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-総排気量:6995cc
-最高出力:760ps(974ps)/7200rpm(7000rpm)
-最大トルク:79.60kgfm(101kgfm)/5500rpm(5500rpm)
-駆動形式:MR
-全長:4800mm
-全幅:2000mm
-全高:1030mm
-車両重量:894kg
-価格:Cr.469,057,800(走行距離2502km)
-Lv:23
-PP:709(714)
-備考:()内の数値はリフレッシュ・OHした際のもの
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-↓広告規制の為、「Silk Cut」のロゴが塗りつぶされている。
#ref(XJR9前.jpg,nolink)
#ref(XJR9後ろ.jpg,nolink)

-ポルシェをはじめザウバーメルセデス、トヨタ、日産などの強豪と並んでジャガーが作り上げた、グループC時代を代表する車種のひとつである。
本車は1988年のル・マン24時間耐久レースにてポルシェ962Cとの歴史に残る激戦を制し、見事戴冠している。なお、優勝車である2号車のドライバーはヤン・ラマース、アンディ・ウォレス、ジョニー・ダンフリーズの3名。

-尚、このXJR-9LMであるが、'85年WSPCに投入されたXJR-6を始祖に持ち、'91年にル・マンで[[787B>マツダ 787B レースカー '91]]と死闘を演じたXJR-12までV12エンジン搭載車については基本構造はほぼ同じである。

-搭載されたエンジンは市販車XJ-Sを源流に持つ自然吸気の大排気量V12で、ターボエンジン全盛のCカーレースのトレンドとは逆行する手法ではあり、当時としても異彩を放つ存在であった。
純レーシングエンジンでは無く、市販型エンジンの延長上というこのエンジンは、大排気量の割に極めてシンプルかつコンパクトにまとまっており、純レーシングエンジンに見られる重量、サイズの問題に悩まされることはあまり無かった。
'85年の参戦当初は6リッターSOHCであったが、翌'86年には6.5リッターに、'88年から7.0リッター(シーズン途中からDOHCヘッドに強化)、'91年ル・マンには7.4リッターにまで強化された(もっとも、'91年の7.4L化はやや無理があった模様。詳細下記)。
ポルシェやメルセデスと違って加給器は持たなかったが、燃費面ではかなり厳しかった模様。
'85年の参戦当初は6リッターSOHCであったが、翌'86年には6.5リッターに、'88年から7.0リッター(シーズン途中からDOHCヘッドに強化)、'91年ル・マンには7.4リッターにまで強化された(もっとも、'91年の7.4L化はやや無理があった模様)。
ポルシェやメルセデスと違って加給器は持たなかったが、燃費面ではかなり厳しかった模様でWSPCなどの短距離戦ではしばしばガス欠に陥っている。

-名デザイナーであるトニー・サウスゲート氏のデザインしたシャーシは堅実さの中にも独創性を見出せる素晴らしいもの。サイドラジエーター全盛の中あえてフロントラジエーターとし、大柄なエンジンを可能な限り中心に寄せて搭載できるようにしている。なお、そのラジエーターにはレースカーとしては非常に珍しいことに電動式のクーリングファンを備えており、フルスピードラップからペースカー先導のローリングラップまで幅広い速度レンジに対応している。
それ以上に特徴的なのがリヤサス周り。"ホイールインボード型"とでも形容したくなるCカーの中でも独特の形状である。このサス形状を採用した結果非常に幅広のディフューザーデザインを可能にしており、ポルシェ962Cに対して空力で大きなアドバンテージを得ることのなった。

-後にリジェF1やアロウズF1で名を馳せることになる"トム・ウォーキンショー"氏率いるTWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)体制下で参戦したジャガーチームはドライバー陣もM.ブランドル、E.チーバー、D.ウォーイック、T.ファビ、とTWRと縁のある多くのF1級ドライバーが揃っていた。これはベテラン陣が多く所属していたポルシェ陣営とよく比較されることも。
--ただ、ジャガー陣営ではチームメイトながらF1ではライバル関係、といった場合も多く、チーム内で激しくやり合う危険も秘めており、それは'87年ル・マンで現実の物となる。(詳細下記)
--ただ、ジャガー陣営ではチームメイトながらF1ではライバル関係、といった場合も多く、チーム内で激しくやり合う危険も秘めており、それは'87年ル・マンで現実の物となり、半ば自滅という形で敗北を喫している。

#hr

-余談の範疇あるかもしれないが、以下にXJR-9LM前後のル・マンでの成績をジャガー視点で書き記す。
--XJR-6('86:優勝・ポルシェ962C)
---(グループCとして)ル・マン初参加となった'86年は同じく初参加となった日産陣営に「ル・マンとは24時間スプリントレースなのか?」と言わせるほどの超ハイペース戦になる。3台参戦のジャガーは5、10、16時間目にそれぞれリタイアを喫している。
-余談の範疇あるかもしれないが、以下にXJR-9LM前後マシンを簡単に書き記す。

