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-総排気量:1587cc
-最高出力:130ps(136ps)/6600rpm(6500rpm)
-最大トルク:15.20kgfm(15kgfm)/5200rpm(5000rpm)
-駆動形式:MR
-全長:3925mm
-全幅:1665mm
-全高:1250mm
-車両重量:1120kg
-重量バランス:45対55
-価格:Cr.1,638,600(走行距離6193km)
-Lv:0
-PP:352(359)
-備考:()内の数値はリフレッシュ・OHした際のもの
-備考:トランスミッションは5速
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-1984年6月に販売を開始したMR2。MR2の名は「Midship Runabout 2-seater」の頭文字をとったもので、国産車では初のMR車となったのが本モデルである。
プロトタイプは1983年の東京モーターショーにおいて発表されたSV-3で、ほぼ生産型ともいえる完成度を持っていた。
--マシン右側面に設けられたエアインテークがよく判る。これがミッドシップの象徴として一部のクルマ好きから人気がある。
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-MR2は1984年6月に国産初のMR車としてデビューした。MR2の名は「Midship Runabout 2-seater」の頭文字をとった物。
プロトタイプは1983年の東京モーターショーにおいて発表されたSV-3であり、ほぼそのままの形で市販された。

-若者をターゲットに開発されたMR2のシャシーはコストを下げるためにFF車である5代目カローラ(E80型)のパワートレインと足回りが流用されている。
例えるならばFF車のプラットフォームを前後ひっくり返したものとされ、1970年代にMR車を安価に製造する方法として考案された。
フィアットX1/9等が本方式を採用したことにより世に知られることとなったとされている。
この方式は安価である反面、MR車専用プラットフォームに比べてエンジン搭載位置が高め、かつ(重心から)リア寄りに搭載されるため一線級のスポーツカーを作り上げるのは困難であるとも言われている。
また当時のトヨタには横置きエンジンのFF車が存在せず(そもそもFF車すらL10系ターセル/コルサの2車種しかなかった)、4A-Gエンジンは流用であるものの横置きのパワートレインは同時期に新規開発されたものである。もしターセル/コルサのパワートレインを流用していたならエンジン縦置きのMRとなったかもしれない。
よって上記のとおり国産初のMR車であるMR2の開発は並大抵の苦労ではなかったと推察できる。
-MRの名の通り、車体後部にエンジンとミッションが横置きに搭載されている。このパワートレイン並びに足回りは生産性を上げるためFF車である5代目カローラ(E80型)のものが流用された。((この方式は現代的な横置き配置のFFが考案されて以降、幾度と無く試みられているが1972年発表のフィアットX1/9によって広く世に知られることとなった。流用といえども単純にひっくり返せばいいという訳ではなく、スポーツカーに仕上げるためには技術力を要する。))((特にエンジン搭載位置が高く後ろ寄りになるため重心、重量バランスに気を使う必要があるなど技術が伴ってのものであることには注意。))
// この方式は安価である反面、MR車専用プラットフォームに比べてエンジン搭載位置が高め、かつ(重心から)リア寄りに搭載されるため一線級のスポーツカーを作り上げるのは困難であるとも言われている。
// この部分、修正文に上手く組み込む自信ないのでとりあえず注釈にして元の文はコメントアウトします。
// また当時のトヨタには横置きエンジンのFF車が存在せず(そもそもFF車すらL10系ターセル/コルサの2車種しかなかった)、4A-Gエンジンは流用であるものの横置きのパワートレインは同時期に新規開発されたものである。もしターセル/コルサのパワートレインを流用していたならエンジン縦置きのMRとなったかもしれない。
// よって上記のとおり国産初のMR車であるMR2の開発は並大抵の苦労ではなかったと推察できる。
// カローラの横置きFF開発の過程でMR2を計画したと思われるしとりあえずコメントアウトで判断を仰ぎます

