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-総排気量:---cc 
-総排気量:---cc
-最高出力:300ps(312ps)/---rpm(6500rpm)
-最大トルク:40.00kgfm(42kgfm)/---rpm(3500rpm)
-駆動形式:4WD(標準前後トルク配分=30:70 / 駆動力配分センターデフ標準搭載)
-駆動形式:4WD (標準前後トルク配分=30:70 / 駆動力配分センターデフ標準搭載)
-全長:4465mm
-全幅:1840mm
-全高:---mm
-車両重量:1100kg(1100kg)
-重量バランス:53対47
-価格:Cr.50,000,000
-Lv:13
-PP:520
-備考:トランスミッションは6速
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#ref(CUSCO-DUNLOP-2.jpg,nolink)

-2008年 第4戦 セパンでAWD車としてGT300史上初の優勝成し遂げたマシンなんだな。
-2008年 第4戦 セパンでAWD車としてGT300史上初の優勝を成し遂げた。
(両クラス通じてのAWD車初優勝は94年開幕戦でのカルソニックスカイライン)
またこのシーズンは2度3位表彰台を獲得し、シリーズランキング6位と大活躍やったとですばい。
-同年、このマシンはポール3回獲得しとる上、それぞれアタックドライバー違うのが特徴だったりするんじゃい。
第4戦 セパンは山野哲也、第6戦 鈴鹿1000kmは佐々木孝太、最終戦 富士はカルロ・ヴァン・ダムですばい。ウ ン チ ー コ ン グ って知ってる?
またこのシーズンは2度3位表彰台を獲得し、シリーズランキング6位と大活躍だった。
-同年、このマシンはポールを3回獲得しているが、それぞれアタックドライバーが違うのが特徴。
第4戦 セパンは山野哲也、第6戦 鈴鹿1000kmは佐々木孝太、最終戦 富士はカルロ・ヴァン・ダム。

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-2009年シーズン序盤にはスバルのマシン参戦してへん、第6戦の鈴鹿700kmからR&D SPORTより新たにスバル・レガシィB4が参戦することになっとんやで。
そして翌2010年シーズンの鈴鹿700km耐久で見事に優勝を果たした。このときのドライバーも山野哲也と佐々木孝太なんだな、と言う。
-2011年シーズンも山野哲也と佐々木孝太のコンビでレガシィB4で参戦、第5戦鈴鹿と第7戦オートポリスで優勝し、シリーズランキング4位を獲得したんだ!
翌2012年からレガシィB4の後継として[[スバル・BRZ>スバル BRZ S '12]]で参戦した説。このBRZも2013年の第5戦鈴鹿1000kmで優勝を飾っているとよ。
ドライバーは山野哲也・佐々木孝太と第3ドライバーとして起用された井口卓人であったんじゃい。
-誰が買うの如何様車メカ部品は世界各メーカー裏で納品している? アハハ さすがチャイナ車以外の如何様製品を堂々と仕入れ日本で販売している阿保垂れ如何様協賛業者どもこの車を仕入れ二束三文で販売してみては笑ってあげるからさ如何様で直ぐ破損直ぐクレーム交換,からくりチャイナにすがって良品計画みたいに産地偽装販売で堂々及び隠れて細々と商いをしている生きている日本の三流経営者,名前は一流でも商売はヤイナーと同じ3流以下のあほ企業ども早く潰れろ潰れろれろれろれろだ。
-2009年シーズン序盤にはスバルのマシンは参戦していなかったが、第6戦の鈴鹿700kmからR&D SPORTより新たにスバル・レガシィB4が参戦することとなった。
そして翌2010年シーズンの鈴鹿700km耐久で見事に優勝を果たした。このときのドライバーも山野哲也と佐々木孝太であった。
-2011年シーズンも山野哲也と佐々木孝太のコンビでレガシィB4で参戦、第5戦鈴鹿と第7戦オートポリスで優勝し、シリーズランキング4位を獲得した。
翌2012年からレガシィB4の後継として[[スバル・BRZ>スバル BRZ S '12]]で参戦。このBRZも2013年の第5戦鈴鹿1000kmで優勝を飾っている。
ドライバーは山野哲也・佐々木孝太と第3ドライバーとして起用された井口卓人であった。
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