に急激に立ち上がる強大なパワーには、F1ドライバーにさえ、「雨の日には絶対に乗りたくない」と言わしめたという逸話が残っている。

    なお、この言葉を残したのは、当時スクーデリア・フェラーリF1チームに在籍し、F40開発に深くかかわったゲルハルト・ベルガーであるといわれている。
    • なお、このV8ターボエンジンはフェラーリ社が開発してランチアのグループCカー「ランチア・LC2」に搭載された物を公道仕様にデチューンされたもの、である。
  • ミッドシップに搭載されたV8ツインターボは「288GTO」及び改良型の「288GTOエボルツィオーネ」から引き継がれたものである。
    最高出力は485psにまで高められ、レーシングカーさながらのスペースフレーム方式の軽量な車体が支えていた。

    その出力特性は所謂ドッカンターボであり、パワーバンドに入ると同時に急激に立ち上がる強大なパワーには、開発ドライバーを務めたF1パイロットであるゲルハルト・ベルガーにさえ、「道路が濡れた日には走るな」や、「雨の日はガレージから出すな」と言わしめたという逸話が残っている。

    この暴力的エンジンにより最高速度は市販車初の320km/h超えを達成。これは当時としては驚異的な性能であった。
  • 当初発表された生産台数は350台ないし400台であったが、オーダーが殺到したため、結局、1992年の生産終了までに1311台が生産された。
    当時の日本はバブル景気の真っ只中で、正規輸入された市販車が58台、並行輸入を含めれば相当数のF40が日本に入ったとされる。

    しかし、それ以上の需要があったことからプレミア化し、当時の日本のディーラー価格で4650万円だったF40が、一時は2億円を超える価格で取引されたこともあったという。

    その後もフェラーリに限らずプレミア化する限定モデルが後を絶たず、投機目的で自動車を購入する層が目立つようになったのもF40以降とされている。
  • 本車の車重は「乾燥重量1100kg」又は「1230kg」とされているが、メディアや資料によってまちまちであり、正確な数値は不明。
    車両重量がこれだけ不鮮明なのは珍しいケースであるが、如何せん販売から20年経っているので、今更の調査は容易ではない。
  • 派生車種としてコンペティツィオーネ及びLMが存在する。
    これは、F40をベースとして10台限り製作されたモータースポーツベース車両で、保安部品を排除、エンジン出力の向上やリトラクタブルライトを廃する等の軽量化、リヤの可変スポイラーに代表されるエアロパーツの変更による空力性能向上が図られている。

    F40のレーシングモデルは日本においても黎明期のJGTCにおいて王者日産GT-Rと真っ向勝負出来るスーパーカーとして人気を集めた・・・が、GTAが「F40潰し」とも取れるレギュレーション変更を断行し、限られた期間しか活躍出来ず姿を消した。

    ル・マンにおいても"GTレース回帰"の流れに乗って参戦を開始したが、ギヤボックスのシーケンシャル化など細々と改良も続けられるも目立った成績を残せず'95年を最後に姿を消している。
  • 2012年7月にデビュー25周年を記念し、イギリスのシルバーストンサーキットで60人のF40オーナーがパレード走行を行った。
    本車はRosso Corsaのみの販売だったため、サーキットは赤一色に包まれたという。

  • GT5P及びGT5初期Ver.ではディーラーで表示される車重が1100kg、ガレージで表示される車重が1352kgと一致していなかったが、GT5のアップデート(Ver.1.05?正確なバージョンは不明)でディーラーでの車重が不明になった。
  • 派生モデルの解説
  • LM
    • 1988年にル・マン24時間耐久レースに新設される予定だったGTCクラス用に開発した車両であるが、ル・マンのGTCクラスの開設が頓挫したためIMSAに参戦した。
      エンジンは最終的に780PSまで引き上げられ、年々さまざまなエアロパーツ等が新開発され、大型のリアウイングなどで武装して行き、下記のコンペティツィオーネの仕様が出来上がって行く。
  • コンペティツィオーネ
    • 1992年から少量生産された競技用途のホモロゲーション取得目的のエボリューションモデル。上記のIMSA仕様の市販バージョンともいうべき存在で*2、1991年までにIMSAに出場したレース仕様に用いられたエアロパーツやブースト圧を2.5バールまで引き上げ780PSを発生するターボエンジンなどの技術をフル装備、条件が揃えば時速380kmが出ると言われていた。のちのGT1仕様(GTE)のベースモデルとなる。
  • GT
    • イタリアの国内選手権用の車両で、グループNに近いレギュレーションのため外装(エアロパーツ等)はほぼノーマルのままであるが、エンジンは約600馬力を出し、足回りなどは大幅に改修されていた。
  • GTE
    • 1995年に生産。上記コンペティツィオーネを元にFIA-GT1規定に沿って改修を施した車両。95年と96年のル・マンなどに参戦。
    • 95年仕様は、3.0Lターボエンジン(630PS)と自社製5速MTミッション。予選では総合優勝したマクラーレンF1を上回るタイムを記録して6番手スタートの車両がいたが、決勝では総合12位クラス6位が最上位。
    • 96年は、リストリクター対策で3.5Lにボアアップしたエンジン(650PS)にXトラック製6速シーケンシャルミッションを組み合わせた。しかしポルシェのワークスマシン911GT1やヨースト(TWR)のWSC95(前者はGT1ということになっている準プロトタイプ、後者は完全なプロトタイプ)などの登場で全く勝負にならず。97年はエントリーこそしていたが直前に出場を辞退した。
  • JGTC
    • 便宜上JGTCとする。チームタイサンが1994年から全日本GT選手権GT1クラスに参戦させていた車両がある。
      タイサンの社長である千葉氏の私物だったという公道仕様のF40に、レース参加に必要になる必要最低限の保安機器(ロールバーなど)を取り付けただけで、内部のチューン等を行っていない「ほぼノーマル」の車両が1994年シーズン開幕戦に登場し3位入賞。

      その後「ほぼノーマル」から少しずつ進化し94年最終戦に1勝を上げ、95年シーズンには二台体制で参戦したが、レギュレーション改定で馬力が抑制されるなどして速さを失い2シーズンという短期間で参戦を終了した。

      1996年終盤2戦のみ911 GT2の代打として出場している。

  • カラーバリエーション:Rosso Corsa


*1 実車は39対61
*2 実質サーキット走行専用車だったのだが、当時はまだ「サーキット走行専用車」という発想や概念がほぼない時代だった。

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