-低く構えたノーズ先端にリトラクタブル式ヘッドライトを装着し、コクピットスタイルのインテリアもスポーツムード満点。
初期型の車重は1tを切り、ホイールベース2320mm、全長3925mmというコンパクトなサイズによってもたらされた高い運動性能はライトウェイトスポーツのお手本といえるもの。
当時の若者たちに大いに刺激を与えたことは言うまでもなかった。
なお、採用されたエンブレムは七宝焼きで、AWの文字を模した鳥(猛禽類)が描かれているが、エンブレムひとつをとってみても凝った造りをしているところはバブル期ならではとも言える。
-MR2のテスト走行を行うコースとして選ばれたのは世界屈指の難コースとして名高いニュルブルクリンク北コースである。
今では多くのメーカーがニュルブルクリンクで車を鍛え育てているが、80年代当時ではポルシェなどごく一部のメーカーだけであった。
ニュルブルクリンクでのテスト走行でロータス社と繋がりが生まれ、ロータスの実験部長と元F1ドライバーであるダン・ガーニーがテスト走行に参加し助言を与えた。
この時、ダン・ガーニーは「4A-Gが泣く、もっとやろう」と限界性能を突き詰めるよう進言したが、最終的にロータスからは「トヨタの看板の元で、従来のトヨタの顧客を相手に売るのなら、機動性はそこそこに留めた方がよい」との意見があり、MR2は比較的マイルドな味付けとなった。
ちなみにテストドライバーは[[LFA>レクサス LFA '10]]のテストドライバーである成瀬弘氏である。

-1986年に後期型にマイナーチェンジ。[[スーパーチャージャー仕様>トヨタ MR2 1600 Gリミテッド スーパーチャージャー '86]]、Tバールーフ装備車が設定された。
-低く構えたノーズ、リトラクタブル式ヘッドライト等のエクステリアやコクピットスタイルのインテリアもスポーツムード満点。他にもミッドシップを主張する右側面のエアインテークは一部のクルマ好きに人気を集めた。さらに初期型の車重は1tを切り、ホイールベース2320mm、全長3925mmというコンパクトなサイズからの高い運動性能はライトウェイトスポーツの手本となった。こうしてMR2は当時の若者たちに大いに刺激を与えた。
ちなみにエンブレムは[[2000GT>トヨタ 2000GT '67]]でも使われた七宝焼で、AWの文字を模した鳥(猛禽類)が描かれている。

-GT5収録の本車は後期型で「1600 G」は、1600ccの4A-GELU型エンジンを搭載したNAモデル。
なお、GT5には他にも上記のスーパーチャージャー仕様が収録されている。
-MR車はエンジンに直接走行風を当てれないため熱対策がより重要となる。MR2も例外ではなくしっかりと対策されており、その酷暑から開発テストが多く行われるアメリカはカリフォルニア州デスバレーでのテストにも耐えている。
一例としてはエンジンルームが70度以上になるとファンが作動し、前述のサイドエアインテークから外気を取り込む構造になっている。

-1989年、MR2は[[2代目>トヨタ MR2 Gリミテッド '97]]にフルモデルチェンジ。
車体、エンジンとも大幅にサイズアップすることとなるのであった。
-1986年に後期型にマイナーチェンジ。[[スーパーチャージャー仕様>トヨタ MR2 1600 Gリミテッド スーパーチャージャー '86]]、Tバールーフ装備車が追加された。
GT5収録の本車はその後期型にあたり「1600 G」は、自然吸気1600ccの4A-GELU型エンジンを搭載したモデルである。