--XJR-8LM('87:優勝・ポルシェ962C)
---実はこの年も"ジャガーの年"になる可能性があった。ライバル、ポルシェ陣営が"低品質ガソリン"の影響で次々脱落していく中、ジャガー陣営はどこ吹く風の快走。唯一生き残ったポルシェ1台に対しジャガー3台、3対1という圧倒的優位な状況に立った...のがまずかった。ジャガー陣営はチーム内で"我こそNO.1"と言わんばかりの激しいチームバトルを始めてしまう。そこにジャガー陣営を上回るペースで追いついてきたポルシェ962C。一瞬にして混乱に陥ったジャガー陣営は夜明け過ぎに息の根を止めてしまう。
--XJR-6
---(グループCとして)'86年のル・マン初参加に初参戦したが5、10、16時間目にそれぞれリタイアを喫している。

--XJR-9LM('89:優勝・ザウバー・メルセデスC9)
--XJR-8LM
---'87年のル・マンカー。ライバル962Cに対して3対1という圧倒的優位な状況に立ったはずだったったが、激しいチームバトルを始めてしまい、自滅。

--XJR-9LM('89年仕様)
---'89シーズン、ジャガーは3.5LV6ターボ(ちなみにこのエンジンは後年[[XJ220>ジャガー XJ220 '92]]に流用されている)Cカー"XJR-11"をWSPCに投入するも、"速さはあるが耐久性に欠ける"と判断した上層部によりル・マンなど長距離戦には前年優勝車XJR-9LMをアップデートして戦うことを決断...するも、この年は"化物:ザウバーC9"が終始レースを席巻、圧倒している(XJR-9LMは4位止まり)。

--XJR-12('90:優勝・ジャガーXJR-12)
---ユノディエールにシケインが出来たこの年、更にル・マンは世界選手権からも外されてしまう。選手権外ということでメルセデス陣営が不参加を表明し、"本命不在"となったこの年、開けてみればル・マンはジャガーvs日産vsポルシェの三つ巴の争いになる。4台体制のジャガーが2台を失いながらも2年ぶりの戴冠を果たした。
---尚、この優勝は2011年現在"''イギリス製エンジン・シャシーによる最後の優勝''"である('95年にマクラーレン、2003年に[[ベントレー>ベントレー スピード8 レースカー '03]]が"イギリスチーム"として勝っているがいずれもエンジンはドイツ製)。
--XJR-12('90年及び'91年)
---'90年のルマンはメルセデス不在の中ジャガーvs日産vsポルシェの三つ巴の争いになる。4台体制のジャガーが2台を失いながらも2年ぶりの戴冠を果たした。
尚、この優勝は2011年現在"''イギリス製エンジン・シャシーによる最後の優勝''"である('95年にマクラーレン、2003年に[[ベントレー>ベントレー スピード8 レースカー '03]]が"イギリスチーム"として勝っているがいずれもエンジンはドイツ製)。
---新規定"SWC"優遇で迎えた'91年ル・マン、ジャガーはSWC仕様XJR-14は使わず(予選にて周りの度肝を抜いてお役御免)前年車を排気量を7.4Lに拡大して挑むもその排気量拡大が裏目。燃費と廃熱に悪影響を与え、走りは精彩を欠いた。それでも終わって見れば2〜4フィニッシュという好成績ではあったが。
ちなみにこの年のル・マンはマツダの勝利で終わったが、ジャガー・カーズはその翌日の日本の新聞にマツダを称える広告を出した、というのは有名なエピソードである。

--XJR-12('91:優勝・マツダ787B)
---新規定"SWC"優遇で迎えた'91年ル・マン、ジャガーはSWC仕様XJR-14は使わず(予選にて周りの度肝を抜いてお役御免)前年までのXJR-12を改良して決勝に挑むことに。"カテゴリー2"規定の"車重1トン"に対応して排気量を7.4Lに拡大して挑むもその排気量拡大が裏目。燃費と廃熱に悪影響を与え、走りは精彩を欠いた。それでも終わって見れば2〜4フィニッシュという好成績ではあったが。
ちなみにこの年のル・マンはマツダの勝利で終わったが、ジャガー・カーズはその翌日の新聞にマツダを称える広告を出した、というのは有名なエピソードである。

-余談
--ちなみにこの'88年ル・マンで勝利を飾った2号車だが、じつは生涯勝利数もそれ1勝のみなのである。
前哨戦となったWSPCではいずれもリタイアか予選落ち、といういわば"ハズレシャシー"の典型例だった。ようやくの初完走がル・マン本戦、しかもそれが優勝という大栄誉。ジャガーにとっては1957年以来、イギリス車にとっても1959年以来29年ぶりとなるル・マン制覇を成し遂げてしまい、そのまま"博物館行き"となってしまった。
--この2号車と好対照なのがエースカーとして生まれ、WSPCでもポルシェ、ザウバー、日産相手に大活躍を演じた1号車。
'88年シーズン4戦3勝など名高い結果を残しながらも肝心要のル・マンでは良い所無し。結局この後'91年ル・マンまで(大小仕様変更されながら)使い続けられることとなった(ちなみに本車は2位)。それだけに素性の良さは際立っていたのは間違い無いだろう。
前哨戦となったWSPCではいずれもリタイアか予選落ち、といういわば"ハズレシャシー"の典型例だった。ようやくの初完走がル・マン本戦、しかもそれが優勝という大栄誉。ジャガーにとっては1957年以来、イギリス車にとっても1959年のアストンマーチン以来29年ぶりとなるル・マン制覇を成し遂げてしまい、そのまま"博物館行き"となってしまった。
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