-1989年、MR2は[[2代目SW20型>トヨタ MR2 Gリミテッド '97]]にフルモデルチェンジ。車体、エンジンとも大幅にサイズアップされた。

#hr
-以下、余談。

-この高い運動性能を生かし、トヨタはMR2を当時パフォーマンスが過激だったWRCのグループBに投入することを考えていた。
ちなみにトヨタはMR2によるグループB参戦をフェイズIIとしていた。フェイズIはTA64型セリカツインカムターボ(GT未収録)でグループB参戦しており『ミッドシップレイアウト+ハイパワーターボエンジン+フルタイム4WDシステム』と言うモンスターと表現される世界のマシンたちを相手にサファリラリーで3連覇するなど好成績をおさめていた。
「222D」として開発された本モデルはエンジンを[[セリカ>トヨタ セリカ 2000GT-FOUR (ST165) '86]]等で採用していた3S-GTE型ターボエンジンに載せ換えて4WD化。極限まで戦闘力を高めるために魔改造された。
一説によれば最高出力500ps以上を絞り出し、当時のグループBを象徴する[[ランチア デルタS4>ランチア デルタ S4 ラリーカー '85]]などと対等に勝負できる戦闘力を持っていたとされる。
すると1985年、FIAがWRCにグループBを上回る「グループS」クラス((このクラスの投入は元々安全性の配慮が理由だったが、ホモロゲーション取得がグループBより容易にった末、グループB以上の高性能マシンの開発が可能という事態になった。))の投入を決定。開発中だった222DもグループSへの参戦へ向けて仕様変更を行う手続きを行った。
しかし、S4を駆っていたヘンリ・トイヴォネンの事故死を切っ掛けにグループBが消滅。勿論、グループS計画も机上のプランで終わり、222Dは戦う場を失いお蔵入りとなってしまった。
-この高い運動性能を生かし、トヨタはMR2を過激なパフォーマンスで知られたWRCのグループBへの投入を計画していた。
トヨタはすでにTA64型セリカツインカムターボ(GT未収録)でグループBに参戦しており『ミッドシップ+ハイパワーターボ+フルタイム4WD』というモンスターマシンたちを相手にサファリラリーで3連覇するなど好成績をおさめていたが、これをフェイズ1としMR2での参戦をフェイズ2とした。
「222D」として開発されたグループBマシンはエンジンを[[セリカ>トヨタ セリカ 2000GT-FOUR (ST165) '86]]等で採用していた3S-GTE型ターボエンジンに載せ換え4WD化するなど極限まで改造された。その性能は一説によれば最高出力500ps以上を叩きだし、グループBを象徴する[[ランチア デルタS4>ランチア デルタ S4 ラリーカー '85]]などに匹敵する戦闘力があったとされる。
-1985年にはFIAがWRCにグループBを上回る「グループS」クラスの導入を決定((このクラスの導入は元々安全性の配慮が理由だったが、実態はホモロゲーション取得がグループBより容易な上、グループB以上の高性能マシンの開発が可能というものだった。))。開発中の222DもグループSへの参戦へ向けて仕様変更を行う手続きを行った。しかし、デルタS4を駆っていたヘンリ・トイヴォネンの事故死を切っ掛けにグループBが消滅、グループSも廃案となる。これによりグループS仕様はペーパープランのみ、試作されたグループB仕様もお蔵入りとなってしまった。

--222Dの生産台数については諸説あるが15台が正解のようである。
エンジン縦置きの第二次試作11号車→トヨタでテストトライバーの育成マシンとして使われた後、トヨタ博物館にて現在も展示。
同じく二次試作車である8号車→1995年までドイツのケルンにあるトヨタTMGファクトリーの倉庫にてホコリまみれで放置されているのが確認されている。
エンジン横置きの第一次試作車(何号車であるかは不明)→2007年のグッドウッドフェスティバルでその走りを披露。Youtubeに動画も上がっている。
またイギリスのレースゲームである「Richard Burns Rally」に222Dが収録されており、その走りを堪能することができる。[[動画>http://www.youtube.com/watch?v=Ol_2YUHS9zo#!]]
--正確な製作台数は明らかになっていないが、一部車両のその後は確認されている。
// 222Dの生産台数については諸説あるが15台が正解のようである。
エンジン縦置きの第二次試作11号車→トヨタでテストドライバーの育成マシンとして使われた後、現在はトヨタ博物館にて展示。
同じく二次試作車である8号車→1995年までドイツのケルンにあるTMGファクトリーの倉庫にてホコリまみれで放置されていた(その後不明)。
エンジン横置きの第一次試作車(何号車であるかは不明)→2007年のグッドウッドフェスティバルにて走行。
// またイギリスのレースゲームである「Richard Burns Rally」に222Dが収録されており、その走りを堪能することができる。[[動画>http://www.youtube.com/watch?v=Ol_2YUHS9zo#!]]

-GT5収録のAW11型MR2はNA仕様、スーパーチャージャー仕様ともに白黒のツートンカラーがあるが、実車には白黒の設定は無く白銀のツートンカラーが設定されていた。
つまりこのページの写真のようなAW11型MR2はラインナップには存在しない。

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-カラーバリエーション:Blue Mica,Super Red II,Super White II,New Sherwood Toning,Sparkle Wave Toning



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